[01|Glossary]天使
天使とは、翼のある人達のことである。
待ってくれ、何故こんな当り前なことを? ――そんな声が聞こえてきそうだ。
しかし、我々が思っている以上に十分な理解が得られていないのもまた、天使という存在である。想像の産物である天使と、現実の存在としての天使。これらが渾然一体になってしまい、彼女達が正しく理解されていないという不幸は、過去にも何度となく指摘されている。
改めて、現実世界の<天使>を定義する。
天使とは、翼のある人達のことである。そして、翼があるという点を除き、天使は普通の人間である。
別に天国から地上に舞い降りた精霊もなければ、頭の上に光る輪っかも浮かんでいない。そもそもが、『天からの使い』という言い回しを短縮した呼称からして間違っている。
彼女達は普通の、つまり天使ではない母親から生まれる。生まれた時はただの人間の赤ん坊、つまりに背中に翼はない。彼女が天使となるか否か、この時点では知る術は無いと言われている。
選ばれた少女に変化が起きるのは十歳前後、八歳から十二歳の間とされている。その兆候は、肩甲骨の辺りに生じるしこり状の盛り上がりである。この二つのしこりが百日程度かけて変化し、小さな附属肢が形成される。まるで背中から生えた華奢な指のような附属肢は、彼女の成長と共に、次第に翼へと姿を変える。
附属肢から翼への変化の過程で、プロトフェザーと呼ばれる体毛と羽毛との中間的なものから、風切り羽を含む完全な羽毛へと生え変わる。彼女達は中学校に入る頃までには〈天使〉、すなわち白い翼を持つ、現生人類の一形態としての有翼人へと変わるのである。
その翼を広げると約2.5m。これは両翼を左右に完全展開した時の、風切り羽を含めた端から端までの長さ、その標準的な値である。
もちろん身長差や身体の変化が起き始めた年齢など、様々な要因により個体差が生じる。しかし、極端に大きかったり小さかったりするのは稀である。いずれにせよ、天使の持つ翼は、両腕を超えるだけの大きさがあるということに変わりは無い。なお、当然ながらこの翼は通常時、鳥類がそうであると同じように、背中で三つに折り畳まれている。
人口に対する天使の比率はおよそ数千人から数万人に一人。人種や地域によって開きがあるが、我が国においては、平均すると約二千八百人に一人。これは国勢調査によって得られたデータを基にしており、信頼に値する数値である。
つまり、日本の総人口を考えるとその総数は決して少なくは無いが、普段の生活ではそうそう目にすることは無いという、絶妙なバランスで人間と天使はブレンドされている。少なくとも天使の数は、彼女達の神秘性を保つには十分な少なさだった。
同時に、この比率は有史以降ほとんど変わっていないと考えられている。我々人類の中に天使が出現した時期については諸説あるが、石器時代には既に存在していたのではないかという痕跡がいくつかあり、これが正しいとすれば、有史以前の人々もまた、その純白の翼を目にしていたはずである。