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[10]NANAKAちゃんのストリップ大公開

 張り上げた田中の声を受けて、店員が厨房へと取りに行く。しかし、その間にも零れたビールがテーブルに広がり、お座敷の上に滴る。周りのテーブルからお手拭きが集まりだすが、間に合わない。少し向こうの席からも寄付が来そうだ。


その時、七夏が声を上げた。


「こっちまで投げてくださーい」


 一瞬悩んだ後、年配の同僚がお手拭きを投げて寄こす。しかし手元が狂ったのだろうか、その軌道は予想より遥か上だった。しかし七夏が大きく翼を上げ、頭上を通り過ぎようとしていたそれを器用に弾いた。運動ベクトルを変えられたお手拭きはポンッと上に跳ね上げられる。そして自由落下。七夏の翼はそれを今度は包み込むように捉え、手元へと誘導したのだ。


「あわわわわ、本当に、ごめんなさい」


 七夏は手にしたお手拭きで、テーブルの下を拭き始める。


「上手い上手い」


 あちこちからお手拭きをかき集めながら、結は軽い調子で七夏を褒めた。彼女は七夏の翼芸に見慣れていたため、別段、驚きは無かった。一方、他の四人は結とは違い、実用的な翼の使用方法を見たのは初めてだった。各々、覆水を拭きとりながら興味深そうに見ていた。その中でも、特に驚いていたのは梨乃だった。彼女はお手拭きを持ったまま、目をまん丸にして七夏のことを見つめていた。


「う、嘘……」


 梨乃はそう言葉を洩らすと、まるで心霊現象でも目の当たりにしたかのような表情を一瞬見せたのだ。


 少し落ち着いてから、尾藤が尋ねた。


「それにしても器用だな。不思議なんだけど、翼って自分の意志で動かせるんでしょ。どんな風に動かすの。ほら、僕達は翼を持っていないから想像もつかない」


 彼が何を言いたいのか、七夏は何となく想像できた。しかし、それを表現する言葉が見つからない。彼女は正直に答えた。


「上手く説明できない……っていうか、良く分からない。最初は自分の身体の一部じゃないって感じと言うか、動かせないし、しょっちゅう痛いだけでそれ以外の感覚も希薄なんだけど、そのうち気が付いたら動かせるようになってた」

「両腕がもう一つある感じ?」

「うーん、どうだろう。そうとも言えるし、そうじゃないとも言えるし……」

「安家さんも?」


 物思いに耽っていた梨乃は、その言葉で我に返った。一瞬遅れてから彼女は答えた。


「え……ええ、そうね。言葉にするのは難しいわ」

「そうなのか。無意識のうちに頭のニューロンネットワークが繋がっていくんだろうね。しかし痛いってのは初耳だ。難儀なもんだね」

「成長が速いからだって聞いたわ。それだけじゃない。翼に慣れるまではしょっちゅう、あちこちにぶつけたりして、その度に痛い思いして。とっても大変」

「寝返りを打った時に捻ったりしてね。その度に飛び起きて、もんどり打ったりして」

「そうそう。この翼が恨めしかったわ」

「もう、こんなの無ければいいのに、ってね」


 二人して笑う天使。いつしか七夏は梨乃に対して親近感を感じていた。彼女が同じ経験や想いを共有する同類だということを、初めて実感として持ったのだ。


「そういえば天使ってどうやって寝ているの? それこそ、寝返りを打った拍子に骨折したりとかしないの?」

「まさか。そこまでやわじゃ無いって」


 心配そうに話す毛利の質問に、七夏は手を横に振りながら答え、梨乃も軽く頷いた。


「だいたいうつ伏せか横向きで寝るのだけれど、仰向けになれないって訳じゃないの」

「少しならね。長いこと翼を下にしているとうっ血して痺れてきたり、関節が痛くなったりするけどさー。ねーっ」


 七夏はすこぶる気分が良かった。この人が自分と同じ、天使特有の面倒臭さを抱えているということに。もう一口、冷酒で咽を潤す。もう二合ちょっとか、飛ばし過ぎかも。気のせいか、頭の中がグルグルする。耳も、まるでプールで水が入った様な、ちょっと音が遠くなったような感じ――周囲から自分だけ隔離されたような、妙な気分だ。


(いや、大丈夫)


 七夏は自分に言い聞かせた。足をくずした拍子に、身体が前後にふらつく。でも、気分が良かった。梨乃ちゃん、ちょっとあざといところがあるけど、とっても愛おしい。お上品につんと澄ましていて、自信を隠さなくて、魅惑的で、そんな自分を自覚していて。思わず抱きしめたい――いや、そんな趣味は無いけれど。


 思考が混線する中、すっかり天使に興味を持ったらしい尾藤が再び問いかけた。


「そう言えばさ、予兆とかあったの? 翼が生えてくる前」


 七夏は何か答えようとするが言葉を紡ぎだせない。答えたのは梨乃の方だった。


「良く覚えていないのだけど、背中の辺りに何となく違和感があった気がするわ。車のシートに座っている時とか、壁にもたれかかっている時になんか変だなって。それに、私は瞳の色が薄くなったりしたから」

「え、じゃあ安家さん、子供の頃は青い瞳じゃなかったの」

「そうよ。茶色い瞳の普通の子供だったわ」

「わー、そのころの安家さんを見てみたいな。写真とかないの?」

「あることはあるけど、見てもつまんないわよ?」


 梨乃がそう答えた時、理由は分からないが、七夏の感情が小さく弾けた。気がつくと訳も無く叫んでいた。


「わたしはねーっ、夢に見たんだー。空を飛ぶ」


 勢い同期達の目は七夏に注目が集まった。しかし突飛な言葉に面食らったせいか、誰も何も言いだせない。彼女、一体何を言いたいのだろう――さっき話していた予兆のことだろうか? ようやく田中が尋ねた。


「つまり、翼が生えてくる前に、天使になる夢を見たってこと?」

「うん。天使って意識は無かったかもだけど、翼を使って飛ぶんだ」

「ファンタスティックな感じで素敵ね」梨乃は優しく言った。

「でも、がっかりだよー。天使が飛べないだなんてさ。役立たずの翼だったなんてさ。後で知った時は、絶望したねー。それどころか……」


 それっきり、下を向いて黙りこくる七夏。ひょっとして、触れてはならない何か差し障りのある話題だったのだろうか――情緒不安定気味の彼女に対して、それまで面と向かって七夏と話したことのない四人は、少し不安になり始めていた。陽気になったり、落ち込んだり。いつになく感情を露わにしている。そんな七夏の姿を見て、声には出さないものの、目と目で、大丈夫なのだろうかと語り合う。


 いずれにしても、これ以上おかしくならないよう気を配った方がいいかも。そう考えた尾藤は、沈黙を続ける七夏に話しかけた。


「そうだ。あのさ、触ってもいいかな?」

「触るって?」七夏は聞いた。

「翼」


 しかし言ってしまってから、尾藤は後悔した。こんなことをお願いするのはちょっと不味かったかもしれない。周りはぎょっとしたような表情で彼を見つめていた。毛利に至っては睨めつるかのような目だった。


 何故、こんなことを口にしたのだろう。彼は少し後悔した。アルコールのせいか。これでは、七夏のことを笑えない。


 天使の翼は、神聖なものと言うと大げさかもしれないが、それに触ったりすることは不謹慎極まりない、どこか憚られる行為のような気がしていた。親しくはなっても、無闇に頼めることではない。梨乃に対してもこのお願いをした試しは無いし、他の連中もそれは同じだった。


 しかし七夏の返答は、思いがけずあっけらかんとしたものだった。


「どうぞ」


 一瞬迷った後、尾藤は七夏の翼へと手を伸ばし、上の関節がある辺りへと掌を当てた。


「おお」


 特に感想は出なかった。意外性というのは、無いかもしれない。想像通りの、羽毛の感触。そうだ。昔、飼っていた小鳥。彼はその小鳥をそっと掌で包みこんだ時のことを思い出した。


 触発されたかのように、他の四人も手を差し出し七夏の翼に触れた。何故か、梨乃まで。


「うわ、肌触りいい」

「天使の羽、初めて触った」

「確かに、羽だ」


 七夏はこそばゆいような、戸惑っているような、そのどちらとも取れるような表情をしていた。そんな中、田中が素朴な疑問を投げかけてきた。


「触られているって、感触はあるんですよね?」

「もちろん」

「不快だったりしませんよね。ほら、猫が尻尾触られるのを嫌がるように」

「別に無いかな」


 七夏の翼を覆う、しっとりとした羽毛。触ってみると、まるでクッションのような弾力があった。翼は幾重にも重なり密になっている羽毛に守られていた。翼そのものは、華奢で肉は薄く、少し骨ばっているのが分かる。簡単には折れないと七夏は言っていたが、少し力を入れるだけで壊れてしまいそうに感じた。


「そうだ。今思いついたんだけど、羽を逆立てることってできるの? ほら、雀が電線の上でまん丸くなるような」

「無理。とゆーか、私は雀か」

「間戸さんの羽、すべすべなんだけど翼の手入れとかって、やっているの?」

「もちろん。お尻の上の辺りから出る脂を塗りつけてるの」

「ええっ?」

「鼻の脂みたいなものかな?」


 七夏の言葉に、男三人が何とも表現し難い表情となる。しかし、梨乃が即座に否定した。


「嘘」

「うん、嘘」七夏もあっけなく白状した。


 男三人は心なしかほっとした様子だった。その姿を見届けると、七夏と梨乃は、お互い愉快そうな表情で確かめ合った。


「鶴亀印のお手入油。ねーっ」

「ねーっ」


 天使二人が共有する認識らしい。結はこのことを知っていたが、それ以外の人達は何のことやら分からず、置いてけぼりになっていた。たぶん、初めて意気投合した七夏と梨乃。二人は種明かしをする。


「鶴亀印のお手入油はね、五百年の歴史を持つ天使の必需品」

「一週間に一度くらい、その油でお手入れするの。別にこれじゃなきゃ駄目って言う訳じゃないんだけど、他にいいのがあまりないから」

「ちなみに杏油と椿油が主成分。まあ、別にどうってことのない配合なんだけどねー」

「もしも、その油が無かったらどうなるの?」


 毛利の問いかけは、梨乃が引き受けた。


「別にどうもしないわ。ただ、ぱさぱさになっちゃうの。鳥さんと違って、私達は分泌液を出さないから。その――お尻から」


 生存のために必要な鳥の羽毛と、生態としての意味は特に無い天使の羽毛との違いだった。それでも、人類はそれを補うためのものを社会的な手段で提供していた。


 七夏と梨乃の話を聞くうちに、天使の身体に好奇心をそそられたことに尾藤達は気が付いた。彼等も工学者だった。それまで漠然と見てきた天使の翼だったが、それはきちんと、生理学上の要請と解剖学的な整合性の下、無理のない形で構成されているはずだ。最初に聞いてきたのは毛利だった。


「翼の付け根ってどうなっているんですか? どこかの骨と、関節でつながっているんですよね、当然」

「肩甲骨のところよ。私達のは普通の人と形は少し違っていて『杏葉状擬肩甲骨』と呼ばれているの。そこから上腕と翼が別々につながっているのだけど、どんなふうになっているのか、口だけで言い表すのは難しいわ」

「ぎんようじょうぎけんこうこつ――? そんなのあるんだ。安家さん、詳しいね」


 七夏は自分の翼がどうやって背中に付いているのか知らなかったらしい。素直に梨乃のことを褒め称えた。


「筋肉とかどう付いているんだろう。凄く複雑に腱が付いていそうだ」

「それと、良く考えてみると、羽が翼にだけ生えているのって不思議ですよね」

「ああ、確かに。生え際の辺りってどうなっているんだろう」

「見てみる? グロいよー」


 突然そう切り出したのは七夏だった。最初、彼女が何を言わんとしているのか理解できなかった。呆気にとられる同僚達を前に、七夏はブラウスを脱ぎ始める。


 彼等が止める間もなく、七夏は上半身下着姿となった。天使用のタンクトップは、背中が大きく開いていた。梨乃がさっき言ったように、七夏の背中、肩甲骨の辺りからいったん下に向いて伸びる翼が見て取れた。最初の関節で折れ曲がった翼は優雅に上へと向かい、二つ目の関節で再び折れ曲がり、初列風切羽を持つ手羽先へと続いている。


「どうだ、ほんとうにグロいだろー」


 再び宣言する七夏だったが、誰もそうは思わなかった。翼の付け根を境界にして、翼だけに羽毛があった。グロいと言う位だから、背中にもまばらに羽毛が生えていたり、翼の付け根の地肌が見えていたり、羽毛と毛の中間的な何かが生えているとか、その類のおぞましい光景を一瞬警戒した彼等は、ほっと胸をなでおろす。


 一瞬遅れてから、もの凄い剣幕で梨乃が声を上げた。響き渡る荒々しい声。


「ちょっと、間戸さん。な、なに脱いでいるんですか。早く服を着てください!」


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