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山手線内回り騒動

作者: もり子

『絶望しました。新宿駅で自殺します』

 男が胸元に提げた看板には、そう書かれている。

 浮浪者然とした男である。

 看板も、ダンボールを破いてペンで殴り書きしたようだ。

 つんと鋭い異臭が漂う。

 男の周囲だけ、円を描くように人々が避けている。

 山手線内回りの車内である。

 現在地は西日暮里だから、新宿まで残り……九駅。


   ○


 島田は考える。

 この男はきっとホームレスで、相当の苦労を強いられたに違いない。家族、友人、金、健康、……およそ個人の財産と呼べる全てを失ったのだろう。それで自棄になり絶望し、自ら命を絶つことを選んだ。とても悲しいことだ。

 しかし、それはそれとして。

 看板の文言は事実だろうか。

 本当に自ら死を選択した人間が、そのような宣言を残すだろうか。

 いや、残さない。

 要は、構って欲しいだけなのだ。可愛そうな自分に同情を寄せる一般人に、たかろうという魂胆なのだ。路上に座り込み、投げ銭を期待するホームレスと根底は変わらない。なんて恥知らずな人間だろう。

 いやまあ、恥やプライド、信念を捨てでもしなければ生活できないのだろう、この手の輩は。そこだけは少し同情に値する。

 いわば物乞いの進化系だ。

 つまり、看板の宣言は、真っ赤な嘘。

 構う価値なし。……

 しかし、まあ。

 最近、刺激が少なくて飽き飽きしていたところなのだ。

 宣言の真贋を見届けてやるのも、また一興かもしれない。

 電車が田端駅に到着する。   (残り八駅)


   ○


 うら若き乙女は考える。

 この男はきっとホームレスで、相当の苦労を強いられたに違いない。家族、友人、金、健康、……およそ個人の財産と呼べる全てを失ったのだろう。それで自棄になり絶望し、自ら命を絶つことを選んだ。とても悲しいことだ。

 しかし、それはそれとして。

 ここで下手な憐憫を寄せることで、関心をもたれてしまっては堪らない。

 なにせ、うら若き乙女なのだ。世の男から好かれないわけがない。それも、親切にされて好意を抱くなという方が酷な話である。

 それに自分は若いだけでなく、少なくともまあまあ、可愛い。

 まず間違いなく、舞い上がったホームレスに目をつけられてしまうことだろう。

 それは嫌だ。

 率直に言って、つりあわない。

 少なくともまあまあ可愛い自分の恋人は、それなりに高身長高学歴高収入のだいぶハンサムと決まっている。あと、おまけに家庭的。

 だから、ここは話しかけないのがベスト。

 まだ相手がハンサムだったなら考えなくもなかったが、残念ながら下卑た親父である。

 リスクを背負って話しかけるのは、乙女たる自分の役目ではない。

 ほかの男がやるべきだ。

 電車が巣鴨駅に到着する。   (残り七駅)


   ○


 平等至上主義者は考える。

 この男はきっとホームレスで、相当の苦労を強いられたに違いない。家族、友人、金、健康、……およそ個人の財産と呼べる全てを失ったのだろう。それで自棄になり絶望し、自ら命を絶つことを選んだ。とても悲しいことだ。

 しかし、それはそれとして。

 ここで男に手を貸すこと、それ即ち、不平等。

 普段、自分は数多のホームレスを日常的に見かけているが、その全ての存在を無視し、施しを与えようなどとは少しも考えなかった。むしろ、汚らわしいと避けてさえいた。

 そこで唐突に善の心に目覚め、眼前のホームレスにだけ救いの手を差し伸べるというのは、まさしく不平等極まりない。己のポリシーが不均一を許さない。

 今まで無視してきた彼ら彼女らに申し訳ない気持ちもある。

 一時の流れで手を貸してしまえば、今後、ホームレスを見かけるたびに同じく手を貸さなければいけなくなるだろう。

 平等は、楽だが、貫こうとすると意外と苦だ。

 何百人と見て見ぬふりをしてきたのだ。

 今回も、見て見ぬふりをすることにしよう。

 電車が巣鴨駅に到着する。   (残り六駅)


   ○


 主婦は考える。

 この男はきっとホームレスで、相当の苦労を強いられたに違いない。家族、友人、金、健康、……およそ個人の財産と呼べる全てを失ったのだろう。それで自棄になり絶望し、自ら命を絶つことを選んだ。とても悲しいことだ。

 しかし、それはそれとして。

 もしここで関わりでもして、味を占めた男にまとわりつかれたら堪らない。

 家までついて来られたらと思うと、ゾッとする。自分には愛する子供たちと、大切な家と、家庭があるのだ。その幸せに得体の知れない部外者が闖入することは断固避けたい。いや、避けなければならない。

 それには、最初から関わりをもたないのが一番。

 そう、危険と無関係の位置にいるのが、即ち幸福の状態なのだ。

 口では不平を言っているが、実のところ他国に戦争の動きが見られようと、国のどこかで殺人事件が起きようと、事故が起きて死傷者が大勢出ようと、家族に被害が飛び火しないのであれば、どうでもいい。

 大変だなとは思うし、心底同情もする。

 一人前に悲しんだり、哀れんだりする。

 だが、突き詰めていけば、所詮は対岸の火事。

 自分と家族が幸せなら、それでいい。

 だから、それ以外は、どうでもいい。

 電車が大塚駅に到着する。   (残り五駅)


   ○


 思春期は考える。

 この男はきっとホームレスで、相当の苦労を強いられたに違いない。家族、友人、金、健康、……およそ個人の財産と呼べる全てを失ったのだろう。それで自棄になり絶望し、自ら命を絶つことを選んだ。とても悲しいことだ。

 しかし、それはそれとして。

 自分は現在、どうしても抜け出すことのできない、深くて暗い穴に陥り込んでいる。

 穴は、本当に深くて暗い。きっと、世界で一番深くて暗い。

 だから、そこに嵌まり込んでいる自分こそが、世界で一番の不幸者である。

 ホームレスの自殺がなんだ。こっちは、それどころじゃないんだ。

 ホームレスを助けるくらいなら、誰か自分を助けてくれ。

 穴は、本当に深くて暗い。抜け出すことは絶対にできない。それはもう、どんな手段を使っても、どれだけ頑張っても努力しても、脱出不可能だ。

 え。

 努力が足りないんじゃないかって?

 うるせえ! 自分なりに精一杯、頑張ってるんだよ!

 むしろ、その努力に気づかない周囲の人間が環境が社会が悪い。自分は、あまりに運に恵まれていない。

 生まれてくる家や時代を間違えたのかも。

 いや。

 責任を余所に転嫁する時点で、駄目なのだ。

 性根が腐っているのだ。

 ホームレスを助けないのも、

 どうせ全部、自分が悪い。

 電車が池袋駅に到着する。   (残り四駅)


   ○


 若い女は考える。

 この男はきっとホームレスで、相当の苦労を強いられたに違いない。家族、友人、金、健康、……およそ個人の財産と呼べる全てを失ったのだろう。それで自棄になり絶望し、自ら命を絶つことを選んだ。とても悲しいことだ。

 しかし、それはそれとして。


 マジ、キモい。


 電車が目白駅に到着する。   (残り三駅)


   ○


 表現者の卵は考える。

 この男はきっとホームレスで、相当の苦労を強いられたに違いない。家族、友人、金、健康、……およそ個人の財産と呼べる全てを失ったのだろう。それで自棄になり絶望し、自ら命を絶つことを選んだ。とても悲しいことだ。

 しかし、それはそれとして。

 将来的に、自分は必ず成功する。

 自作した表現技巧を駆使して、大勢の人々を幸せな気持ちにさせる。

 そのために、表現者の卵として日夜思索に耽っている。実際、行動に移してもいる。小さな積み重ねこそが成功への近道となるのだ。

 しかし今は。

 なんというのか、少し気が乗らない。

 将来的に、大勢の人々を幸せな気持ちにさせる表現を世に発表していきたいと、願ってはいる。だが、今だけは少し体が怠いというのか肩が重いというのか気が重いというのか、スマホで気になる記事を見つけたからかラインの最中だからか漫画を読んでいるからか、大いなる成功を予感させる表現の取っ掛かりが閃いたため他のことに気を回している暇がないからか、とにかく少しだけ気が乗らない。

 もちろん、《将来的に幸せな気持ちにさせる大勢の人々のリスト》には、ホームレスも含まれているのだ。

 差別するわけがない。

 してはいけない。

 しかし。

 今はまだ、自分の出番ではない。

 あくまで卵なのだから。

 孵化してからが本番である。

 電車が高田馬場駅に到着する。   (残り二駅)


   ○


 若い男は考える。

 この男はきっとホームレスで、相当の苦労を強いられたに違いない。家族、友人、金、健康、……およそ個人の財産と呼べる全てを失ったのだろう。それで自棄になり絶望し、自ら命を絶つことを選んだ。とても悲しいことだ。

 しかし、それはそれとして。

 あと一駅で、新宿だぞ。

 男の提げている看板の文言が真実だとすれば、あと一駅で、自殺は実行される。

 どうして誰も声を掛けないんだ。

 どうして誰も助けてやろうとしないんだよ。

 これだけ大勢の人が車内には溢れているというのに、誰一人として、男に話しかけるどころか、目も合わせようとしない。

 遠巻きに囲むだけで、完全に無視だ。

 こういうのをなんて言うんだっけ。

 我関せず? 

 触らぬ神に祟りなし?

 ともあれ、これは異常だ。自殺宣言をしている男が目の前にいながら、周囲の人々はまるで何の変哲もない日常を過ごす表情を崩さない。

 異常な事態を、通常の風景と感覚で隠蔽しようとしている。

 あまりに男が可愛そうだ。

 この車両には、男を除けば、薄情なヒトデナシしか乗っていない。

 皆、なんのかんの理由をつけては、男と関わることを避けているのだろう。

 まったく、なんてやつら、なんてやつら。

 血も涙もない。

 自分さえ良ければそれでいいのか。

 鬼どもめ。

 自分は。

 心底こいつらを軽蔑する。

 電車が新大久保駅に到着する。   (残り一駅)


   ○


 島田は小さく笑う。

 いよいよ、次の停車駅が新宿だ。ここまでくると楽しみですらある。男の宣言が本当なのか、嘘なのか。本当だとすれば、どんな方法で自殺するのか。好奇心を刺激される。是非とも見届けたい。

 きっと、他の乗客もほとんどが同じ心境のはずだ。さすがに、見届けるためだけに本来降りる予定だった駅を通過してまで新宿に来たという自分みたいな暇人は一握りだろうが、多かれ少なかれ期待はしているはずである。

『絶望しました。新宿駅で自殺します』

 この宣言は本当か、嘘か。思い切るか、思い留まるか。

 しかしひとつ心配なのが、もし宣言が本当だとして、自殺の方法に、周囲を巻き込むような大掛かりな装置を採用する場合だ。巻き込まれては敵わない。すぐに逃げ出せる準備をしておく。


 電車が新宿駅に到着する。


 ドアが開く。

 男がゆっくりと動きだす。

 看板は提げたまま。

 すたり、と。

 ホームに降り立つ。

 どやどやと人々が行き交う。

 人波に男が揉まれる。

 姿が消えた。

 慌てて追う。

 どこだどこだどこだ。

 あ。

 見つけた。

 柄の悪い若者と対峙している。

 人間の品格を極限まで貶めたような感じ。

 社会の害悪でしかない連中のひとりだ。

 普段、周囲から見下され、蔑まれて生きている人種。

 そいつと、

 なにか話している。

「なにがあったか知ンねえけど、死んだら今よりみじめっすよ。ゴミっす、ゴミ」

 喋り方まで品がない。

「おれ、気分屋なんでやっぱりやめたとか言うかもしンねえすけど、とりあえず飯でも食いにいきます? やっすい飯くらいなら金だしますから。まあ、どっちでもいんすけど」

 固唾を呑んで見守る。


   ○


 浮浪者然とした男は、

 社会の害悪でしかない若者を見ると、

 にたあと笑って

「よっしゃ」

 と言った。

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― 新着の感想 ―
[一言] あおりんごの弟さんの作品を全て読ませて頂きましたが、こちらの作品が一番気に入りました! 文章力や語彙力も素晴らしいですが、構成とかそもそもの発想が面白いと思いました。 今後も楽しみにしていま…
[良い点] 新宿駅に着くまでの一駅一駅の緊張感が堪らない。 [一言] 一駅前で降りるのかとか、看板を裏返して最終目的地が変わるのかとか、色々とオチを想像する時間が楽しかったです。 現実で同じことが起…
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