第15回 伊弦さん、一般生徒になる。
学校に通ってからの初の週末。
伊弦は疲れていたので、寝て過ごした。
……という事は出来なかった。
昨日会った兄の結弦が、まず、伊弦の黒制服を見て、気に入らなかったらしく、兄のお金で午前中にグレーの制服を買う事になった。
「いいか、伊弦。目立って良い事なんて何もないんだ。地味に行け。その他大勢って感じがベストだ」
その言葉には、何やら結弦の苦労が垣間見えた気がした。
結弦の場合、外見が良かったせいで苦労を運んだようだ。
日の明るい時は、髪型や、眼鏡や服装などの小道具で、雰囲気で目立たないように、地味で面白くなさそうな男性を演出している。
母の百合もそうだが、周りに空気のように溶け込むのが上手いのだ。
「もう黒制服で一週間も通ったから、今更遅い気がするけど……」
既に悪目立ちをした。
まぁ、黒制服を着て、ずっと北条兄弟の関係者だとアピールし続けるよりはマシだろう。
今のクラスではバッチリと印象が付けられてしまっただろうが、あと半年経てば、クラス替えもあるだろうし、忘れ去られるだろうと思い描いた。
制服を取り扱う、指定洋品店へと向かう。
兄の顔をまじまじと見てしまった店員さんから、制服は速攻で作らせるとの事で、早ければ月曜日には、着て行けそうだ。
午後は、午前中寝て過ごすだろう事を予想した北条兄弟が、勉強を見にという口実で遊びに来た。
伊弦が中学生の社会科の勉強と、高校の予習をしている間、テレビゲームをしていた。
彼等の家では、禁止されているらしい。
「そういえば金が無いと言う割には、何でゲーム機やパソコンとかあるんだ?」
「あー? うん。兄と明治が、暇潰しにと登校拒否時代に買ってくれたんだ」
下手したらそのままニート 一直線だ。
「勉強を見てくれてたんだろ?甘いんだか、甘くないんだか」
「兄は、いざとなったら俺が一生お前を扶養すれば良いだけだから、力を抜いて生きなさいと。明治も、それで駄目人間になって、借金地獄に陥ったとしたら、丸ごと買い取るから、安心して駄目人間になりなさいと、言ってた。それで二人に迷惑かけるのは嫌だったから、それなりに頑張ったよ」
「それだけを聞くとヤンデレのようだ」
泰時が砂でも吐き出しそうな表情を浮かべた。
泰雅は以前に伊弦が解いた、小学校のまとめなどの問題集についていたテスト結果を見ながら話す。
「思ってたより、テスト結果が悪くないのはそういったわけですか」
北条兄弟、二人の中では、伊弦は登校拒否の小学生のままで止まっていたのだろう。
まぁ、精神的にも成長した感じがないので、強ち間違ってはいないのだが。
「流石に全く文字も読めないようじゃ、困るだろうから、漫画やゲームなら楽しい雰囲気で文字を推測して読めるようになるだろうって、明治がね」
そうした自学自習の学習で、だいぶ偏りがあり、その中で、特に酷いのが社会だった。
「問題なのは社会科が、ファンタジー色濃厚で香ばしい解答が頻繁に見られる事だよな。世間一般に知られてる知識に挿げ替えないと」
「漫画かぁ」
泰時が本棚を眺める。
「……んん?日本昔話?童話、絵本とか多いな……って、それなら、まんが日本の歴史や、まんが世界の歴史とか読んどけば良かったんじゃね?」
「ああ昔話とかは、読み聞かせして貰ってた本。私が読む漫画は、脱出系とか、冒険物、異能力バトルとかが多いなぁ。コメディ系も、好きだけど」
泰雅も本棚を眺める。
「女子が好む、恋愛や占いとかが見事にないですね」
「恋愛モノはあまりね」
もし、物語のように恋愛や結婚に憧れて、それらを現実でするとしたら、同じく裏稼業を知る人間でないと、受け入れられないと伊弦は思っている。
自分は良くとも、相手は嫌だろう。
伊弦が直接、手を下したのではないとはいえ、持っている業、殺生に、巻き込まれてしまう可能性がないとは言い切れないのだ。
ヒト殺し。
見も知らない人間を間接的に殺している。
父が言うには、相手はほぼ悪人のみだと、伊弦の心を軽くする為に言ってはいるが、それでもヒト殺しに変わりない。
父がやらなければ、他の人間が引き受けるだけ。
その事に非難するつもりは無いのだ。
それを知っていても付き合い続けられるだろうか。
伊弦は無理だと判断した。
普通の人のフリをして付き合う事も出来るだろうが、あくまで恋愛のみで、結婚は無理だ。
隠さなくてはいけない事が多過ぎる。
薬に関しては処分すれば良いだけだが、貴重な物もあり躊躇するだろう。
現に廃業した今でも、廃棄しろとは父に言われてないせいもあるが、処分していない。
普通の人が見たら、引く事間違いない量である。
とかく種類が多く、その毒に対しての中和剤もある。
裏の繋がりがある人間なら、恋愛対象として見れるのかと問われれば、それは無理だ。闇に染まり歪みきった人間は伊弦の手に負えるものではない。
どこに線引きがあるか、線引きをするのか、見極めないと難しい。
何より、父も母も、伊弦に裏稼業の人間を紹介するような事はなかった。
伊弦の理想は、父と母のような関係だ。
しかし、それは奇跡に近い気がした。
「まぁ、伊弦は、恋愛したくなったらだな。今はまだ早いって事だろ?」
泰時が干し芋を口の中に放りこむ。
泰雅や、泰時、恋愛ではないけど、既知の友人と呼べる存在がいる事が救いだ。
明治も、殺しはしないものの裏稼業に精通した存在で、伊弦の狭い世界での救いとなっている。
彼等の家の力は強大で、決して巻き込まれる事は無い存在だからこそ、安心出来た。
泰時が、またも干し芋を口の中に放り込む。
「ちょっと待て、泰時。その干し芋何個目?国産の干し芋だから、高いんだよ!」
「わかった、わかった。次回お土産に買って持ってくるから、いつもはポテチの癖に」
泰時がついに最後の干し芋を口に加えて、ゲームを再開した。
「伊弦は便秘とかですか?」
泰雅が口を挟む。
「そうじゃ無いけど、偶に無性に食べたくなるんだよ」
「今度プルーンを買ってあげましょう」
悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「生なら良いけど、干したプルーンはやめて」
「不思議ですね〜。芋は生で食べないのに、ドライプルーンやレーズンが苦手だなんて」
泰雅は伊弦がドライプルーンやレーズンが苦手だと知ってる癖にヨーグルトに混ぜたり、パンやケーキにしたりして、食べさせようとする。
「芋は野菜だろ?プルーンや葡萄は果物だ。一緒くたにしたらダメだろ。果物は生で食べたいんだ」
「好き嫌いは良くないですね。ドライプルーンは鉄分豊富で美容にいいというのに」
誰もが見惚れるような笑顔を見せる。
悪戯を隠す作り笑顔だ。
伊弦にしたら胡散臭い事この上ない。
「フルーツグラノーラ…」
「要らない」
「まだ喋っている途中ですよ」
泰雅は呆れたような、悪戯に失敗して微妙な表情を浮かべている。
「うん、自分で食べて」
「用心深くなりましたね」
「付き合い長いからね」
伊弦はニヤリと笑い返すと、泰雅の笑みが本当の笑顔へと変わった。
「あっ、そういえば、新しく制服買ったよ」
「へっ?」
「え?そんなお金、伊弦は持ってないでしょう?」
「近日中には灰色の制服が出来るから。お兄ちゃんが買ってくれた」
「結弦さんが?」
「もう今更変えても反感買うだけだと思いますけどね?」
「俺らが見てない場所で、イジメられるかもしれないぞ?」
陰口なら、既に叩かれている。
逃げるのも小学生の頃にやった事だ。
「まだ、僕達の配下の人間だと思われてた方が安全じゃないですか?」
泰雅も泰時も反対のようだ。
「う〜ん、でも、折角買って貰ったんだから、袖は通さないとだね」
「それを言うならアレもか?」
泰時が白の制服を指差す。
明治から贈られた西条家の関係者用制服だ。
「いやいや、明治は先生だし。アレ着たらかなり変に思われると思うけど。先生の個人的な関係者っていいの?」
「うんうん、変だから、辞めておこうな」
泰時が、何やら嬉しそうだ。
伊弦が白制服の着用をしないというだけで、喜んでいるのは、やはり明治が嫌いなせいだろう。
泰雅は、明治に密かに憧れてるようなのに、泰時は、かなり嫌っている。
過去において、伊弦同様、明治も二人の命の恩人になのだが。
この二人はどこで感情を分けたのか、明治に対して印象が違っていた。
「まあ、兎に角、これで一般生徒の仲間入りだね」
「一般生徒ねぇ」
ゲームをしながら聞いていた泰時が苦笑した。
翌日の夕方に結弦が制服が出来上がったようだから、試着をしようと、伊弦を店に連れて行った。
試着している間に結弦は店員に逆ナンされたいたらしく、顔に疲れたとか、面倒臭いと文字が浮かんでいた。
試着室から出る伊弦を見て、結弦はしばし眺めてから、
着心地を聞く。
「うん、似合っているね。キツイところとかない?」
「ありがとう。大丈夫かな」
「じゃあ、元の服に着替えて帰るよ」
車の中で久しぶりの家族の会話をする。
「伊弦、学校は無理してないか?いじめられてないか?」
「悪口はたまに言われてるようだけど。心配するような陰湿なイジメとかは、まだないよ。他のクラスの子だけど、友達も出来たし。良い先輩達が、構ってくれてるせいか、ちょっと遠巻きにされる事は、あるけど」
「そうか。前に高校へ行く話を明治に話したら、また伊弦がイジメを受けないか、明治もお前の事を心配してた」
どうやら兄を通じて、学校へ通う話が明治に漏れたらしい。
「あの、その、……明治、先生になってるんだけど」
「……何だって?」
結弦のまゆが釣り上がる。
「アイツ、お前の事を口説いてないよな?」
「う、うん。あり得ないよ」
「明治には注意しろ。……女グセが治ったと思っていたが、恋愛対象が伊弦になってたとかなら、許さん」
「まさか、十も離れてるし」
泰時といい、結弦といい、考え過ぎだ。
「アイツは、伊弦に会う前は、女の取っ替え引っ換えが、酷かったんだ。女の香水の移り香をぷんぷんさせて、伊弦の精神衛生上良くないから、合わせ無かったというのに」
「あはははは。多分その時かもね。なんだかお母さんのような匂いがする、って言ったら、以降香水の匂いがしなくなったから」
それを聞いて、また結弦が微妙な表情で固まっていた。
「お前は巻き込まれ体質だからな。気を付けとけよ」
結弦がため息を吐いた。