恋人と出会いました。
可愛い可愛い恋人を腕に収めることに成功した俺は、そのことのもたらす安堵と高揚を同時に感じていた。
「あー……」
呻くとともに、ぎりぎりで平衡を保つそれを何とか胸中に抑え込む。
二つの相反する気持ちはどうしようもないことに等しい大きさを持っていて、どちらもただ一つの存在、俺の恋人に向いている。均衡は少しのことで雪崩のように瓦解し、同じ重さで恋人に注がれてしまう。
「何かなー、うん。本当にどうしようもないよなー」
自分のことながら、単純すぎる反応に呆れるしかない。
恋人がそこにいる。それだけで意識やら五感?まで全部持っていかれる。残念なことに、この反応は恋人になる前から、何なら出会ったときから起きているもので既に体に染み付いていた。
出会ってから数年、好きだって思いだけが降り積もってしまったのだった。
「というか、いや、突然で悪いんだけどよ」
持っていかれた意識は、眼前の恋人を飛び越えて過去のこいつまでとんでしまった。
「出会ってから、もう結構経つんだな……」
毎日毎日、飽きずに思うことは変わらず、気がついたら出会って数年が経っていた。
出会ったのは、俺がまだ高校生の頃。当時の俺は、それなりに勉強して、それなりに就職活動して、運が良かったことに特に問題もなく就職できてしまっていた。
毎日毎日、ほどほどの努力と慣れと惰性で生きていた俺は、何に打ち込むこともなく、かといって絶望することもなく漫然と日々を過ごしていた。
「確か、冬だったよなー、俺らが出会ったのって」
その日もいつもと変わらず、遅刻はしないが特に早くもない時間に家を出て、学校に向かっていた。
その道中のことは、吹く風の匂いも浮かぶ雲の形も覚えていない。
ただ一つ、突然目の前に現れた存在のことばかりを強く覚えている。
「俺さ、お前が目の前に現れた時、本当に驚いたんだ。いや、確かに上から人間が降ってきたことにもビックリしたけどよ、こんな綺麗なやつが存在するんだなー、って」
通学路を歩く俺の目の前に、突然何かが降ってきた。
何事か、と降ってきたそれを凝視した俺は、そのまま言葉を失ってしまった。その衝撃っていったら、数年経った今も色褪せねえ。
考えるのを忘れて、ただ見惚れた。
綺麗だ。それ以外のことは何もわからなかった。
「今さらだけどよ、一目惚れってやつだよな」
現れた人間は、圧倒的な存在感と惹き付けられる魅力を持っていて、惚れるのに時間はいらなかった。惚れる、っていうか全部持っていかれた。
ぐらっと自分の中の何もかもが揺さぶられて、呼吸すら覚束なかった。誇張とかなしに、あとにも先にも呼吸を忘れたのはあの時が唯一だ。
「……いやさ、俺だってそれまで普通に生きてきたんだよ。常識はあったって。……多分」
で、その存在、未来の俺の恋人様がこちらを向いたとき、俺は吸い込まれるの意味を知った。
次の瞬間には、自分の中に生まれた初めての感情に呑まれそうになっていた。
「だって仕方ねえだろ。冗談なしに、言わねえとおかしくなりそうだったんだからよ」
溢れそうな思いは、俺のうちに抑え込むには多すぎた。だから俺は、常識も何もすっとばしてその感情を声高に叫んでいた。
「お前が好きだ、って」
で、言った次の瞬間には、初めての失恋に挫けそうになっていた。
「冗談もからかいもねえよ。というか、俺はいつも本気だって」
失恋したけど、自分の中に諦めるという選択肢は生まれなかった。付き合うようなるまでそんな考えとは無縁だった。今もない。
だって、本当に全部持っていかれたんだ。積み上げたもの全部なくなって、目の前のそいつ以外どうでもよくなったんだ。
比喩でも何でもなしに、そいつが世界の全てになったんだ。失うなんて、あり得ねえだろ。
「まぁ、若干ストーカー染みてたのは認める。俺も若かったんだよ」
その日から、俺のアプローチの日々がはじまった。
付き合うようなるまで飽きもせず諦めもせず、気がついたらこいつのことを考えていて、どうしたら好いてもらえるかばかり考えていた。生まれて初めて、何かにのめり込んだ。
……若かった、って言ったけど、今起こっても間違いなく同じことをする。だって、好きだから。
当時のことを思い出すと、今の状況は改めて夢のようなことだとわかる。だって、大好きな相手を腕に収められるようになったんだぞ。喜べ当時の俺。今の俺は喜びでいっぱいだぞ。
「あー、やっぱり無理だわ。抑えるとか」
同じ大きさのそれは、結局積もりすぎて保つのなんて無理になった。
結局は、今日も声にださずにはいられない。
「なぁ、俺、お前が好きだ」
次の瞬間に、ふられることは当然なかった。