恋人を移してみました。
しつこくないとわかった今、俺は遠慮なく愛を語りたくなっている。
困ったことに、常に生まれる熱いそれは俺の中をぐるぐるしていて、定期的に吐き出さないとおかしくなりそうな勢いになっている。こんなこと思っている時点で頭はもう大分いかれてるけどな。そこのところは、もう諦めている。
しかし、それを許さない現実がある。
いい加減、恋人をシーツから移動させる、を実行しなければならなかった。
「あー、じゃあそろそろお前のこと移動させるんだけどよ、ちょっと待っててくれ」
そう言って、俺は立ち上がり布団から離れる。まぁ1Kの広くはない部屋だから、移動できる距離なんてたかが知れてるんだが。
「あれと……あ、あとこっちか。これも……あったほうがいいか。あとは……」
部屋を行ったり来たりしながら、俺は手当たり次第にあるものを集める。
腕で抱えるくらいの量が集まると、それを持って布団に戻った。
「待たせて悪かった。ちょっと選んでもらいたいんだけどよ……」
恋人を踏まないように気をつけながら、布団の上に集めたものを並べていく。
「移動させるのにお前の……何て言うか、乗り物?集めてきたから、入ってもいいもの選んでくれ」
タッパーやコップ、鍋にガラス瓶、と布団の上には液体が入りそうな容器が広げられている。
恋人を移動させる上で、恋人の乗り物……言い方を選ばなければ容器が必要になる。
泡になった恋人を、何にも入れずに動かしたら危ないことこの上ない。少し溢しました、ってだけで人体欠損の大惨事になるんだぞ。多分だけど。
だから、とりあえず部屋にある恋人の入りそうなものを片っ端から集めてきた。見たところ、恋人の全量はコップ半分程度だったから、幸い候補は沢山あった。
「あー……まぁ、自分が鍋だのコップだのに入るなんて想像したことねえだろ、普通。ゆっくり選んでくれていいから」
鍋に入るとかどんなメルヘンだよ。
……と思ったが、考えてみるとそこまでおかしくなかった。
鍋にちょこんと座るこいつ……あ、悪くねえ。というか全然有り。コップでもありだな。細長い中でジャンプしてるとか。いや、タッパーの中で眠ってるところとかも……ああ、やべえ可愛い。何してても可愛い。やっぱり俺の恋人様は何をしていても最強に可愛い。
と、そんな甘い想像に耽っていたら、恋人が何かに困っているのに気がついた。
「どうした?何か、変なもんでもあったか?」
容器のチョイスが気に障ったか、と思ったが怒っている様子はない。何か、驚いてる感じか?
……何か、一歩引いて考えると泡の気持ちを察せるってすごいことだよな。いや、これはただの泡じゃなくて大事な大事な恋人なんだが。じゃあ愛の力か、それなら納得だ。
と、そんなことを考えながら自分の持ってきた乗り物候補を改めて見る。変なものはないつもりなんだが、こいつが気にするとしたら、という条件で考えると、ある一つの容器がそれに当てはまった。
多分これだろう、とその容器に手を伸ばした。
「ああ、この小瓶か?」
ひょい、とガラスの小瓶を持ち上げる。
俺の予想は当たったようで、恋人様は、間違っている、という意志を示さない。
「懐かしいか?俺、これは大切にとってあるんだぜ?」
ガラスの小瓶と恋人に交互に視線を送り、目を細めて俺は当時を思い出す。
「お前から、初めて貰ったものだからな」
数年前の、まだ俺とこいつが付き合っていなかった頃。
当時の俺と来たら、こいつに気にしてもらえるか、振り向いてもらえるか、好きになってもらえるか、と常にそういったことに頭を悩ませていた。ああ、何だ。今と変わらねえな。
で、ちょうどよくバレンタインなんて日があって、俺は気合いを入れてチョコレートを渡したわけだった。
……今思ってもあれは多かった。チョコレートのブランド?とかよくわからなかったから、スーパーでやたら大量にチョコレートを買った。手作りはちょっと技術が追いつかなくて、歪な形のチョコも一緒に渡してしまった。
「俺さー、あの時チョコ渡しすぎてお前のこと困らせただろ?だから、ホワイトデーにお返しがあるなんて思わなかったんだよ」
持ち帰れないほどのチョコレートを渡して困らせた日から一月、ホワイトデーなる日にばったり出会って、その場でこいつがお返しをくれた。
「流石にコンビニのビニール袋はとっておけなかったんだけどよ、その瓶は本当に宝物なんだ」
近くのコンビニで、ホワイトデー用のチョコレートなんてスルーして、こいつは菓子売り場の金平糖の瓶を手に取った。
それをレジに通すやいなや、ビニール袋に入ったそれを袋ごと俺にくれた。お返しだ、と一言つけて。
「金平糖がきらきらしててさー、食べるの勿体なくて仕方なかったんだよなー」
それでも、きらきら光る金平糖は、冬が春になり夏になるに連れて溶けていき、結局残念に思いながら一粒ずつ噛み締めて食べた。
残った小瓶は、中の星がなくなっても光を通すときらきらしていて、ただの瓶のはずなのに俺には何よりも大切な宝物になった。こいつが恋人になってくれてからは、二番目だけどな。
「……ん?」
遠くに向けていた視線を恋人に送ると、何か伝えようと泡立っていた。
「……この小瓶に入る、のか?」
恋人が肯定の意志を示した。
あ、あと照れてる。お前から貰ったものが宝物なんて当たり前のことだろうに。あー、でも可愛いなあ。俺の恋人様は。
「ん、じゃあ入れるから……ちょっと触るけど、我慢してくれ」
小瓶を開けて、そうっと恋人を中に入れていく。恋人に触れる、その瞬間は何回やっても緊張して仕方ねえ。
「…………よし」
無事、恋人を小瓶に移すことに成功した。泡だから難しいかと思ったら、全体は緩く繋がっていて、スライム?みたいにまとまって中に入ってくれた。
「大丈夫か?気を付けたつもりだけど、どっか痛いとか苦しいとかあるか?」
小瓶にそこそこいっぱいに入った恋人は、おそらく狭く体勢にも無理があるだろう。
しかし予想に反して、恋人は大丈夫だ、と意志を示し、そこに無理をしている様子は見られない。今さらだけど、どうなっているんだ、この泡の姿って。
「あー……」
恋人が入った瓶を、俺はまじまじと見つめる。
大切な宝物に、大事な恋人が入っている。
そして、そんな存在が俺の手の中にある。
「何かさー」
思いついたことを、俺はそのまま口に出した。
「やっぱり、お前が腕の中にいるって良いよなー」
そんな金平糖よりも甘い状況で、きらきら光る恋人が愛しくて仕方なかった。