8
空が茜色に彩られ、カラスの鳴き声が響き渡る。
良い子はもう帰る時間だ。
「おい、由佳子。お前どうしてここにいるのだ。秀才がこんなところで油を売っていていいのか。明日は大事な大事な期末試験だろう」
「まったく、素直に助けてくれてありがとうって言えないの? 素直じゃない男は嫌だねー」
ちっ、こいつ相手ではペースが狂う。
勝てる気がしない。
由佳子は弟子たちの傍に近づき、目線を合わせるように少し屈む。
「怖かったね。だけど、大丈夫。怖い人はお姉ちゃんが追っ払ったから」
咲は満面の笑みで由佳子に抱きつき、ひろしも鼻を膨らませ、由佳子の胸に飛び込もうとして殴られていた。
子供にも容赦がないとは恐ろしい女だ。
しかし、あいつは弟子たちの師匠でもなんでもないというのに、あの人気っぷりは何なのだ。
勘違いするなよ。
俺は嫉妬をしているわけではない。断じてない。
ただ、ほぼ毎日顔を合わせている俺よりも月に数回しか会わない由佳子の方が懐かれていることに納得がいかないだけだ。
「まぁ、あたしがここに来た理由はさ。ちょっと太郎が心配になってね。様子を見に来たわけ」
「…」
「ちゃんとあのこと…言えてるかなって」
あのこと? と咲が首を傾げる。ひろしや優太も同様にぽかーっと間抜け面を前面に押し出している。
そんな弟子たちの様子を見て、由佳子は大きく嘆息する。
「はぁー、やっぱり言えてなかったんだ。…チキンめ」
「だーまーれ! 誰がチキンだ」
「ねぇ、ししょー。ど、どーゆーこと?」
ひろしが俺の袖を掴む。
その顔には不安の色が浮かんでいる。
俺は努めて明るい声で言ってやる。
「なーに、別に大したことではない! そう深刻そうな顔をするな。はっはっは」
俺は息を吸い込む。冷たい空気が一気に肺まで入ってくる。
あぁー、苦しい。
これを――言いたくないな。
やめちまおうかな。
「太郎!」
由佳子に睨まれる。
畜生め。
由佳子は俺がこういう性格なのを知っているから、わざわざここまで来たのだろう。
これだから幼馴染は嫌だ。秘密も糞もありゃしないではないか。
あいつは俺がちゃんとこのことを言えるかの監視役だ。
…わかってるさ。俺は馬鹿ではない。
今日は何をしに来た? これを言いに来たのだろう。
「少しの間だ! 少しだけだ。永遠にという話ではない」
これは誰に対する言葉か。もしかしたら自分に対する言葉かも知れない。
空を見る。駄目だ、顔を合わすことができない。
だけど――言うしかない。
「俺はお前たちの師匠を――やめる!」




