金色の獣
本当に眠いときの彼は、口に手も当てず思い切りあくびをする。そのようすが、彼の髪は金色でも長くもないのに百獣の王を思わせてわたしを戸惑わせるのだ。実際には、彼は思いを寄せる女性――つまりこの私という女にその気持ちを告げることにさえ、ほぼ二年の歳月を要した人間であるというのに。
「眠いの?」
淹れたばかりの紅茶を、不機嫌な女の子のプリントと手に馴染むフォルムが気に入って雑貨屋で購入したマグカップに注いで彼の前に置く。繊細さを併せ持ちながらも骨張ってどこか武骨なその手指に、その食器は不思議なまでに似合っていた。
「ありがとう。」
微笑む表情すら、曖昧で眠たそう。けれども、彼はわたしの質問には答えることなく黙ってダージリンを嚥下した。
「……そういえば、次の日曜。天気予報も快晴だって言ってたし、どこかドライブでも行かない?」
彼の台詞は同棲している男女間で交わされるには、ひどく不似合いな印象をわたしに与えた。一瞬だけ、彼の膝の上に幼いこどもが乗っているような、そんな錯覚を覚えてしまう。
わたし達の関係は、恋人同士というには落ち着きすぎていた。それは既に熟しきって、相手の言動に一喜一憂するといった不安定さは微塵もない。けれども、わたし達はまた夫婦でも有り得ない。籍を入れることに対する違和感はあっても、魅力は少しも感じられなかった。
「……そうね。楽しそう。」
手にしていた、元は彼のものであった空色のカップをテーブルに置くとわたしはそう答えた。それはけして、欺瞞ではないのだ。わたし達の関係に関するわたしの考察を聞けば、たいていの人間はわたしが不満に思っているのだと考えるかもしれない。でも、それは少し……ううん、だいぶ違うものだと思う。
「どこか行きたいところはある?」
彼は二、三度、瞬きをした後にまっすぐにわたしを見つめた。その眸はひどく澄んでいて、またもわたしにあの金色の獣を思わせる。果たしてほかの動物を喰らうて悪く思う肉食獣がいるだろうか? もしかすると彼は非常に例外的なこころを持つ、美しいライオンなのかもしれなかった。
「そうね、動物園なんてどう?」
脳裏に、檻のなかを滑稽なまでに堂々と歩いてみせるけものが思い浮かんだ。あれは彼ではない。彼はサバンナで悠々とあくびをしている王様で、あの狭い空間を闊歩しているくすんだ黄土色の雌はわたしだ。
「いいね、楽しそうだ。」
そう微笑む彼は、とても穏やかでやさしい顔をしていた。その穏やかさが、結局のところは彼の魅力でありわたしを惹きつける理由なのだと思う。
「ライオンは、どうしているかしら。」
そう呟いたわたしに、彼は不思議そうな表情で首を傾げた。あの檻のなかのわたしの半身は、もしかするとサバンナに残してきたたったひとりの家族を思って途方に暮れているのかもしれなかった。