長所
長所ってなにか。
特徴の事ではない。何故かって、特徴を長所とするならばわたしはダヴィンチより優れていなければならない。そうしてそれは、断言してもいい。不可能だ。
俺の特徴。
背が低い。ノン。身長があることは少なくとも高いところにあるものを取る分には役立つ。
文を書こうと思う。ノン。誰だって書ける。その意味が通じるかはさておき、その言葉で。
絵を描ける。ノン。わたしの描く絵は赤ん坊の手先にも及ばない。
ならば。
発想。ノン。独創性において、彼のようなアイディアは出てこない。
探究。ノン。研究の質において、彼のように人を動かすに足ることは出来ない。
掌握。ノン。これこそが最もに不可能だ。
顔、血統、体型、匂い、性格、特性。
あらゆる否定の末、’劣った’人間は特徴にすがるようになった。
'特長'ではない。その事実はすなわち人間を退化させているとすらわたしは述べる。
わたしは優性論者じゃない。ユダヤだってだいっきらいだ。ヒトラーだってなんで生まれちまったんだとすら思う。
けれど、彼は少なくとも少なくない人を纏め、そうして(直接の著作を読まずに、ドイツ語の分からないわたしに演説してる姿を動画で見せるだけで)わたしの考えにまで確信を抱かせる。それを成せる事は稀有な才能なのだとわたしは思う。あれこそが'特長'なのだと。
セカイにヒトツだけのハナってさ、全員そうなのだから。
その為すべき実こそが重要で、ハナであり続ける限り、そのハナは美しいって判断できるほど、わたしたちは客観的になりきれないサルなんだろうなと思った。未だに。
いつになったら、僕らは進化できるのだろうか。