魔王が滅んで世界は平和になりました。でも、私たちの町は死にかけています。
「ギルドを閉鎖するしかありません」
会計係の言葉に、私は返事ができなかった。
机の上には、王国軍から届いた一通の通知書。
『魔王軍壊滅に伴い、辺境方面における軍事輸送および護衛業務の委託契約を、今月末をもって終了する』
何度読み返しても、内容は変わらない。
「……全部?」
「全部です。軍からの依頼は、今月末でゼロになります」
私は窓の外を見た。かつて魔王軍との戦いの最前線だった、この町。
大通りには冒険者たちが行き交い、宿屋はいつも満室だった。鍛冶屋は夜遅くまで剣を打ち、食堂では朝から晩まで大鍋が煮えていた。
それが今では、通りを歩く人影もまばらだ。
魔王が討伐されたのは、三か月前。王国中が歓喜に包まれた。
もちろん、私だって嬉しかった。もう誰も戦争で死ななくて済む。村が焼かれることも、避難民が押し寄せることもない。
こんなに素晴らしいことはないはずだった。
「ギルド長。冒険者の登録数は、先月から四割減っています」
「……そう」
「このままだと、残った人たちへの仕事もありません」
私は机の上の帳簿を閉じた。
平和になった。なのに、私たちの町は死にかけている。
◇
「護衛の仕事ならあるんだよ」
昼過ぎ、私は商業組合の代表と向かい合っていた。彼は困り果てた顔で、机に地図を広げた。
「魔王軍がいなくなったおかげで、東の交易路が使えるようになった。向こうの町には、こっちで不足している塩や織物がある。逆に、向こうではこちらの鉄製品や薬草が高く売れる」
「だったら商隊を出せばいいじゃない」
「出したいさ。だが、野生の魔物は残っている」
魔王軍は滅んだ。けれど、魔物そのものが消えたわけではない。交易路を使うには、冒険者の護衛が必要だった。
「護衛料が高すぎるんだよ」
代表は帳簿を見せた。
荷馬車一台を安全に通すには、最低でも四人の冒険者が必要になる。往復の日数と危険手当を考えると、商人一人で負担できる金額ではない。
「かといって、冒険者に安く働けと言うわけにもいかない。命を懸ける仕事だからな」
「そうね」
「何人かの商人で護衛を共同雇用する案も出ている。だが、うまくいかん」
「どうして?」
「荷物が揃わないんだ」
商人によって、仕入れの時期も販売先も違う。出発日を揃えようとすれば、誰かが荷物を倉庫に寝かせなければならない。その間の保管料もかかる。
さらに、輸送中に事故が起きた場合の責任分担も決まらない。
「誰が護衛を指揮するのか。誰の荷物を優先するのか。遅れた商人を待つのか。そんなことを話し合っているうちに、結局まとまらなくなる」
私は黙って地図を見つめた。
東の交易路。戦争中は、軍が物資を運ぶために使っていた道だ。私たちのギルドも、何度となく輸送隊の護衛を担当した。数十台の荷馬車を、一度に護衛したこともある。
そのとき、荷物の持ち主が誰かなんて、考えたこともなかった。
なぜなら――。
「あれ?」
「どうした?」
「軍の輸送って、荷物の持ち主が違っても一緒に運んでいたわよね」
「そりゃ軍が全部まとめていたからな」
「そう。軍がまとめていた」
私は顔を上げた。
「だったら、今度は私たちがまとめればいいんじゃない?」
◇
「商隊を運営する?」
翌朝、ギルドの会議室に集まった冒険者たちは、揃って首をかしげた。
「そう。護衛の依頼を待つんじゃなくて、ギルドが定期商隊を運営するの」
私は黒板に大きく書いた。
『東方交易路・毎週月曜日出発』
「商人が個別に護衛を雇うのは高すぎる。でも、十台の荷馬車をまとめて護衛するなら、護衛の人数は十倍にはならない」
「そりゃそうだが……」
「だからギルドが護衛隊を編成する。商人は荷馬車一台ごとに輸送料を払う。出発日は固定。遅れた荷物は翌週。事故時の補償も、あらかじめ契約で決めておく」
会計係が眉をひそめた。
「でも、ギルドがそんな責任を負えるんですか?」
「軍の輸送護衛を何年やってきたと思っているの?」
「軍が指揮していたでしょう」
「輸送計画を立てていたのは軍。でも、実際に隊列を組んで魔物を警戒し、荷馬車を守っていたのは私たちよ」
私は棚から古い記録簿を取り出した。軍から委託された輸送護衛の実績。出発時刻、到着時刻、護衛人数、魔物の出現場所、荷馬車の損傷記録。何年分も残っている。
「私たちには経験も記録もある。足りないのは商人との契約だけ」
冒険者の一人が手を挙げた。
「でも、十台も集まらなかったら?」
「運行しない。最低六台集まった週だけ出発する」
「毎週月曜って書いてあるぞ?」
「だから、それを商人に約束するの。六台集まったら必ず出発する。集まらなければ早めに知らせる。商人が予定を立てられるようにするためよ」
会計係が帳簿を開いた。
「……六台なら、護衛料を払っても黒字にはなりますね。ただし、以前の軍の契約ほど儲かりません」
「戦争中と同じだけ儲けようなんて思ってないわ」
私は冒険者たちを見回した。
「みんなが食べていける仕事を作りたいの」
会議室が静かになった。やがて、一人のベテラン冒険者が笑った。
「いいじゃねえか。魔王軍を相手にしていた俺たちが、今度は商人の荷物を守るってわけだ」
「嫌?」
「まさか。俺は戦争なんか、もうこりごりだ」
その言葉に、何人かが頷いた。
「だったら決まりね」
私は黒板の下に、もう一行書き加えた。
『第一便、来週出発』
◇
ところが、商業組合へ計画を持ち込むと、代表は難しい顔をした。
「話はわかった。だが、六台集まる保証はないぞ」
「もちろん」
「そもそも、誰が最初に申し込む? 六台集まらなければ運行しないんだろう?」
私は口を閉じた。確かに、その通りだった。
商人たちは皆、商隊が運行するなら参加したい。しかし運行するかわからない商隊に、商品の仕入れや出荷予定を合わせることはできない。
全員が誰かの申し込みを待つ。それでは、いつまで経っても六台にならない。
「……なるほどね」
「だから共同輸送の話は何度も出たが、実現しなかったんだ」
私はしばらく考えた。そして、ふと窓の外を見た。
向かいにある宿屋。戦争中は、軍の輸送隊が到着するたびに満室になっていた宿屋だ。今は看板に『休業予定』と書かれている。
「代表。一つ聞いていい?」
「なんだ?」
「商人が商隊に参加するのは、荷物を運びたいからよね」
「当たり前だ」
「じゃあ、荷物を運びたい人が六人いなければ、商隊は成立しない?」
「……どういう意味だ?」
私は笑った。
「私たちが三台。商業組合も三台。合わせて六台の荷馬車を用意するの」
「……六台?」
「そう。これで最低運行台数は確保できる。一般商人の申し込みが一件もなくても、必ず出発できるわ」
代表は腕を組んだ。
「なるほど。だが、それでは六台全部埋まってしまうぞ?」
「一般商人から申し込みが入ったら、その分だけ私たちの荷物を減らせばいいのよ」
「つまり、商隊が必ず出ると保証した上で、商人たちに参加を募るわけか」
「そういうこと」
代表はしばらく考え込んだ。やがて、にやりと笑った。
「面白い。うちも三台出そう」
「本当!?」
「商人たちも、ずっと交易を再開したがっていたんだ。最初のリスクくらい、商業組合が引き受けなくてどうする」
私は思わず笑顔になった。
「ありがとう!」
「礼を言うのはまだ早い。東の町はどうする?」
「東の町?」
「向こうから帰ってくる荷物がなければ、復路が空荷になる。それでは採算が悪い」
私は地図を見た。
東の町にも、冒険者ギルドがある。そして、商業組合も。
「……向こうにも、同じことをしてもらえばいいんじゃない?」
代表が目を丸くした。
「同じこと?」
「向こうの冒険者ギルドと商業組合にも、三台ずつ荷馬車を出してもらうの。そうすれば、向こうからも定期便が出せる」
「おお……!」
「それに、向こうのギルドだって軍の仕事がなくなって困っているはずよ」
代表は大きく頷いた。
「よし。東の商業組合には俺が連絡しよう」
「じゃあ、冒険者ギルドには私が!」
こうして、二つの町を結ぶ定期商隊計画が動き始めた。
◇
三日後。
「ギルド長! 東の町からお客様です!」
受付係が慌てて飛び込んできた。
「お客様?」
「冒険者ギルド長と商業組合の代表です! 護衛の冒険者を連れて、早馬で駆けつけてきました!」
「……えっ?」
私は思わず立ち上がった。
会議室へ向かうと、旅装のままの男が二人、地図を広げて待っていた。どちらも馬を飛ばしてきたらしく、外套には街道の土埃がついている。
「東の町から、代表が二人とも来たんですか?」
「ああ!」
冒険者ギルド長が勢いよく頷いた。
「うちだって町が死にかけているんだ! 一日も早く仕事が必要なんだよ。危険だからって、待っていられるか!」
隣の商業組合代表も頷いた。
「商人たちは荷物を運びたがっている。冒険者たちは仕事を探している。なのに、誰も動けずにいるんだ。そちらの話を聞いて、じっとしていられなくなった」
私は二人の顔を見た。疲れている。けれど、その目には期待があった。
「……わかりました。すぐに始めましょう!」
私たちは地図を囲んだ。
「まず、お互いの町から必ず商隊を出すこと。最初の一便だけじゃなく、定期的に」
「もちろんだ!」
「それから、護衛の担当区間と報酬の分配も決めましょう」
「途中の宿場を境に、双方のギルドで護衛を交代するのはどうだ?」
「いいわね。それなら冒険者が何日も町を離れずに済む」
商業組合の代表たちも加わり、荷馬車の手配、商品の積み替え、事故時の補償について話し合った。
議論は夕方まで続いた。そして最後に、四つの組織が一枚の契約書に署名した。
『東西定期商隊・共同運営契約』
私は署名を終えた契約書を見つめた。
たった二つの町を結ぶ、小さな契約。でも、これが成功すれば。
「……ねえ」
「なんだ?」
「この仕組み、他の町でも使えると思わない?」
東のギルド長が笑った。
「まずは最初の一便を成功させようぜ」
「そうね」
私は笑い返した。
◇
第一便の出発日。
ギルドの前には、六台の荷馬車が並んでいた。
商業組合が三台。冒険者ギルドが三台。……の予定だった。
「ギルド長! 一般商人からの申し込みが四台分入りました!」
会計係が駆け込んできた。
「四台!?」
「はい! 出発が確定していると聞いて、次々と!」
私は思わず商業組合の代表を見た。彼は満面の笑みを浮かべていた。
「ほらな! みんな待っていたんだよ!」
「じゃあ、私たちの荷物は二台分だけでいいわね」
「そういうことだ!」
こうして、六台の荷馬車が出発した。護衛を担当する冒険者たちは、久しぶりの仕事に張り切っている。
「ギルド長! 準備完了です!」
「ありがとう。安全第一でお願いね」
「任せてください!」
私は荷馬車の列を見送った。
大通りの両側には、町の人たちが集まっていた。宿屋の主人、鍛冶屋、食堂のおかみさん。みんな、黙って荷馬車を見つめている。
戦争中、ここを通る荷馬車には武器や軍用食料が積まれていた。
今、積まれているのは商品だ。誰かを殺すための荷物ではない。誰かの暮らしを豊かにするための荷物。
「……行ってらっしゃい」
私は小さく呟いた。
◇
六日後。
「帰ってきたぞおおお!」
見張り台から声が響いた。私はギルドを飛び出した。
町の門をくぐってきたのは、六台の荷馬車。
全員無事。荷物も無事。そして、荷台には見慣れない商品が山ほど積まれていた。
「ギルド長!」
護衛隊長が馬車から飛び降りた。
「全部売れました! 鉄製品も薬草も、向こうじゃ飛ぶように売れましたよ!」
「本当!?」
「それだけじゃありません。向こうの商人たちが、次の便に商品を載せたいって!」
彼が差し出したのは、申し込み用紙の束だった。
私は目を丸くした。
「……こんなに?」
「はい! 東の町では、次の便の予約がもういっぱいです!」
その瞬間、背後から大きな歓声が上がった。
商業組合の代表が、私の肩を叩いた。
「やったな、ギルド長!」
「ええ!」
「こっちの商人たちも、次の便に申し込みたいそうだ!」
「本当に!?」
「もう六台じゃ足りんぞ!」
私は笑った。笑いながら、目の奥が熱くなった。
魔王が滅んだ。戦争が終わった。私たちは仕事を失った。
もう、この町は終わりなのかと思った。
でも。
「ギルド長!」
会計係が走ってきた。
「鍛冶屋が、荷馬車の修理依頼が増えるから人を雇い直すそうです!」
「そう!」
「それから食堂のおかみさんが、今日から夜営業を再開するって!」
私は通りを見渡した。
荷馬車から商品が下ろされ、商人たちが値段を交渉する。冒険者たちが笑いながら報酬を受け取り、宿屋の主人が慌てて休業予定の看板を外している。
町が、動き始めていた。
「……よかった」
私は呟いた。
魔王が滅んで、世界は平和になった。そして今、ようやく私たちの町にも平和がやってきた。
「ギルド長! 次の商隊、いつ出します!?」
護衛隊長が叫んだ。
私は笑って答えた。
「もちろん、明日の月曜日よ!」
「だが、それだけでは足りないぞ! 荷物が多すぎる!」
「え?」
「週二便にしてくれ!」
私は思わず吹き出した。
ついこの間まで、仕事がないと嘆いていたのに。今度は仕事が多すぎるらしい。
「……まったく、商人って勝手なんだから!」
そう言いながら、私はギルドの扉を開けた。
中では会計係が、新しい申し込み用紙を山ほど用意していた。
「ギルド長。仕事ですよ」
「ええ!」
私は笑顔で席に着いた。
戦争は終わった。けれど、冒険者たちの仕事は終わらない。
今度は、平和な世界を旅する人たちを守るために。
私たちのギルドは、今日も大忙しだ。




