異世界 かな・・
昔取った杵柄と云うのかな・・黒のサマーウールの喪服に、ブレード(レースのふち飾り)を付けて普段着・フォーマルにしょうと思い立ちました。大型手芸店も10年位、ご無沙汰しています。店に入る道路まで忘れて居ました。何とか辿り着いて・・落ち着いた感じの、ブレードを買い求めました。黒糸で黒の喪服の襟、前立てにブレードを縫い付ける作業です。針に糸を通す事から難儀しましたが、上品で華やかに(手前味噌ですが)上手に出来ています。年の功です!そういえば私、昔・・デザイナーになりたいな、と夢みた事を思い出しました。有名先生に手紙を書いた事もあります。結局、今迄とは違う世界に飛び込む勇気が無かったですね。あのシャネルブランドの創業者の生涯はどの様でしたか?AIで調べて見ました。親の縁の薄い人だと聞いて居ました。羨むのではなく、比べるのでも無く・・自分の立ち位置を見るのも良いと思います。そうこうして居ると、又もや・・夜盗虫集団の考え方に出会いました。15年も夜盗虫集団と関わりを持った事になります。可笑しな事ですよね。もしも人に、生きる重みが等しくあるのなら・・私の役割は何なんでしょうか・・。それぞれの人の世界・。異世界・・心の在り様ですかね。覗き見る事も出来るんです
8月〇日
今日は洋裁チクチクして居ます。先日思い立って、大型手芸店に出向きました。ここは10年位ご無沙汰ですから、店への道路の入り口も忘れて居ました。行き過ぎて、何とか探して、駐車場も以前と同じ所にありました。思い立ったと云うのは、洋服の襟に(ふち飾り)レースのブレードを付けたいと思ったのです。黒のサマーウールの式服をドレスアップ、またはジーンズ等に会う様にドレスダウンさせて、気軽に着たいと思いました。喪の式服も1着あれば、事足りますから・・。実はオーダーの先生に付いて、私が縫った洋服なんです。もう20年位前になりますね。ちょっと襟の処が気になって居て、レースのブレードを付けようと思ったのです。
やれやれやっとの思いで辿り着いた大型手芸店は、以前と同じにありました。相変わらず店は商品でごった返って居ました。1階は布地専門、布の大きな巻物が所狭しと立てられて居ました。目的物を探すのが大変です。今日はここはパスかな・・。裁断台に居る店員さんに「レースのブレード売り場は何階ですか」と尋ねると、即「3階です・・」と云う返事で、小さなエレベーターに乗りました。3階に降りて直ぐまたまた、商品が所狭しと広がって居ました。2~3人の同年齢位の婦人のお客様と・・小学生の手芸教室が開催されていて、男の子と女の子と、そのお母さんの元気な声が聞こえて居ました。リボンからチュール生地(メッシュ素材)から、ブレードから、あるはあるは・・、好みの物を探すのに一苦労しました。奥に、大事そうに巻いてあるブレードの棚がありました。その中から、高いかなと思いながら・・黒とベージュで花の編み込みのブレードを見つけました。これこれ・・これです。品の良い、落ち着いた感じになるでしょう。実物の洋服を持参して居ますから、(店の人に許しを得て)広げて、当てて見ました。店員さんも一緒に見て貰う・・。「いい感じになりますね。襟と前立て・・スカートの腰あたりかな?」「2メートル80センチです」「センチ単位でいいですか?」他に2メートルにカットしてある、サービス品の黒のチュールレースを買い・・1960円でしたかね。さて明日から洋裁です・・昔取った杵柄です~。と云うことで・・今日は、待ち針で留めて見て居る処です。いい感じです。嬉しい!ドレスアップし過ぎかな?この頃友人に会う時など、オーダーメイドの洋服は浮いて居ますよね。それで・・「オーダーの先生の製図で、私が縫ったんよ。オーダーコピーよ」と、言うことにして居ます。人は、何とか気が収まるみたいです。プレタポルテも良いのがありますよ。人好き好きですからね。
「お~い・お風呂だよー」「はーい・ありがとう。ちょっとキリの良い処でね。5~6分で降りまーす」何とか1時間・・私の時間が持てました。これからお風呂に入って、食事の支度、それから食事をします。食器を洗い・・後かたずけ。洗濯もして、部屋干しします。夜は夜で忙しいです。それからが私の時間で~す。大きな声では言えないけれど、執筆で~す。現実に戻ります。
8月〇日
お昼はピザを買って来て・・(時間を作って)洋裁をするのだという段取りです。1時間でも、何回か縫えば出来ますから。黑糸でブレードを縫い付けると云う作業です。洋服との手加減が必要な処です。スカートには、ブレードを付けない事にしました。別に黒のチュールで短いスカートを作って、それに買って来た、チュールレースを裾に付けると云う事にしました。ウエストには細いゴムを入れて、スカートの重ね着をします。(時にはフリルやチュールレースもお勧め)今日の仕事はそれと、前立ての処の、ブレードを止めました。上着完成まで、もう1日(正味1~2時間)必要ですかね・・。欲を言えば、少し幅だしをして置こうかな。(緩くすると、それに合わせて太ると云うから、考え中・・)
昔・・デザイナーになりたいな・・と、夢みた事を思い出しました。そおそお・・有名先生お二人に、お手紙を書いた事もありましたね。その頃の有名先生・・何方でしたか?あれ?忘れました。相談でしたから、返事は来ませんでした。先生の手元まで届かないのかな・・と思いました。お勤めをしながら、夜間の洋裁学校を2年卒業して居ますが、デザイナーになるには、東京の洋裁学校を出て箔を付ける必要がありますか・・とか云う様な内容でしょうか。結局・・この地で、裁縫しながら月謝が払える、和裁学校に進む事にしました。何事も我が家は、経済的に無理は出来なかったです。母が他界した年でしたから、父が一人になります。「父ちゃんは何とかするよ!東京に行って見るかの・・」当時、企業の定年は55歳でした。父はその後、子会社に勤めて私が結婚する迄、一緒に暮らしました。嫁入り支度もちゃんと整えて貰いました。
もしもあの時・・デザイナーの仕事に進んで居たなら・・。生活も何もかも捨てて、入学金を作り、月謝を払い、住む部屋も借りる事になります。目的の仕事の為に、アルバイトもしなければなりません。考え方まで転換する必要がありました。今迄とは違う世界ですよね・・。第一にその世界に飛び込む勇気がありませんでした。
ココ・シャネルの生涯は、どの様にして成り立ったのでしょうか。親の縁の薄い人だと聞いて居ます。 (AIを要約)
本名 ガブリエル・(ボヌール)・シャネル 1883年 フランスのソミュール地方に生まれる。父・アルベールと母・ジャンヌの間には二男三女がある。(その次女)最愛の母はガブリエル・シャネルが12歳の時死去。後に父は、息子2人を農業労働者として送り出し、娘3人はオーバジーヌの聖母マリア聖心会が運営する孤児院に預けました。父は行商をして出稼ぎ、その後帰る事は無かったと言います。姉妹と共に修道会の孤児院で育つ・・。孤児院での生活は、厳格な規律が課せられる厳しく質素なものでしたが、ここで裁縫を学んだ6年間は、後の仕事につながる事でした。18歳でその施設は出る事になります。その後、お針子として働きました。美しかった彼女は芸能界にも興味を持ち、副業としてキャバレーで歌う事もしばしばありました。ココリコ・・彼女のデパートリーの曲です。又、ココと云うニックネームは父親から与えられたものだと云うことを好んでいます。父親の愛の願望でしょうか。貧しくて恵まれない環境で育った彼女です。インタビューすると、家族や自身の生い立ちについて詳しく語る事は無かったと云います。
孤児と云う恵まれない環境から、一代でシャネルを世界的ブランドに成長させました。女性の社会的地位が低かった時代に、女性がゼロから大成功を収めたのは・・正に超人と言わざるを得ないです。
恋多き女性でした。色恋関係がシャネルと云うブランドを、大きく成長させたのは間違いないと言います。人脈や資金力が必要。権力者やパトロンからの計らいもありました。
〇 エティエンヌ・バルサン・・ムーランで出会った、フランス軍の元騎兵将校かつ繊維業者の両親の遺産を受け継ぎ多大な資産を抱えていました。またプレイボーイで鳴らしていました。(シャネルが23歳の時)バルサンは、ロワイヤリューのシャトーを購入し、競走馬の育成を始めました。この計画を聞いたシャネルは、同行を望み愛人となる。その地で乗馬を学び、馬に熱中しました。この経験が、後のシャネルのデザインに影響を与えています。バルサンは、シャネルのファッションの才能を見出す・・。
〇 アーサー・カペル・・実業家。富裕なイギリスの上流階級。バルサンの友人の一人。1909年(シャネル26歳か)関係を持ち始める。最初の店舗の出店費用も提供している。バルサン・カペル二人の資金援助により、女性用帽子店をオープン。二人の助言もあり、芸能界から離れ、ファッションデザイナーとして生きる事になります。
シャネルはカペルと身を落ち着けることを望んで居たものの・・カペルは誠実ではなかった。二人の関係は9年間続いていましたが、カペルは他の女性、イギリスの貴族(シャネル、貴族は後に願望になるのかな?)と結婚。その後も関係は続いていましたが・・カペルは交通事故で死亡。シャネルは36歳か。「彼こそ私が愛したただ一人の男」と、友人に語って居ます。その死について「彼の死は私にとって恐るべき打撃だった。私はカペルを失うことで、すべてを失った」と述懐しています。私見ですが・・この時シャネルは、身を落ち着ける事のない・・仕事に生きる事を決意したのではないでしょうか。
彼女は、類稀な美貌と計算高さを持ち合わせていました。ツテやコネによって、数々のチャンスを得ています。
〇 友人と恋人たち・・政治的、文化的に大きな影響を残す人々と様々にかかわりました。パリに購入した自宅には・・ディヤギレフ(ロシアバレエ団の創設者)他バブロ・ピカソ、ジャン・コクトー(フランスの芸術家、詩人、小説家)ミシア・セール(親しい友人であり続けた。ボヘミアン・ブルジョアBOBOでスペインの画家、ホセ・マリア・セールの妻。修道院で学んだ経験があり、共通の興味と信頼を持ち続けました。また薬物の使用も共有していたという)〇 詩人・ピェール・ルヴェルディ・・恋人となり行動・精神面で大きな影響を残す恋人。シャネルのものとされる伝説的な名言は、二人で共同で作られたとされる。(アーサー・カペルと並んで素直に名前を出せるという)カトリックに帰依し、信仰の道に傾斜し、1926年隠棲。(シャネル43歳か)〇 イギリス貴族との交際が終わった頃・・(1930年代・47歳位か)イラストレーター・ポール・イリーブと深い恋愛関係を築いた。強烈な国粋主義・反共和主義者。風刺週刊新聞を発行していた。シャネルはイリーブに惚れ込み、活動に資金提供を行った。「ココが生まれて初めて人を愛して居る」と友人のミシア・セールは発言しています。1935年、イリーブ急死・・。1935年までにシャネルは薬物を利用する習慣を持つようになっており、人生の終わりに至るまで、日常的にモルヒネを注射していました・・。
イギリスの上流階級との交流は・・。1923年・ヴェラ・ベイト・ロンパルディ(ケンブリッジ侯爵の隠し子と言われている)は、シャネルに最上級の英国貴族社交界に加わる事を認めました。
政治家ウィンストン・チャーチル。貴族、ウエストミンスター公爵。王族、エドワード8世・・重要人物を中心に運営されているエリートのグループでした。〇 1923年・当時40歳のシャネルは、ロンパルディに、大富豪である・ウエストミンスター公ヒュー・リチャード・アーサーグロウナーに紹介された。彼はシャネルに豪華な宝石、高価な美術品、ロンドンの有名なメイフェア地区にある邸宅を気前よく与えました。二人の関係は10年続いたと云う・・。
再び、ロンパルディを通じて、ロンパルディの従兄弟である王太子エドワード8世に紹介された。エドワード8世はシャネルに惚れ込み、ウエストミンスター公の関係を知りつつ彼女を追いかけたか・・。
1927年・ウエストミンスター公は、プロバンス(温暖な地中海性気候と豊かな自然・フランス南東部地方)に購入した土地をシャネルに贈り・・シャネル(44歳か)は別荘を建設した。ラ・パウザ(休息所)と呼んだ。ウエストミンスター公とシャネルの関係は、ゴシップ紙に結婚を噂されるほどになる。
ウエストミンスター公自身も、仕事を辞めてパートナーになる事を求めていた・・。しかしシャネルは 結婚する事はなかった。後に、何故結婚しなかったのかと問われた時・・「ウエストミンスター公爵夫人は何人もいました。シャネルは1人しかいません」
1939年・第二次世界大戦が始まると・・シャネル(56歳か)は突如ブティックだけを残して、アトリエ(作業所)を閉める。経営者組合の説得も断固として再開を拒否しました。(再開したのは、15年後70歳を過ぎた時でした)
〇 第二次世界大戦中・・ナチス・ドイツによるフランス占領の間、ドイツの外交官かつ諜報員であったハンス・ギユンタ―・フォン・ディンクラーゲ男爵と不倫し、ドイツ当局に協力的な姿勢を取っていました。ドイツ敗北後、シャネルは愛人のフォン・ディンクラーゲと共に(数年)スイスに亡命し処罰を免れましたが・・彼女の評価に影響を与えているだけでなく、しばしば批判の対象になっています。
対独協力について、ドイツ軍人との交際は・・バルファム・シャネルの経営権を巡る、ユダヤ人ヴェルテメール兄弟との争い・・経営権の奪還にナチスの協力を得ようとしました。(この時はシャネルの試みは阻止され、戦後1947年に和解が成立しています。訴訟は双方にとって、窮地に追い込みかねなかった)
一方でシャネルは、友人であった当時のスペイン駐在イギリス大使を通じて、イギリス首相ウィンストン・チャーチルを説得し和平の仲介を行うことを買って出ました。シャネルの考えは「誇大妄想」と評されるものであったが、シャネルの考えに同調する人々が存在したことで、実行に移されました。結局この果たすべき役割は失敗しています。
1944年のパリ解放直後に逮捕されたシャネルは、連合国側の有力者、恐らくはイギリス首相ウインストン・チャーチルの計らいによって(イギリスの社会的エリートの親ナチ的態度と活動が暴露される事を嫌ったか)戦後罪に問われる事を免れました。その後スイスに亡命・・。
ファッション界にカムバックしたのは15年後・・1954年の事でした。その年2月5日の新作発表・・業界誌は、それはすっかり過去のものだと酷評したのでした。しかしながら・・落ち込むシャネルを励まし、資金援助をしたのは、ピェール・ヴェルテメール。(経営権で紛争し、後に和解している)酷評されたドレスやシャネルスーツは1年後・・ヴェルテメールの尽力もあり、アメリカで爆発的な人気を得ていたのです。3回目のコレクションの際に「ライフ」誌は、シャネルの復帰を「彼女は71歳にしてモード以上のものをもたらした。それはもはや革命である」と紹介して居ます。
〇 20世紀のファッション界に、大きな革命を起こした伝説的なファッションデザイナー。高級ブランド「シャネル」の創業者は・・
・窮屈なコルセットから女性の体を開放し、動きやすさと上品さを両立させた「近代的な女性像」を作りました。
・ジャージー素材を導入し、(当時は男性の下着素材)動きやすい服装を広めました。
・リトル・ブラックドレス。喪服の色とされていた黒を、オシャレで洗練された「普段着・フォーマル」の主役にしました。装飾の束縛から解放・・。修道院の正装、黒と白の洗練されたコントラストが心の底にあったのでしょう。
・シャネルの№5。世界で初めて人工的な香料を取り入れて(花々の香りを引き立てたフローラル・アルデヒド)時代を超えて愛される香水を作りました。近代香水の幕開けとなりました。
・シャネルスーツ。ツィード素材を使った、動きやすいスーツを世に送り出し、働く女性の制服のようなスタイルを定着させました。
・マトラッセの(ふっくらとしたと云う意味のフランス語。キルティング加工)チェーンショルダーバッグバック発表。女性用のショルダーバッグ浸透のきっかけとなる。(女性の両手が空き、活動し易い)
〇 晩年は・・女性起業家として、巨万の富を得て居ました。心を許せる複数の友人と散歩をしたり、食事をしたり・・穏やかに過ごしていたと言います。反面、作家エドモンド・シャルル・ルーは・・取り巻きの人間は沢山居たものの、彼女を利用しようとする人間ばかりで「孤独だった」・・。
老境に入ったシャネルは衰え、夜間は夢遊病の症状が見られるようになっていました。1971年1月9日(土曜日)午後、ドライブに出かけて・・その後に気分が悪くなり、ベットに早めに入りました。
〇 1971年1月10日 パリの高級ホテル「リッツ」で87歳の生涯に、一人幕をおろしました。30年以上住んで居たというホテルです。死因は心臓発作でした。
遺言により、スイスのローザンヌに・・(ボワ=ド=ヴォ―墓地)に眠っています。15年の亡命生活を送ったと云うローザンヌ。
ローザンヌでは、著名人と交流したり、エステやスパに通ったり、優雅な生活を送って居たと云います。その地に眠りたいと云う遺言でした。
やはり最終的に望むのは、人は皆・・穏やかな生活。そして健康ですね。(50代半ばと云うと・・人の身体の調子も良い頃です)
ガブリエル・シャネル・・まとめ(詳しくはAIを見て下さい)
古い決まりや常識に頼らず、自分の頭で考えて行動「女性の自立と自由」をファッションの面から強く支えました。近代女性のファッションの基礎はシャネルが導いてきたと言っても過言ではないという。
強い自立心と不屈の野心ををもち「放漫さこそが成功の鍵」強気で妥協しない気質・・幼少期の貧しさや孤児院での経験をバネにし、自分の人生を自分の力で切り拓いた女性でした。
〇 ガブリエル・シャネル様
お疲れ様でした。近代女性の為のファッションの基礎をありがとうございました。皆も私も恩恵を受けています。誠にありがとうございます。ローザンヌで穏やかに眠って下さい。お疲れ様でした。ガブリエルと云うお名の意味は・・ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖典や伝承に登場する、神の言葉や意思を人間に伝える大天使(最高位の天使)とあります。重い運命を背負われて居たんですね。立派に役目を果たされました。強気で妥協しない気質。幼少期の経験をバネにして、人生を自分の力で切り拓いた。凄いですよ。凄いですよね。私は仕事以前の事で、躊躇って居ました。仕事以前の事です。私の問題は此処でした。それから・・モルヒネ投与迄しながら仕事をされたんですね。過酷でした。モルヒネ投与、誰か止めて上げて下さい!休んで下さい!と、叫びたい気持ちです。今はゆっくりされていますか。もう役目は終わりましたよ・・。
8月〇日
もしも人に、生きる重みが等しくあるのなら・・「私の役目は何でしょうか。今からでも考えて見なければなりません」ガブリエル・シャネルは、「女性の自立と自由」をファッションの面から強く支えました。強気で妥協しない気質・・幼少期の貧しさや孤児院での経験をバネにし、人生を自分の力で切り拓いた!と云うのに・・今の私に何が出来るでしょうか。
偶然にも・・リトル・ブラックドレス。「普段着・フォーマル」を仕上げていた処です。清楚でオシャレ・・襟と前立てにブレードを付けただけなのに、喪服が清楚で華やかに生まれ変わりました。約1時間の作業ですが・・何日も掛かり、8月中には出来ました。黒い生地に黒糸でブレードを縫い付けるんです。糸が針のめどに通らない!!から始まって、手元が全然見えないんですよね。大変でしたよ。ここでも、年の功が役に立ちます。手探りで、手加減で、何とか上手く出来ています。久しぶりに心地よい集中力を味わいました。
9月〇日
サフィニア、ノースポール、キンギョソウ、ビオラ、他・・花の種をトレーに蒔きました。秋と春の季節の変わり目は、畑の作業で毎日がとても忙しいです。でも来年、春過ぎ迄楽しめるんですから・・頑張りますよ。1ミリ程の緑の芽を見た時、ちゃんと苗の姿ですから感動しますよ。不思議に思いますよ。とても嬉しいです。ありがとうと、屈みこんで言います。次は、スナップエンドウも、いろいろレタスも、ほうれん草も、ゴボウも、蒔きます。芽出しの時は細心の注意が必要です。1週間前位に苦土石灰を撒いて置き・・地ならしをして置きます。そして気温・地温ですね。お陰で体も元気になれますよ。(日焼けもしますが)肥料は後から根元周りに入れて下さい。そうそう8月初旬に蒔いた刀豆地植えして15㎝位になっています。豆類の種蒔きは・・鳩が屋根から見てますから、ポットに蒔いて、芽が出てから地植えですね。「ホッホーホホー・ホッホーホホー」畑に居ると鳴いて居ます。屋根とか何処かで見ているんです。春に黒豆を何度蒔いた事か・・。失敗は成功の基、もう忘れませんよ。ウフフ・・大きな畑ではないんですよ。僅か60~70センチの畝と云うか床と云うか、小さな花壇なんです。そこへ一列にびっしり、ほうれん草の種を蒔きます。大きくなった順に、ハサミを根元に入れて切り取ります。小さくても4~5本あれば、白和え、胡麻和え出来るんですから・・助かります。ありがたいです。食卓の話題にもなります。夫の口癖・・「あなたが畑作業をするようになるとは、思いもしなかった。美味しいよ!ありがとう・・」「いえいえ、美味しいと言って貰えるから、出来るようになりましたよ。ありがとう・・。でも、これ以上は出来ませんよ。畑は狭くて、丁度いい広さです」
6月・7月は、とっても美味しいトマト・キュウリ・が生りました。毎日毎日食卓に上がりました。「食べて置いてね。食べ貯めかなウフフ・・採って直ぐには、店に並ばないからね。おいしいね!」皆が感謝しながら頂きましたよ。酷暑と雨が降らなかったから・・8月は全然生って貰えませんでした。ピタッと止まりましたね。何度も頼みました。如何したら良いのかな?水撒きしながら・・独り言を言いました。
私の役目はこれかな!と思うんです。・・小さな幸せを見つける事ですね!そしてお知らせする事ですね・・。これも立派な役目です。
9月〇日
もう少し咲いて居て欲しいと思いながら・・朝顔を抜きました。可愛いピンクの濃淡の2本でした。夫の友人から頂いた朝顔の苗でした。玄関の目立つ処の鉢(昔の火鉢をくり抜いた)に植えて居ました。大切に育てて、シンボルツリーとしました。7月・8月と云うのに、花付の成績が芳しく無くて、どうしたものかと思って居ました。それでも可憐に(透き通った感じの)ピンク色の濃淡の朝顔の花が咲いて居ました。「花は咲くのに種が付かないんよ。どうしてかね?」一生懸命に咲いて居て、健気でした。可愛そうでした。早くに土の中を見て上げるべきでした。「あれ!あれ!」夜盗虫が居るんです。そんな筈ないけどね。苗を植える時、よく見てるのに!可笑しい!「あれ!此処にも、次々と・・これでは朝顔可哀そう・・」土の入れ替えをしなければなりません。何匹居ますかね。大きさは揃って居ました。3ケ月でここ迄育ちますか?不思議です。スイトピーの後に植えましたから、5月下旬でしたかね。鉢が大きいからひっくり返せなくて、スコップで取り出しです。底の辺りはゴリゴリ音がしました。近所にも聞こえて居たんでしょう。誰かが遠くで何か言って居ましたね。(犯人だから気になる!)でも、聞き取れませんでした。その土は大きなビニール袋を2枚重ねて密封して、日光消毒をします。2~3ケ月置いておく、このスタイルで土は再利用して居ます。夜盗虫は13匹居ました。この鉢に、大きさ揃って13匹・・多過ぎます。可憐な花ですよ!花が可哀そうでなりません!意味が分かりません。多分あの日の後ですね・・村八分になるからと忠告された日・・私は、村八分・村九分でもいいです。老々介護して居ますから、今迄の様にお付き合い出来ないんですよ。と、お返事して居ます。それが気に入らなくて・・花に当たり散らす!証拠が無いから平気なんです!大きなグループの仲間なんでしょう。考え方が私と違います。こちらはどんなにか手間を取る事か。それが狙いですかね!降参する迄ですか。何を意味するのか、何を戦って居るのか分かりませんでした。私、思うんですよね・・。自分を語って居るだけ
ですよ。私には解らない事ですよ!訳を言って貰ったら良かったのにと思います。例えば『シャネルブランドの創業者さんは、女性の自立と自由をファッションの面から強く支えた人ですよ。孤児と云う恵まれない環境に育ちながら・・それをバネにして、世界的なブランドに成長させていますよ』とか教えて上げた・・かも知れない。この人達は、心の奥深い処が謂えないから、皆で夜盗虫を入れるんですか?続いている風習ですか。私が降参するのを待って居るんですね。今迄、この方法で通して居るんでしょう。子や孫の為、夫の仕事の為、差し障りになるから・・仕方なく、降参して手下になって居る人が多いんでしょう。この様子、皆で改める事は出来ないでしょうか!
以前にも出会いました。施設の花壇に夜盗虫を入れるグループ・・その流れですね。考え方で判ります。仲間にならないから、気に入らない!実は手下にするんですね。手下になった人が、夜盗虫を入れる、使い走りをする、どう思って居るかを探りに来る。御免被ります!!夜盗虫を入れる人にはなりたくないです!お祖母さんと云う立場の人がするんですから、驚きますよ。子や孫は当たり前に見習いますね。この町には、訳の分からない風習があるんです。この国は大丈夫でしょうか。この有り様を広く皆に伝える事で、少しづつ良くなると思うんです。思い通りになる、仲間だけのお付き合いをして居るからですね。他の人の違う考え方もある、と云う事を知って欲しいと思います。
今から15年位前になります・・私は65歳位でしたか。紹介されて施設の屋上花壇に、ハーブと花を植えるボランティアをしていました。時間を作っては、週に1~2時間のボランティアです。時間を決めてとか、人と一緒に・・とかのボランティアは無理な事でした。他にもハーブでボランティアをして居ましたから。長くなりますから割愛します『小さき花達のこと』に書いて居ます。私が一番最初に投稿した作品です。理不尽な事をする人達に出会って、驚いた事を書きました。施設にも警察にも訴えましたが、止まる事はなかったです。これがこの世と云う処ですかね。長い物には巻かれよ!ですかね。そして、それぞれの異世界と云うのでしょうか・・。私の場合花達や小鳥達、太陽と風・・宇宙の不思議な光景に出会いました。その時から、思いを書く事になりました。理不尽な事に出会いましたお陰です。花達の一生懸命に生きる姿を見ました。種を残して、次に託して居る事を見ました。種から花を育てる事が出来るようになりました。今思えば・・私には、ありがたい事ばかりでした。逆に、夜盗虫グループさんにも役に立って居る事があると良いのですが。此処に一人、降参しない人が居るんです。夜盗虫を人の畑に、入れる人になりたくないからです。
結局・・6年弱のボランティアで、1000匹以上(240×5=1200)の夜盗虫を捕りながら、花の世話をしました。秋の植え替え時期から暮れ迄、夜盗虫は入りました。(春は夜盗虫を育てた期間かな?上手に育ててありました。感心する程です )行く度に、20~30匹捕りました。1年に約240匹位でしたかね。多分・・自分達のボランティアグループの為に、切り花を植えさせたかった。言葉はありません。頼みます、と云う事を知らない、頭の高い人達なんでしょう。手間の掛かる暗号でした。意味が分からないから、夜盗虫は捕獲しました。その後、夜盗虫は家にも・・道路側の花壇に入り、畑にも入りだしました。夜盗虫は何処にも居るよ。誤魔化しと云う事ですね。証拠はないけど分かります。栄養満点・・粒ぞろいでした。「そんなボランティア、私なんかすぐ辞めるよ。どうしてそこ迄するん?」友達が言って呉れました。でもね・・花達が頑張るんです。こちらを見て居るんです。夜盗虫が入る過酷な花壇に居て、一生懸命頑張って居るんです。蝶々や小鳥達・・虹のハーモニーにも支えられました・・。
夜盗虫では驚きませんよ。5年間で、約1200匹捕獲した経験があるんですから。もしもあの時、思い余って夜盗虫を隣の花壇に返したならば・・現場を押さえられて、手下にされる処でした!仲良くしなければならなかった!これも狙いですか。世の中には、挑発・引っ掛け・と云う事があるんです。戦国時代ですか?戦争ですか?また、学校現場でも、生徒を仲良くさせる為に、挑発もあるらしい(喧嘩をさせる?)けれど若い内から、操られて居るようで・・嫌ですね。 施設のボランティアから15年過ぎました・・今年、又もや夜盗虫攻めですね。老々介護して居る、80歳の私に何を言いたいんですか?何をさせたいんでしょうか!常識的に考えても、可笑しいです!
強くなれ!と云う事ですね。シャネルの様に!強気で妥協しない気質、幼少期の経験をバネにして、人生を自分の力で切り拓いた。近代女性のファッションの基礎を導いた人です。
私はと云うと・・今から、ファッションデザイナーは出来ませんよ。他の仕事も出来ません・・。何時お迎えが来るかな、と云う立場です。ですから私は、見聞きした事を、書くしか無いんです。後が無いんです。生活は何とか出来たから、今迄ぐずぐずして居たんです。苦難をバネにして、何とか書かなければなりません!この風習を打破出来るような文章を書きたいです。諦めないで書く事ですよね。『お便りコーナーの先輩作家先生の言葉です』・・夜盗虫集団は、自分達の事を語って居るだけ・・私にはそう思えてなりません。夜盗虫は捕ればいいだけですから!私と夜盗虫集団とは関係無いです・・。世の中は考え方で、その世界が出来ると思います。手下を作るのではなく、挑発するでもなく・・小さな幸せを見つける事です。皆が幸せに暮らせる・・と思うんです。思う心ひとつで、世界が違うと言われていますね。普通の生き方も良いですよ。心のバリアに守られて居る、と感じる時もあります。
思う事が違う⇒言う事が違う⇒行動が違う⇒結果が違う⇒住む世界が違う・・と云うんでしたか。世界とは・・皆それぞれの心で、違う世界に住んで居るんですね。また、心ひとつで行き来も出来るんです。仲良くなれたりしますね。いつもの友達もです。仲良くなれない人も居ますよね。心が通じないからですね。そんな風に感じています。だから仕方ないです、今の夜盗虫集団とは仲良くなれません。異世界の人達でしょね・・。
あと一つ、大事な事に気が付きました。それは・・大きな声で云えるように、執筆を頑張ればいい事でした!作家先生になれば、村八分を忠告される事もないでしょう。使い走りをする、手下にしようとはしない。夜盗虫を投げ入れる人も少なくなるでしょう。頑張れ!強くなれ!と云うメッセージでした。やっと今頃気が付きましたよ。遅い気付きです。すみません・・。
鬼(苦難)が言うんです。「何か良い物を、隠し持って居るだろう!出せ!出して見よ!バシッ!バシッ!早く出して見よ!この横着者め!」私はビクビクしながら・・小さな声で言いました。「痛い!止めて下さい。私何も持って居ませんよ!何もかも、身内に上げましたから!」「そんな筈はない!出さないなら、こん棒で叩くぞ!」「ドスン・ドスン!」「そ・それだけは止めて下さい。痣が出来ます。骨が折れます!死んでしまいます!」「エイ!ドスン!」「こ・こんな物しか・・これしかありません。今迄受けた苦難です。この事ですか?」「おおそれじゃ!それじゃ!値千金じゃぞ!早く書いて見る事じゃの・・。苦難をバネにするんじゃぞ~」音響と共に消えて行きました。行かれましたですね。いつの間にか、恐ろしかった鬼の顔は・・後姿は・・穏やかな姿になって居ました。「み仏様ですね~ありがとうございます」これ迄、仕事はそこそこ出来ていました。しかしながら、どの仕事も5~6年で辞める事になる人生でした。天職ではなかったんでしょう。最後に掴んだもの・・書く事でした。経験した苦難を書く事で・・皆が幸せになれると云う作品。人の一生の目的が、お金とか地位では無いと云う・・考え方ですね。
9月〇日
明日は、洋裁学校の卒業式です。卒業作品のファッションショーなんです。モデル紹介事務所の社長さん自ら、出場者(生徒)の歩き方、ポーズの取り方、洋服を上手く見せる方法・・丁寧に実地指導をして頂いています。社長さんも元はモデルさんなんでしょう・・スマートな身体、茶色に染めた髪は、頭の真上で小さく纏めてありました。八頭身と云うのかな・・。「ハイ・ハイ・そうです・・舞台の端から端まで、こちらを見ながら歩いて、タァーン・・お客様に洋服を見て頂くポーズ・・。もう一度同じ様に歩いて、・・タァーンしてポーズ・・。中央に花道出来るそうですから。左右に見せながら、先まで進んでタァーンしてポーズ・・会場の人に、洋服を見て頂くんですよ。そうです・そうです。一人づつ、順に歩いて見て下さい。ハイ・そうです・そうです!この調子なら明日は大丈夫ですよ。風邪をひかないようにして下さい。実は私、風邪をひいてしまいました。声がかすれて、すみませんでした。それでは明日、よろしくお願いします。2時間くらいの練習でしたが、何となく出来たかなという感じでした。
私も卒業制作を着て、作品発表のモデルになりましたよ。休まず真面目に通いました。週三日、お勤め帰りに通ったものです。作品は臙脂色の地模様有りのウールのコート・・スタンドカラーで、ボックスタイプのデザインです。出来た洋服・デザインが良いから選ばれたんでしょうか。
当日、私達生徒は張り切って居ました。洋裁学校の卒業式ですから、皆若いです。私は担任の先生に、学校の備品という、小さな白い帽子を被らせて貰いました。臙脂色のコートによく似合いました。緊張気味ですが、心の準備はOKです。あれれ・・カメラマンが居る。二人・・。まぁね、洋裁学校の卒業式、その年の締めくくり、ファッションショーですから。TV局も来ますよね・・。式も進行して、いよいよファッションショーです。舞台の袖で皆が並んで出番を待って居ると・・。カメラマンが近くに来て「○○さーん!」確認かな?「えっ!はーい・・」何で私の名を知っているのかな?何なんでしょう?と、思って居ると、さっきのカメラマンが「これでも撮って帰るか!」ちょっと、これでも・・とは、何なんね、と思いました。精一杯努力した作品なんですよ!と思いました。さぁさぁ・順番が来ました。私は舞台の中央へ・・ターンして右へ・ターンして・・洋服を皆様に披露して・・左へ・・。作品の説明のアナウンスが始まりました。『臙脂色のウール素材・地模様があります。スタンドカラーにラグランスリーブにしました・・』カメラマンが舞台に近づいて来ました。中央の花道に迄も来ました・・私はターンして・・はにかみました。眩しい・・。
その日のニュースで、この映像流れたかも知れない。流れなかったかも知れない。・・・?
もう・・60年前の洋裁学校の卒業式の風景です。私・二十歳のファッションショーでした。この頃からもう・・進路決まって居ますね。分かりました。私の目線は、周辺の事を見ているんです。デザイナータイプでは無いんでしょう。すでに分かれ道でした。会社で先輩に言ったかも知れない。「洋裁学校の卒業式で、卒業制作を着て出ます。モデルをするんです」「いつ?何処で?」「明後日10時からです。K講堂です」言ったかも知れない。先輩はメモしていたかな・・。それで先輩がTV局に?カメラマンを手配して貰ったのかな?
「○○さ~ん」と私を確認しているから。「これでも撮って帰るか・・」他の人への気遣いと、次の仕事があるから・・。いろいろと推察は巡ります。(探偵向きかも知れない??)この歳になると・・思い出いっぱいあります。呆ける訳には行きません。思い出が勿体ないからです。呆けないで長生きしなければなりません。
10月〇日
夫の、年1回の定期検診・MRIの検診が、事無く済みました。現状維持出来ていて良かったです。治る事はなく、現状維持出来て居れば・・よし!と云う事です。脳梗塞と云う病気は、今より治る事はないそうなんです。此処で皆、躓き《つまづ》ますね。家族は治そうとして、頑張ります。あれをすれば良いかな?これをすれば・・。似顔絵の通信教育受けて見ますか?・・運動のリハビリ通いますか?・・結局何もしないで、家に居るのが好きらしい。面倒くさいんですね。でも、一つだけ・・テレビを見ながら玉ねぎ、キュウリ、人参、キャベツをスライスするのが得意なんです。一つでも得意があればいい!と云う事です。ありがとう・・とても助かって居ます。
小さな菜園の種蒔きも済んだ事です、これもまた、一安心・ほっこりしました。デパートに行って見ましょうか。小さな気晴らしになります。リトルブラック・ドレス着て見ましょうか。お披露目ですね。そうそう、プレミアム商品券1冊ありました。食費に消えて行くから、1冊位は何か残るものを買いましょう。と、取って置きの1冊です。帽子にしようかな・・。そうそうシャネルのお店に行って見ましょうか。孫が来春大学に入れば・・プレゼントのネックレス、幾らするんでしょうか?見るだけです。
10月〇日
デパート1階に入ってすぐに、高級ブランドのお店がズラリと並んで居ます。凄いです。圧巻です。いつもは気にも留めないで(買えないから見ない)素通りしていました。デパートも開店して直ぐでしたから、店員さんに店先で出迎えられました。「いらっしゃいませ」「帽子見せて下さい・・」「ハイこちらに・・」鏡の扉の中から・・「ハットです・カンカン帽です。夏の帽子ですね」「これからの季節のベレー帽にしようかな、と思うんです・・」「今はこれだけです。ニット帽はありますよ。こちらです」普通のニット帽で、総ゴム編みかな?「シャネルのマーク付いて居るんですね。(工夫している処)手に取って見たいけど・・ちなみにお幾ら位しますか?」店員さんは値札をスマホで見て「こちら・・25万8千円です。ニット帽は16万8千円です・・」「ほほう!」「被られるなら、髪のカバーをします」「いえいえ・・見るだけですから。孫にプレゼントのネックレス・春に予定して置きます。見るだけですが」「素材によって、ありますよ・・」言いにくそう・・途方もなく高いらしい。「まぁ・・いいです。お高いんでしょうから、ありがとう。あら~マトラッセのバックですね」「益々人気なんですよ」「・・お幾ら位?」ついまた、言って居ました。「以前から人気なんです。100万位から・・もっと高いかも知れない・・」店員さんもしっかりとした言葉使いに、清楚な服装でした。さすが高級ブランドの店員さんです。むやみやたらに価格は言わない・・。私も聞くのを控えるべきでした。はしたない!つい自が出ました。奥のケースの中に、丁寧に陳列してある、シャネルスーツ・オレンジ系の色を主とした、とてもいい感じの洋服が見えました。見たいけど、遠慮しましょう・・。又ね、は無いかな・・。
お客様です。恰幅の良い若いカップルでした。経営者様か?まさに富裕層と云う方なのでしょう。中国の方かな、台湾の方かな。新婚旅行かな?婚前旅行かな・・?早速テーブルでは・・商談始まりました。
いつものブティックを覘いて見ました。店長さんは、お休みらしいです。「アラーお久しぶりでーす」と、呼び止めて・・「今日のファッション素敵ですよ!オーダーメイドですね」「ウフフ・・私が縫いましたよ。いい?」悪いとは言えないよね。「アラー凄いです。何でも出来るんですね、いいですね」無駄話をしながら、いつの間にか商品を売りつけて居る、店長さんです。「喪服にブレードを付けたんよ。ドレスアップもドレスダウンも出来るから・・楽しみなんよ」と云う風な会話になる予定でしたが・・。通り過ぎて・・帽子屋さんを訪ねました。「これからの帽子と云うと・・ベレー帽ですかね。私、ベレー帽は初めてなんです。ちょっと見せて下さい」「こちらのコーナーにあります。どうぞ被ってみて下さい」「ハイちょっとだけ・・シンプルでいいですね。横にずれそうに被るんですよね。こうですか?」「ベレー帽は、室内でも脱がなくていいですよ」「棚にある、グレーも良いけれど、レースが付いて居て高くなるから、こっちにしようかな・・」「オフホワイトですから・・洋服を選びませんね。お似合いですよ」「そうですか・・こちらを頂きます。このまま被って帰りますから、私の帽子を包んで下さい・・」11,500円也・・丁度いいのが在りました。懐具合も併せて、満足しています。プレミアム商品券、取って置きの1冊と現金で買いましたよ。
お昼前になりました。今日は気晴らしです。コーヒーと小さなホットドッグにしましょうか。私の20~30分の気晴らしタイムです。家では、鍋焼きうどんにして居る筈・・食器と材料を準備して来て居ます。
店内は・・この頃、お喋りしている人は少ない気がしますね。皆、1人がいいんです。風景・道路・人・電車を見ながら・・贅沢なひと時を過ごすんです。窓際の席が・・1座席づつ空いて、満席と云うのでしょう。皆、一人になりたい時が在るんですよね・・。隣の方は文庫本を読み耽って居ます。向こうの方は・・物思いに耽っている感じです。あちらの方は・・人通りを見ている感じです。
私は・・コーヒーを少し飲んで・・物思いに耽りました。
あのシャネルのジャケット、もう少し見てみたかったな・・。デザインとか、仕立てとか・・表生地とか裏生地迄・・。オレンジ系の色を主にした生地でした・・。実は私も、よく似たシャネルジャケット縫って居るんです。生地はフランス製です。ウフフフ・・。ピンク系の色を主にして、落ち着いた華やかさです。襟・前立て・袖口に、黒のブレードを縫い付けています。服地屋さんでパートで働いて居た時です・・1年位して、店は閉店と云う事になりました。その閉店セールのバーゲンで買った生地なんです。オーダーの先生に仮縫いをして貰って居るし、上手く縫えて居るんです。面白いのはこの続きです。スーツ1着分の生地で・・私のシャネルジャケット(襟無し)と娘のジャケット襟ありを縫いましたよ。見返し部分は模様を合わせて、継ぎ接ぎしていますが・・二枚とも良く縫えています。娘の処に送った、そのジャケットは・・とても喜んでいました。そして、お姑さんにも上げたいけれど・・一緒に着ましょうか。と云う事になったそうです。ウフフ良かった、我が娘も良い子なんですよ。そして、今なお(20年)現役で着ています。街着にしています。流石に洋服の本場・フランス生地です。色合いも優しくて、いつ迄も着ることが出来そうです。
その、フランスの舶来生地にして見れば・・皆に喜んで貰って、どんなにか嬉しかった事でしょう。どんなにか満足して居る事でしょう。そして、こんな楽しい家もあるんですね・・と思った事でしょう。
60歳前後でした。初めて高級舶来生地、フランス製を買い求めました。他にもドイツ製・イギリス製・日本製・・閉店セールですから、沢山買い溜めしました。パートの収入以上に、買ったかも知れない。週1日、その店の元デザイナーの先生の洋裁教室にも通いました。
(世の中の理不尽な事も、よう頑張ってやり遂げたね)神様・仏様からのご褒美かも知れない!と思うんですね。
さてさて・・帰りましょう・帰りましょう。家で首を長くして、待って居る人がいるんです。今日はいろいろな世界、過ぎ去った時を、覘いたような気がしました。一人の時間持てて良かったで~す。気晴らしになりました。
あのショウウィンドウの、オレンジ系のシャネルスーツを着る人、お金持ちで幸せな人でしょうね。私?・・私のピンク系の洋服も、楽しくて、面白いでしょう・・。どちらもそれぞれに、楽しければよし!と云う事でしょうね。
「ただいま・・お昼、ちゃんと食べましたか?美味しく出来ましたか。あれ・・食器洗ってある~。ありがとう・・気が向きましたね」「おかえり・・ちゃんと食器洗って置いたよ・・見たかな」「見ましたよ・・ありがとう。これからもよろしくね・・」「回覧板が回って来たよ・・次の家に回して置いたよ・・」「えっ!何が書いてありましたか・・」「思い出せない!全然思い出せない。大した事では無かったから、忘れたんじゃろう・・」「どうしょう・・」
終わり
またまた・・夜盗虫集団のお話になりました。ファンタジーな事、ファッションの事を書こうとして居ました。ところが・・書いて!書いて!と言わんばかりに玄関の鉢に夜盗虫が入るんですよね。その昔、5年間で約1200匹捕ったと云う経験者は驚きませんよ!折角だから・・お話、頂きました。私も文章の勉強中ですから。




