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森のカフェしっぽっぽ  作者: 此花サギリ


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第2話 地下大騒動

 サトル、五十代後半。


 腰は時々鳴るし、膝も天気予報より正確に雨を察知する。

 だが今朝の違和感はそれではなかった。


 「右まぶたが三回跳ねた。これは絶対に何か起きる」


 「それ昨日も言ってましたよ」


 みどりさんが冷静にコーヒー豆を挽く。


 森のカフェしっぽっぽは、本日も通常営業。


 一階には利用者が作った小物が並ぶ。


 木製スプーン。

 布ポーチ。

 そしてやたら丸い猫の置物。


 「この猫、昨日より太ってません?」


 「成長期だ」


 「完成品ですよね?」


 サトルは聞こえないふりをした。



いつもの猫たち


 イチは入口で仁王立ち。客を審査する門番。

 きなは常連の膝に溶けている。

 トラは新規客に高速接近、営業力の塊。

 チビは通路のど真ん中で横たわる交通規制係。

 そしてジル。


 棚の影で震えている。


 カップの音で跳ねる。

 くしゃみで飛び上がる。

 自分の尻尾で横転する。


 だが逃げない。


 犬のロンは入口で寝ている。


 番犬というより、置物だ。

 いや、置物より動かない。



異変は地下から


 昼過ぎ。


 サトルが仕入れのため地下へ降りた瞬間、空気が違った。


 ざわざわしている。


 蜥蜴人族(リザードマン)のガルドが腕を組んで立っている。


 「人間、問題だ」


 「その言い方やめろ。胃が縮む」


 奥では鉱人族(ドワーフ)が木箱を山積みにしている。


 さらに奥では森人族(エルフ)が目を閉じている。

 だいたい目を閉じているが、今回は意味がありそうだ。


 「魔力圧が乱れている」


 ガルドが言う。


 「具体的に」


 「ざわざわしている」


 「今それ言っただろ」


 森人族(エルフ)が静かに口を開く。


 「均衡が崩れかけている」


 「だから均衡って何」


 「恐れ、安心、疲労、期待。それらの感情の流れだ」


 サトルは三秒だけ理解しようと努力した。


 そして諦めた。


 「つまり地上で何かあったと?」


 その瞬間、サトルの脳裏に浮かんだのは――


 震える灰色の影。


 ジル。



猫、消失


 地上に駆け戻る。


 「みどりさん、ジルは?」


 「いません」


 即答。


 棚の影は空。


 チビがど真ん中で寝ているだけ。


 イチは知らん顔。

 きなは寝ている。

 トラは客の膝でゴロゴロ。

 ロンは寝ている。


 「お前は起きろ」


 ロンは夢の中で尻尾を振った。


 ジルがいない。


 あの、あらゆる物音に怯えるジルが。


 これは事件だ。



境界線の猫


 地下へ再び降りる。


 いた。


 倉庫の隅、異世界との境界線ぎりぎりで、灰色の塊が震えている。


 「ジルぅぅぅ!」


 ジルは固まっている。


 向こう側の市場では、


 蜥蜴人族(リザードマン)が身を乗り出し、

 鉱人族(ドワーフ)がひげを撫で、

 森人族(エルフ)が興味深そうに見ている。


 「触るなよ!」


 サトルが叫ぶ。


 「触らん」


 ガルドが鼻を鳴らす。


 「小さいな」


 「声もでかいな」


 ジルはぶるぶる震えている。


 だが一歩も引かない。


 森人族(エルフ)が呟く。


 「これが均衡か」


 「どこがだ!」


 「恐れは場を固定する」


 意味は分からないが、今はツッコミ優先だ。


 「うちの猫を理論で語るな!」



魔力の共鳴


 そのとき。


 地下の空気がぶわっと揺れた。


 魔力圧が波打つ。


 ジルがさらに震える。


 だが、逃げない。


 鉱人族(ドワーフ)が低く言う。


 「強い」


 「いや弱い」


 「震えながら立つのは強さだ」


 サトルは一瞬黙る。


 ジルは目をまん丸にして、今にも泣きそうな顔で立っている。


 完全に心拍数は上限突破。


 それでもそこにいる。


 ……確かに強いのかもしれない。


 「ジル、帰るぞ」


 抱き上げる。


 ジルはサトルの服に爪を立てる。


 痛い。


 その瞬間。


 地下の空気が、すっと落ち着いた。


 ざわざわが消える。


 ガルドが腕を解く。


 「均衡、回復」


 「猫一匹で?」


 森人族(エルフ)が静かに頷く。


 「恐れは敏感だ。揺らぎを吸収する」


 サトルは深く息を吐く。


 「うちの猫、地下の安定装置だったのか」


 「定期点検を怠るな」


 「猫に点検とかあるのか」



地上の反応


 戻ると、みどりさんが安堵した。


 「どこ行ってたんですか、ジル」


 ジルは棚の影へ一直線。


 通常営業ポジション。


 その様子を見ていた若い女性客が言う。


 「この子、ずっと怖そうなのに、逃げないですね」


 「うちの副店長です」


 「副店長?」


 「地下担当」


 完全に嘘だが、顔は真面目。


 女性はくすっと笑う。


 「私も、ちょっと怖いことから逃げてばかりで」


 ジルがくしゃみをする。


 全員びくっとする。


 ロンだけ寝ている。


 「怖くても、ここにいればいいんです」


 サトルが言う。


 「逃げてもいい。でも戻ってくればいい」


 女性は丸い猫の置物を一つ買った。


 やっぱり太い。



夜の反省会


 閉店後。


 サトルはジルを撫でる。


 ぶるぶる震えている。


 「地下に行くなよ」


 もちろん通じない。


 だが言う。


 地下では、


 蜥蜴人族(リザードマン)が商いを再開し、

 鉱人族(ドワーフ)が槌を振るい、

 森人族(エルフ)が静かに均衡を観察している。


 地上では、


 震える猫が棚の影にいる。


 それだけで、世界は少し安定するらしい。


 サトルはため息をつく。


 「うちは猫カフェだよな?」


 みどりさんが即答する。


 「たぶん」


 ロンが寝言で吠える。


 ジルが飛び上がる。


 サトルも飛び上がる。


 均衡は、今日もギリギリで保たれた。

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