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第九章:毒入りのかけら

 東京、帝国電産本社の技術開発局。

 深夜二時を回っても、フロアの明かりが消えることはなかった。


「……解析は終わったのか!?」


 黒田が、血走った目で若手技術者の肩を掴む。

 モニターには、北の街の産業スパイが盗み出した「常温超伝導」の設計図が映し出されていた。


「は、はい。佐藤さんが……いえ、アステリズム・エナジーが構築した数式を、我が社のメインフレームで強制演算させました。……完璧です。この通りに進めれば、明日の試作機テストで、理論値を超える出力が出るはずです」


「ハハハ! 見ろ、これがエリートのやり方だ!」


 黒田は、歓喜に震えながらモニターを指差した。

 健一がどれほど天才であろうと、組織の力でその果実を奪い取ればいい。そう信じて疑わない黒田は、その数式の奥深くに仕掛けられた「毒」に気づいていなかった。


 翌日。役員たちがずらりと並ぶ中、行われた公開実験。

 試作機のスイッチが入った瞬間、会場は静まり返った。

 モニターに表示されるエネルギー効率の数字が、一気に跳ね上がる。役員たちから、感嘆の声が漏れた。


「……素晴らしい。黒田君、これこそが我が社の未来だ」


「光栄です、社長。私の長年の研究が、ようやく……」


 黒田が誇らしげに胸を張った、その時だった。

 試作機から、聞いたこともないような不気味な高音が響き始めた。


「……何だ? 音を止めろ!」


「だ、ダメです! 制御プログラムが拒絶されています! 数式の中に、特定の条件下で計算を無限ループさせる『論理の迷路』が組み込まれていました!」


「何だと!?」


 ドォォォォン!

 

 凄まじい爆発音とともに、数千億円を投じた試験設備が、真っ赤な炎に包まれた。

 黒田は、爆風に吹き飛ばされ、煤で真っ黒になった顔で呆然と立ち尽くした。


 その時、会場の巨大モニターが、勝手に切り替わった。

 映し出されたのは、北の街の穏やかな海を背景に、コーヒーを片手に持った健一の姿だった。


「……黒田部長。他人の庭に勝手に入ると、犬に噛まれることもありますよ。……その数式は、正しい心を持つ者にしか、制御できないように設計してあります」


 健一ののほほんとした、だが氷のように冷たい声が、静まり返った会場に響き渡った。



閑話:朝靄の散歩道(健一と遥の日常)


 事件の翌朝。

 北の街は、深い霧に包まれていた。

 健一は、工場の近くにある古い防波堤の上に座り、昇り始めた太陽を眺めていた。


「佐藤さん、こんなところに」


 背後から、遥が歩み寄ってきた。

 彼女は、健一の分まで用意した温かい缶コーヒーを差し出した。


「……瀬戸さん。おはようございます。……東京のニュース、見ましたか?」


「ええ。帝国電産の本社、大変なことになっているみたいですね。……佐藤さんが、あんな風に仕掛けるなんて、少し驚きました」


 遥は、健一の隣に座り、海を見つめた。


「……僕は、奪われることには慣れていました。でも、僕を信じてくれた岩田社長や、リアム……そして、瀬戸さんの未来まで奪われるのは、許せなかったんです」


 健一の言葉に、遥は胸の奥が熱くなるのを感じた。

 かつて東京で、誰からも必要とされず、数字としてしか扱われなかった彼女。

 今、この世界で最も価値のある頭脳を持つ男が、自分を守るために戦ってくれた。


「……私、佐藤さんが『のほほん』と笑っていられる場所を、ずっと守りたいって思っています。……これからも、お隣、いいですか?」


 遥の控えめな、だが決意のこもった言葉に、健一は静かに微笑んだ。


「ええ。こちらこそ、お願いします」


 霧が晴れ、二人の影が、朝日に長く伸びていった。

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