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七話 そげんこつ言われても


【第一章:居場所のない青空】

 五月の終わり、湿った風が梅雨の訪れを予感させとった。

家賃18,000円の「イとコジ調査部屋」の前で、主の伊頭いとうは所在なさげに那珂川の流れる雲を眺めとった。

「……おい、そのボロ布は雑巾じゃなか。俺の大事な資料のなれの果てたい」

「うるさいっす! 所長が『捨てるな』ち言うもんの九割は、ただのゴミっす! 外で大人しくしといてくださいっす!」

中からはコジの野太い声と、バケツをひっくり返したような景気のいい音が響いてくる。さらに、山代さんだいの従姉妹である小百合さゆりまでもが、エプロン姿で窓を磨きよった。

「伊頭さん、山代さんから『この部屋は公衆衛生上の危機だ』って言われてるんです。監視役として、徹底的にやらせてもらいますから」

インフラは復旧したが、同時にお節介という名の嵐が吹き込んできた。伊頭は自分のアイデンティティが、洗剤の泡と一緒に洗い流されていくような寂しさを感じ、ただ立ち尽くすしかなかった。

 

【第二章:黒猫のナビゲーション】

 そんな時、足元をすり抜ける黒い影があった。

一匹の黒猫が、伊頭を見上げて「ナァ」と短く鳴いた。まるで行き場を失った男を誘い出すような、意志の強い目。

「……掃除の邪魔にならん場所へ連れてってくれるとか」

他にやることもなか。伊頭はふらふらとその黒猫の後をついていった。

たどり着いたのは、川沿いの古い廃倉庫。潮風に錆びたシャッターの隙間から、黒猫が中に消えた。

伊頭が隙間から中を覗き込むと、そこには生まれたばかりの、まだ目が開いてないような子猫が八匹、身を寄せ合っておった。

「ほほう……。こりゃまた、大帯おおたいな家族やな」

目を細めた瞬間、伊頭の鼻が「別の臭い」を嗅ぎ取った。

 

【第三章:鉄と油の予感】

 倉庫の奥には、場違いな重機の運送用車両が二台。

使い込まれてはいるが、整備は行き届いとる。ナンバープレートは取り外してあった。鍵穴は無残な状態。その傍らには、真新しいステンレスの太い鎖、バール、そしてプラズマカッター。

「……ATMば丸ごと引っこ抜くつもりか」

地面には、昨夜ついたであろう登山用のシューズの足跡が四人分。プロの犯行じゃなか。だが、それゆえに粗暴で危険な「臭い」がした。

伊頭はフンと鼻を鳴らすと、手際よく八匹の子猫をよれよれのトレンチコートのポケットや裾に包み込んだ。

「お前ら、こんな物騒な場所におったらいかん。……クロ、ついてこい」親猫に既に名前をつけている伊頭であった。

 

【第四章:嵐の去った後の平屋】

 「——山代さんだいか。あそこの廃倉庫、ATM狙いの馬鹿どもが巣食っとるぞ。今晩あたり、網ば張っとけ」

伊頭は小百合の携帯から山代に連絡を入れた。会話を聴いていた小百合は、掃除の手を止め、鋭い刑事の顔に戻った。

「……本当ですね? 分かりました、すぐ本署に連絡して現場へ向かいます!」

小百合が嵐のように去っていき、ようやく平屋に静寂が戻った。

伊頭は安堵の溜息をつき、トレンチコートのポケットからモゾモゾと動き出す子猫を畳の上の座布団に並べた。

「……やっと戻れた。やっぱり、ここが一番落ち着くたい」

 

【結末:コジの悲鳴】

 「——って、ちょっと待ってくださいっすよ所長!!」

ようやく片付いたばかりの畳の上を、八匹の子猫がミャーミャーと鳴きながら這い回り、親猫が悠々と毛繕いを始めた。

コジが頭を抱えて叫ぶ。

「せっかく小百合さんと一緒にピカピカにしたとに! なんで8匹プラス親猫、計9匹も増えとるとっすか! 猫探しはもうお腹いっぱいっすよ! しかもこれ、全部うちで飼うつもりじゃなかでしょうね!?」

「……そげんこつ言われても。縁があったとたい」

伊頭は知らん顔をして、まだ温もりの残る鉄瓶に手を伸ばした。

外では、梅雨の気配を孕んだ風が吹いとる。

「……まずは、およしさんの店から余った牛乳ば貰ってこんとな」

「結局、オイラが行かされるんっすよね……!?」

コジの文句が、夕暮れの那珂川に虚しく響き渡った。

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