三話 コブシの花と消えた鍋
【第一章:煮込み盗難事件】
三月半ば。那珂川から吹きつける風もようやく緩み始めた。
「イとコジ調査部屋」の窓からは、隣の空き地に立つ大きなコブシの木が見えとる。厚ぼったい白い花びらが、冬の終わりの重たい空を突っついとるようや。
「……で、その『消えた煮込み』の犯んば捜せち?」
主の伊頭は、ガタのきとる椅子に深く腰掛け、デスクの向こう側に座る依頼人を見つめた。近所の居酒屋『にわか』の店主、およしさんだ。
「笑い事じゃなかとよ、伊頭ちゃん。開店前に仕込んだ大鍋が、鍋ごと消えたとやもん。あれがなかと、うちの常連さんは暴動ば起こすとよ!」
伊頭は、よれよれのトレンチコートの襟を無造作に立てた。かつてはもっと大きなヤマを追っとった時期もあったが、今は家賃18,000円の平家で、失せ物と迷い猫探しで食いつなぐ毎日たい。
「コジ、お前どう思うか」
部屋の隅でスルメを噛みながらスマホをいじりよったコジが、面倒そうに顔を上げた。
「煮込みの盗難ねぇ……。あそこの裏口、センサーライトの壊れとったもんね。野良猫の仕業にしちゃ重すぎるっす。……ちょい待ち、商店街のライブカメラば覗いてみるっす」
【第二章:白い花びらの導き】
「——これ見て。昨夜の二時っす。コブシの木の下を、重そうに何かば抱えて歩く影が映っとるっすよ」
画面には、街灯に照らされたコブシの花の下を、大きな包みを抱えて足早に去る男の姿があった。
二人は現場へ向かった。コブシの花が咲き誇る空き地を通り抜け、路地裏を歩く。
伊頭は長年の勘で、犯人の「足跡」を追う。それは靴跡やなか。街の匂いや、空気の淀みば読むとたい。
「伊頭さん、見てよ。あいつ、コブシの花びらば一枚落としていきよんしゃった」
コジが足元の白い破片を指差した。犯人が空き地を突き切った証拠やった。
行き着いたのは、商店街の外れにあるボロアパート。その一階の部屋から、醤油と味噌、そしてモツの脂が混ざり合った、たまらなく食欲をそそる香りが漂ってきよった。
【第三章:切ない晩餐】
伊頭がドアをノックしようとした時、中から男のすすり泣く声が聞こえた。
「……母ちゃん、ごめん。これ、あそこの店の味たい。せめて、おいしいもんば食わせてやりたくて……」
伊頭は上げた手を止めた。
部屋におったのは、リストラされて行き場を失い、病床の母親を抱えた若い男やった。「金はなかばってん、お袋に馴染みの味ば」という、身勝手で切ない動機に魔が差したとやろう。
「……というわけたい、およしさん」
一時間後。伊頭は居酒屋『にわか』のカウンターで、およしさんに事の顛末を話した。
鍋は無事(中身は半分に減っとったが)戻された。およしさんは怒るかと思いきや、鼻の頭を真っ赤にして、「バカやねぇ」と呟いた。
「そんな理由なら、一言言ってくれればタダで振る舞ったとに。……伊頭ちゃん、これ、手間賃代わりたい。食べんね」
出されたのは、湯気の立つ煮込みの小鉢。
「うわ、最高っす!やっぱりこれがないと始まらんとよ!」
コジが隣でバクバクと食べ始める。伊頭は窓の外を見た。
【結末:夜のコブシ】
夜の闇の中で、コブシの白い花がぼんやりと光っとる。
派手な事件も、劇的な逆転劇もなか。ただ、空腹と孤独と、ほんの少しの優しさが交差する。それがこの街の、そして伊頭とコジの日常やった。
「コジ、明日は電気代の督促が来るぞ。煮込みで腹ば膨らませとる場合じゃなか」
「わかっとるっすよ。……でも、コブシが散る前には、もう一件くらいデカい依頼の来るとよかですね」
伊頭は苦笑いして、七味唐辛子をたっぷり煮込みに振りかけた。




