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十話 へっぽく


【第一章:那珂川の「水死体」】

 梅雨が明け、博多の街には暴力的な日差しが降り注ぎよった。

気温は優に30度を超え、那珂川の河川敷は陽炎でゆらゆらと歪んどる。そんな猛暑の中、濁った川面にぷかぷかと浮く一つの影があった。

ボクサーパンツ一丁で、首まで水に浸かった伊頭いとうたい。

「……あちぃ。こげん暑か日は、水に浸かるのが一番たい」

時折流れてくる空き缶やゴミを、面倒そうに河原へ放り投げながら、伊頭は野生の河童のごとく涼をとっとった。

そこへ、土手の上から「ペケペケペケ……」と軽快な、しかし騒々しい2ストロークのエンジン音が響いてきた。古いスバルR2。小百合さゆりの乗るミニパトたい。

 

【第二章:保護者とへっぽく】

 「……伊頭さん! なんばしよっとね、あんたは!」

車から降りてきた小百合は、眉間に深い皺を寄せて絶叫した。

「怖い顔してどげんしたとや、小百合さん。……魚釣りか?」

「魚釣りなわけなかろうもん! 近所の住民から通報のあったとよ。『那珂川に水死体が浮いとる』ち! 来てみればあんたが浮いとるし……良い歳して、なさけんなか!」

「こげん暑いんやから、しかたんなかろ? これも立派な生存戦略たい」

「へっぽく(屁理屈)言うなや! あたしはあんたの保護者やなかとよ!」

立ち上がった伊頭を、小百合は野良猫を捕まえるような手つきでパトカーの助手席に押し込んだ。事務所へ連れ戻される道中、伊頭は「野良猫のような扱いしやがって……」とブツブツ不満を漏らしよったが、小百合はそれをキッと睨みつけた。

「さっさと風呂入って着替えんさい! 報告書はこっちで適当に書いちゃるけん!」

いつの間にか完全な博多弁になっとる小百合を見て、伊頭は「お、小百合さんも馴染んできたねぇ」とニヤニヤしながら楽しんどった。

 

【第三章:温泉という名の銭湯】

 「……あ、ここに風呂はなかよ。近くに『温泉』ち名前の風呂屋はあるばってん」

「じゃ、そこにはよ行ってき!」

追い出されるように向かったのは、路地裏にある古びた銭湯「温泉」。

「ちゃーす。久しぶりですね、伊頭さん。二、三週間ぶりですか? 他の風呂屋に浮気しよったでしょ」

番台の親父が、呆れたように声をかけてきた。

「いや、風呂屋はここだけたい」

「ならよか。いや、よくなか!……湯に浸かる前に、必ず体ば洗ってくださいね。いいですか、絶対ですよ!」

散々念を押され、伊頭はようやく湯船に浸かった。川の水とは違う、熱い湯がじんわりと身に染みる。

 

【第四章:湯浴み券の報酬】

 ふと見ると、洗い場のタイルの上で、一人のイケメンの若造がのぼせてひっくり返っとった。

「おい、しっかりせんね。……死ぬには早かぞ」

伊頭は若造を引きずり起こし、冷たい水をぶっかけ、手際よく介抱した。

事なきを得た様子を見て、番台の親父が感心したように、手書きの「湯浴み券」を四枚差し出してきた。

「伊頭さん、助かりました。これは礼です。……『伊頭さん限定』って書いときますね」

「いや、二枚は『コジ限定』に書き直しといてくれ。……あいつ、風呂代も浮かせたいやろうし」

伊頭は半分をコジに譲り、こざっぱりした(服は相変わらず汚いが)姿で外へ出た。

 

【結末:梅酒の夢】

 夕暮れ時。少しだけ風の涼しくなった那珂川沿いを、伊頭は再び汗をかきながら歩き出した。

目指すは居酒屋『にわか』。

「……今宵は、冷えた梅酒たい。あの琥珀色の液体に、氷ば浮かべてな……」

そんな贅沢な夢を見ながら、伊頭は家賃18,000円の平屋を通り過ぎ、提灯の灯る方へと足を運んだ。

背後では、どこかでまた小百合のR2のエンジン音が鳴り響いとる。

 

へっぽくを言い合いながら過ぎていく、博多の夏の、何てことのない一日の終わりやった。

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