一話 調査部屋の長い午後
イとコジ調査部屋
那珂川のせせらぎが、トタン屋根に反射する西日と一緒に室内へ入り込んでくる。福岡市南区、家賃18,000円の古い平家。「イとコジ調査部屋」の看板は、川風と排気ガスですっかり色褪せとった。
「あー、腹減った。伊頭さん、今日のおやつは何ね?」
座卓で古い推理小説を読みよった伊頭が、眼鏡をずらして溜息をつく。
「コジ、お前は居候の身分で贅沢言いよる。そこにある乾きもんで我慢しとき。あと『僕』とか『オイラ』とか、女子大生が使う言葉やなかろうが」
「よかやん。こっちの方がしっくりくるとよ?。オイラ、これから『十路人』のバイトやけん、なんか腹に入れとかんと名山マスターの前で倒れるっすよ」
コジがなけなしのスルメを齧り始めた時、玄関の引き戸がガタピシと音を立てた。
「じゃまするばい。ここ伊頭さんの事務所やろ?」
入ってきたのは、仕立ての良すぎるスーツを着た、見るからに「カタギやなか」雰囲気の男やった。伊頭の顔色が変わる。
「……山代か。わざわざこんな掃き溜めに、何の用や」
「伊頭さん、昔のよしみで頼みに来た。例の『博多湾沈没金塊事件』、あんたの知恵を貸してほしか。報酬は三千万。実は、隠し場所の鍵を握る男が……」
男が懐から写真を取り出そうとした瞬間、伊頭が短く言った。
「その男、博多駅の地下街の映画館横にあるコインロッカー『302』の裏側に鍵を貼り付けとるよ。金塊は沈んどらん。最初から志賀島のスクラップ工場のドラム缶の中や」
「……は?」
山代が口をあんぐりと開けた。
「いや、まだ説明もしてなかとに……ロッカー?302?」
「お前のネクタイの汚れと、その靴に付いとる赤土、それに昨日の新聞ば見りゃ、答えはそれしか無か。さっさと帰れ。俺は迷い猫の捜索で忙しか」
嵐のように男が去った後、コジが呆れたようにスルメを振り回した。
「またやったっすね。三千万あれば、ここの家賃何年分払えると思っとると? 伊頭さんは本当、宝の持ち腐れっす」
「やかましか。三千万の事件より、先週引き受けた三毛猫の行方の方が先たい。迷宮入りしそうたい」
「でも、今日にでも電気代と水道代振り込まんと、止められるッスよ?」
「せからしか!そっちは、なんとかするたい!ほっときんしゃい!」
「はいはい。オイラはバイトに行ってくるっす。夜は『にわか』で、およしさんが特製のがめ煮ば作って待っとるって言いよったよ」
「……がめ煮か。それなら、早めに猫ば見つけていかんとな」
伊頭はよれよれの汚れたトレンチコートを羽織り、那珂川沿いの土手へと歩き出した。大事件よりも、今日の夕飯と、近所の誰かの困りごと。それがこの「調査部屋」の、いつもの日常やった。




