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校舎へと歩きながら見上げた空は雲1つない快晴で。その穏やかな空気にささくれた心が癒されていく。
イザークとの婚約は家同士の利益のための政略婚約だった。
初めて会った時、光にあたると輝く亜麻色の髪に深い紫色の瞳に合わせて精いっぱいお洒落をしたヴィオラを見たイザークは満面の笑顔を浮かべて「かわいいね」と言った。その笑顔はヴィオラが心惹かれる少年とそっくりで。彼は密かに婚約を結べると期待していた煌めく緑色の少年ではないけれど、優しい言葉をかけてくれた婚約者を信じようと初恋を胸の奥にしまいこんだ。
しかし、実際のイザークはヴィオラの初恋の人とはかけ離れていた。
婚約してからしばらくすると彼は友人の令嬢たちをヴィオラに紹介してくるようになった。彼女たちのほとんどは胸焼けする甘ったるい言葉をかけるイザークに好意あるいは恋情を抱いていて、婚約者の自分に露骨に敵意をむけてくる令嬢も少なからずいた。
最初のうちは彼女らの嫌がらせをこれも貴族令嬢の駆け引きだと表向きは穏やかに受け流していたが、際限なく増えていく悪意に参ってしまった。そして、いくら言っても彼女たちとの親しい付き合いをやめないイザークに失望し、婚約者としての義務で顔を会わせる時をのぞいて彼と関わることをやめた。
それはイザークにとっても都合が良かったのだろう。学園に入学しても2人はほぼ会うことはなく、やがてポジート子爵令嬢と一緒に過ごすようになった。
2人の仲はあっという間に学園中の噂になったが、我の強いイザークに言うだけ無駄だとヴィオラは形ばかり注意をした後は放っておき、時折イザークが自分の”親切な行い”のために面倒事を押しつけてくることと、自称友人たちに「魅力がないから浮気されるんだ」とくだらない嫌味を言われることをのぞけば平和な生活を送っていた。
そんなある日、王太子に気に入られたイザークは彼の口利きでポジート家に婿入りすることになり、婚約は穏便に解消された。ヴィオラとしては情も恩義もない元婚約者とはすっぱり縁を断ったつもりでいてせいせいしていたのだが、あの馴れ馴れしい様子だとまたしぶとく声をかけてくるかもしれない。
「ヴィオラ嬢」
嫌な予想を振り払うように青空を見上げて深く息を吸っていると、前からクロード・サミア伯爵令息が歩いてきた。澄んだ緑色の瞳と目が合ってヴィオラは心がどくりと弾むのを感じた。
「マーガレットがあなたがイザークに呼び出されたと心配していて、代わりに迎えに来た」
「まあ、ありがとうございます。気晴らしに散歩を楽しんでいましたの」
クロードはイザークの父方のいとこだ。2人は良く似た面立ちをしているが、ヴィオラは寡黙なクロードの笑うと煌めく緑色の瞳や木管楽器を思わせる低く滑らかな声が好きだ。もっとも、彼の双子の妹でヴィオラの親友のマーガレットには「クロードは喋らなすぎ、イザークはうっとおしい。あの2人の中間がちょうど良い」と酷評されている。
「イザークは何と?」
「いつもの”親切心”を発揮して、我が家の利益になるからとポジート家の令嬢を友人として紹介してくださるつもりだったようですわ。もちろん、丁重にお断りしました。せっかく縁が切れたのに、またあの方の気まぐれに振り回されるのはこりごりですもの」
重くならないように軽い調子を装ってイザークとのやりとりを伝えると生真面目なクロードは眉をひそめた。
サミア伯爵家の3男のクロードは尊敬する伯父に弟子入りしてランゴ家の調薬師を目指している。婚約者としてランゴ家に出入りして調薬について学んでいたヴィオラを兄弟子として気にかけてくれ、イザークの気まぐれに振りまわされるヴィオラをいつも助けてくれる。
「ただでさえ迷惑をかけている元婚約者にまだ迫るとは、恥知らずな。申し訳ない。伯父上にも報告して、あなたに関わらないようにする」
「ふふ、ありがとうございます。でも、あの人とはもう他人ですから遠慮なく断れますし、あまりにもしつこいようでしたら父に言いますから、大丈夫ですわ」
「そうか。でも、困ったらいつでも言ってほしい。必ず助けに行く」
クロードが気にかけてくれることがうれしくて本音をこぼしてしまったヴィオラは恥ずかしさと喜びに顔を赤らめながらも、愛する恋人と結ばれて幸せいっぱいの元婚約者へのほの昏い思いがこみ上げてくるのを感じた。
――イザークは今度こそ”本物の恋”におちたのだろう。
昔、婚約者を慕う令嬢たちの陰湿な嫌がらせに耐え切れなくなったヴィオラは恥を忍んで彼に「イザークを恋慕う令嬢たちに嫌がらせをされている。彼女たちとの付き合いを控えてほしい」と訴えた。いつも困っている人に優しいイザークならばきっと助けてくれると信じて。
しかし、イザークはいつものように優しく笑ってこう言った。
「そんなことない、彼女たちは楽しい話をしあう気の合う友人だよ。本物の恋とは出会った瞬間にわかり、まるで世界に2人しかいなくなってしまったかのようにお互いに夢中になるものなんだ。私にはそういう気持ちはないし彼女たちだってそうだ。
彼女たちは優しいからその嫌がらせとやらもきっと何かの勘違いさ。君も私にばかりまとわりついていないで、彼女たちから社交を学んでくるといい」
そのいつもの笑顔にヴィオラはイザークが見せる”優しさ”がおぞましく感じるようになった。そして、初恋の人との仲を引き裂いた婚約者に憎しみを募らせていった。
その日からヴィオラはいつも願っている。
――他人の心をもてあそぶイザークがいつか本物の恋におちて、恋に焦がれる苦しみや切なさを思い知ればいい、と。
ヴィオラは優しいクロードに微笑んで並んで歩き出した。




