第八章 真実の檻
1 王妃の肖像
東の陽が差し込む王妃の居間。
薔薇を模した窓枠の陰に、グズルーンは一人、椅子に座っていた。
婚礼からわずか一日。だがその頬は憔悴の色に沈んでいる。
「……来たのね」
ブリュンヒルドが姿を見せたとき、彼女はまるで待っていたかのように囁いた。
「どうしても聞きたくて。あなたは何を思って私を嵌めたのか」
グズルーンは顔を上げた。
その瞳に涙はなかった。ただ長い影があった。
「愛していたの。初めて見た時から、ずっと。……でも彼の心には、あなたしかいなかった」
「それでも、あなたは……」
「ええ。だからこそ、ロキの誘いに乗った。 “消えてくれさえすれば、彼の心に私の居場所ができる”って。――思い込んでたの」
その声は震えたが言葉は最後まで届いた。
「後悔してる?」
ブリュンヒルドの問いにグズルーンはかすかに笑った。
「ええ。……でも、愛してた。それだけは嘘じゃない」
2 偽王の終焉
地下聖堂――そこに閉じ込められていたロキは魔力を暴走させていた。
塔の封印が破られ禁術の力が逆流し、彼の身体は黒い煙を帯びて崩れかけている。
「貴様……どうして生き延びた! あの夜、お前は灰になるはずだった!」
「灰になったのは、あの日の私よ」
ブリュンヒルドはまっすぐに歩を進める。
「あなたが恐れた“力”も、“血”も、もう私の剣じゃない」
「ならば何だと言う!」
「“誓い”。家族を喪い、己を喪い、それでも生きると決めた私の、祈りそのものよ」
彼女の右手がかすかに光る。
刻まれた〈ルーン〉の印が、黒き魔力の流れを断ち切るように、まばゆく輝いた。
──ファフニールの力が、彼女の意志に従って目覚めていく。
「消えなさい、ロキ。あなたが創った偽りの秩序は、もう終わる」
光が爆ぜ、彼の魔力が暴発した。
炎と氷が交錯し、男は己の呪いに飲まれて崩れ落ちた。
3 見えなかった心
ロキの死とグズルーンの証言により陰謀は暴かれ、アールヴヘイム家の嫌疑は晴れた。王は持病が悪化したまま蟄居となった。王太子シグルドは処分保留となり、妻グズルーンは証言及び罪の軽さにより謹慎のみとなり離宮へ移された。
全てが終わった翌日、王の間。
ブリュンヒルドは待っていた。
誰よりも会いたかった男がやっと足を踏み入れる。
シグルドは言葉を探しながら近づいてきた。
白の軍装。かつての輝きは消えていたが、目だけはまっすぐだった。
「ブリュンヒルド……君に何を言えばいい?」
「謝罪? 弁解? もう必要ないわ」
彼女はゆっくりと顔を上げた。
「ただ、私は知りたかった。あなたが何を“見て”、何を“選んだ”のか」
シグルドは手を握りしめる。
「私は君を……守ろうとした。でも、それが裏目になった」
「王位と、国家と、私のどれかを選ぶなら、私は……選ばれないとわかってた」
彼は胸元から小さな銀の指輪を取り出した。
「これは返すよ。持つ資格がない。……馬鹿だな、俺は」
沈黙のあとブリュンヒルドは一歩近づき、彼の手を押し返した。
「過去は戻らない。でも未来は……これから選べる」
その言葉に、シグルドの瞳がわずかに潤んだ。