第七章 決裂の塔
1 封じられた真実
北の塔──そこは王宮の中でも特に厳重に管理された禁域だった。
ブリュンヒルドは王族と宰相しか所持を許されない鍵を手に静かに扉を開いた。
そこに並ぶのは古文書、記録簿、禁忌の魔術書。
ルーン文字が焼き付けられた封印の巻物を解き、彼女は一枚の羊皮紙を取り上げた。
《魔女断罪命令──対象:アールヴヘイム伯爵家、ならびにその血縁》
命令文の下には確かに王の印章と、宰相ロキの署名があった。
だが……その印影が僅かに歪んでいる。 “偽造”。
彼女の肩に冷たい汗が伝った。
(これが……私の家族を殺した真実?)
その瞬間、背後の空気が揺らぐ。
「──それ以上、触らないで頂こうか」
低く、乾いた声が響いた。
2 獅子と蛇
ブリュンヒルドが振り向くと、そこにはロキがいた。
灰色の礼服、琥珀色の瞳はまるで慈父のような穏やかさを装っている。
「貴女は多くのものを持ち過ぎました。誇りも力も民の支持も……だからこそ、葬るしかなかったのですよ」
「王の命令を偽造してまで? それが正義だというの?」
ブリュンヒルドの声は静かだった。だが、その胸の奥ではルーンが脈打つ。
「正義ではなく秩序です。混乱を防ぐためには時に英雄は死なねばならない」
彼は歩み寄ると、懐からまた一通の文書を取り出した。
「これは新たな令状。今度こそ正式な王命です」 その文面に目を走らせた瞬間、ブリュンヒルドは息を呑んだ。
──彼女の処刑命令。
署名欄にはシグルドの名があった。
3 偽りの印
「こんなもの……!」
彼女が怒りに震える指で書状を裂こうとしたその瞬間、部屋の奥に陣取っていた護衛兵が動いた。
刃が閃く。
しかし、ブリュンヒルドの体は既に空中にあった。 燃えるような黒のルーンが手の甲から走り、幻影のように軌道を歪める。
ファフニールの声が内から響く。
《その怒りを刃に変えろ。だが、殺すな──まだ見ぬ真実がある》
彼女は槍を振るい、魔力をまとわせた風の一撃で兵を弾き飛ばす。
「証拠はこの目に焼きつけた。私を裁けるのはあなたではない」
ロキは唇を吊り上げた。
「では……第二の剣に任せましょうか」
4 交錯の影
扉が破られた。 そこに立っていたのは漆黒の鎧に身を包んだ男──グンナルだった。
「……来てしまったか」
ブリュンヒルドは言葉を飲み込んだ。
グンナルの目は、かつて彼女に剣術を教え、背中を守ったあの日のものではなかった。
「お前は正しい。だが、正しさは時に火になる。焼けるのは国民だ」
彼の声は震えていた。それでも剣を抜く手は迷わなかった。
「やめて、グンナル……あなたまで、私を“処分”するの?」
「違う。俺はお前を止めたい。……まだ想っているからだ」
剣が抜かれる音が運命の鐘のように響いた。
5 始まりの終わり
剣と槍が交錯する寸前、
塔の最上階に張り巡らされた封印が破れた。
天井の石が崩れ、闇の裂け目から黒い風が吹き抜ける。
その風はロキのローブを跳ね上げ、彼の顔を蒼白に染めた。
──“何か”が目覚めつつある。
ロキとグンナルは時が止まったかのように微動だにしなくなった。
ブリュンヒルドのルーンが熱を持つ。
ファフニールの声が響いた。
《目を覚ませ、焔の娘。真に裁くべきは誰だ──》
風が収まり、全てが凍りつくように静まった。
「……答えはまだ、出ていない」
ブリュンヒルドはそう呟き、槍〈グリム〉を収め消えた。