第四章 氷壁の王都
1 氷壁を越えて
王都ミッドガルド。
白銀の尖塔と氷壁に囲まれたこの都はブリュンヒルドにとって“始まりの場所”だった。
騎士団の訓練に明け暮れた日々。
馬を駆り槍を交え、信じた友と共に笑い誓い合った未来。
すべてが遠い幻のようだ。
今の自分は王命で処刑された裏切り者。
誰ひとり、あの日の仲間は自分を信じてくれなかった。
──そう、思っていた。
2 再会
夜。
彼女は王城の裏門へ続く密道に足を踏み入れていた。
しかし、その闇の中にひとつの気配があった。
「誰?」
槍を構える。だがその声は懐かしい響きを帯びていた。
「……生きていたんだな。ブリュンヒルド」
黒髪の男が現れた。背は高く整った顔立ち。
グンナル・ブルグンド。
彼女と同じく騎士団出身で今は王国の諜報部に属する男。
「いいえ、確かに死んだわ。今の私はそう、魔女かしら?……お前まで私を捕えに来たの?」
その問いにグンナルは首を横に振った。
「処刑された日の記録はすべて消されていた。
屋敷の証拠も不自然に“整理”されていた。
あの日のことを本気で信じていたなら、こんなに探し回ったりしないさ」
3 まだ人でいてくれ
「お前が“魔女”だなんて、信じられるかよ……!」
グンナルの目が揺れる。
「俺は……お前が人を殺してでも戻ってきてくれるなら、それでいいと思った。
ただ一つ願ったのは……お前がまだ“人間”でいてくれることだ」
その言葉がブリュンヒルドの胸をひりつかせた。
(……まだ、そんなふうに言ってくれる人が……)
けれど彼女はすぐにその想いをかき消す。
「私に人の心が残ってると思うなら──それは錯覚よ。
私はもう、“ヴァルキュリア”。復讐のために甦った存在」
「違う」
グンナルが一歩踏み出す。
「それでもお前は村の子供を守っただろう? 斬り捨てなかった。怯えた者に背を向けなかった」
その言葉が鋭い刃のように心を刺す。
あの村の少女。弱くて壊れそうで、それでも自分を見上げて「ありがとう」と言った小さな命。
4 炎と雪のはざまで
「私はもう何も信じない」
ブリュンヒルドの声は震えていた。
それは怒りか、悲しみか。自分でもわからない。
「シグルドは……私の手を離したのよ」
「じゃあ、その手を今度は俺が取る」
その瞬間、彼女の中で何かが脈打った。
人としての鼓動。復讐者ではない、“ひとりの女”としての心が。
だが彼女はそっと目を伏せて微笑う。
「遅いわよ、グンナル」
4-1 指先の温度
ブリュンヒルドに「遅いわよ」と言われたあと、グンナルは思わずその手首を掴みかけた。
けれど黒鎧の冷たい金属越しに感じたのは、かつて稽古の帰りに握った 素手の温度 ではなかった。
――昔、少女だった彼女が勝利の余韻に頬を染めて微笑んだ瞬間、胸の奥で何かが弾けた。
「妹みたい」 と自分に言い聞かせてきたが、本当は “女” として惹かれていた。
それを認めれば王太子との婚約も祝福できない。だから口を閉ざし、ただの仲間としての仮面を被り続けた。
だが今、黒いヴァルキュリアの眼差しを真正面で浴びたとき、抑えていた感情がほぐれ――恐れに変わった。
(……このまま彼女を手放せば、俺は永遠に置き去りだ)
グンナルは手を引き、夜の城壁へと視線をそらした。
5 別れの刃
足音が近づく。城の兵が気づいたらしい。
グンナルが身を翻すと同時にブリュンヒルドも影に紛れた。
「待て、ブリュン──」
けれど彼女はもういない。
夜の風だけが花の香りを残して吹きすぎた。
グンナル、村から跡つけてたんだ……(´ºωº`)