少年Jの憧憬 (1)
あの瞬間を忘れたことは一度もない。
幼い記憶は朧げで、靄がかかったものばかり。
それでも、覚えている。
周囲の騒めき。
驚愕の中に混じって聞こえてくる感嘆の溜め息。
そしてまるでそこだけ何かの魔法がかかっているかのように、クリアに、鮮明に。
ーーーーー彼の銀の花は、今も。
***
「だあぁぁぁああああ!!違うっ!何かが違う!!」
ジャックは練り終えた魔石を前に絶叫した。
つい一月前なら「うるせえ!!」の一声と共に容赦ない一撃がジャックの頭に落ちて来ただろう。
今はその衝撃の代わりに穏やかな笑い声が聞こえてくる。
「まあまあ、ジャック様。そうイライラしては上手くいくものも上手くいきませんよ。一度休憩なさってはどうです?」
優しげな声でジャックを宥める初老の男、ヘイデンは、幼少期よりジャックに魔石細工の手ほどきを施してきた人物である。
幼き頃どこかの工房に弟子入りしたいと懇願したジャックに、当時のジャックの父はそれを許さなかった。
曲がりなりにもジャックの家は貴族の家系であったし、まだ幼いジャックはすぐに飽きて辞めてしまうに違いないとの考えもあった。
しかしあまりにも盛大に駄々を捏ねるジャックに、最終的にジャックの父は家庭教師の要領で王都内の魔石細工職人を雇うことにしたのだった。
結果、父親の予想に反してジャックは飽きることなくどんどん魔石細工にのめり込んでいった。
「いや…!あともう一回だけやってみる…!!」
と、そこでヘイデンがふと思い出したかのように問う。
「そういえば、あのシルバーさんの下で手解きを受けたとか。特に貴方はずっと彼に憧れておられましたからなあ……どうでしたか?学ぶことは多かったでしょう」
ヘイデンの問いに、ジャックの先程までの苛立ちはたちまち霧散した。
「ああ、やっぱりシルバーはすごかった。どうやったらあんなに美しい魔石細工が作れるんだろう」
すぐ側でシルバーが魔石を練り上げていくのを、色をつけていくのを見た。
彼の指が繊細な形を創り出していく様は永遠に見続けられると思うほど精錬されていて美しかった。
「俺の技術ではまだまだ全然手に届かない……でも、」
魔石細工の美しさは、造形美だけではない。
何を込め、何を表現するのか。
「ーーーでも、あの美しさの理由が少しだけわかった気がするんだ」
技術だけでなく、きっとジャックに一番足りなかった、気付いてすらいなかったもの。
「……羨ましいですねえ。もうこんな歳になった私でも、一度でいいから彼の下で魔石細工を学んでみたいものです」
ヘイデンは夢見るように窓の外を眺める。
彼自身もすでに工房を後継に譲ったとはいえ、魔石細工店の激戦区である王都に工房を構えていたあたり相当な腕の持ち主だ。
そんな彼でもシルバーには尊敬の念を抱いているらしい。
「本当に、貴重な体験をなされた。シルバーさんは気難しい方でそもそも人と関わること自体あまりなさらない人です。……貴方が彼の下で学んだことを、決して無駄にしてはなりませんよ」
「……もちろんだ」
ヘイデンの言葉を噛み締めるようにして、ジャックは魔石を練る手に一層力を込めた。
あの秋の魔石細工の大会をきっかけに、良くも悪くもジャックは注目を浴びあちらこちらから声がかかるようになった。
例えば、魔石細工を作って欲しい。
魔石細工の依頼をされるのは初めてのことで、嬉しい反面正直戸惑いの方が大きい。
昔は貴族が商業を営むことは禁じられていた時代もあったそうだが、今はそんな制限はないからそこは問題ではない。
たとえ禁じられていたとしても、どうせ家は長男である兄が継ぐのだから次男である自分は家を出るという方法もある。
一番は自分がまだ客を取れるほどの腕を持ってはいないだろうことだ。
客の望む魔石細工を、形のない想いを、願いを形にする。
シルバーも言っていた、まだ自分に足りない部分が一番に要求されるだろう。
結局、まだ客を取ろうなどとは全く考えていなかったジャックはそれらの依頼を丁重に断らせてもらっていた。
そしてもう一つ多いのが、工房への勧誘だった。
うちの工房に来ないか。
実際に働いている、それも王都に工房を構える魔石細工職人からその声がかけられることはとても嬉しいし、名誉なことだと思う。
同じく魔石細工職人を目指す徒弟達と共に腕を磨くのも大変刺激的になるだろう、とも。
けれど、そこでふと思い出すのは王都より東にあるテータムの、町外れに佇む小さな店で過ごした一時。
ーーー『もう少し指先に魔力を込めろ。ーーーそう、その状態を維持したまま薄く、薄く延ばせ……っておい!!バカ!!集中切らすんじゃねぇえええええ!!!』
ーーー『あ、ジャック。今から紅茶でも淹れようと思ったんですけど……ミルクティーにした方がいいですか?』
気難しい銀色の魔石細工職人と、物腰柔らかな優しい青年。
あのアルジェンテでの日々はまるで夢のような時間だった。
ーーーーもしも、叶うのなら。
自分はアルジェンテの、シルバーの下で魔石細工を学びたい。
あの短い時間の中で、シルバーと自分は確かに師と弟子の関係であったと思うのは決して勘違いではないだろう。
シルバーを師匠と呼んでいたあの頃を思い出すと、工房からの誘いもなんだかんだで断ってしまっていた。
「アルジェンテに戻りたいなあ」
いつでも来い、との言葉も貰えたのだ。
いっそ荷物をまとめて今度こそ本当の意味であそこに弟子として置いてもらいに行ってしまおうか。
ーーーー予期せぬ出来事に遭遇したのは、そんなことを考えていた時だった。