言葉の壁 -拾い主の誤解 (1)-
シルバーは抱きかかえた身体をそっとベッドの上に横たえた。
黒い髪がシーツの上に広がり、黒い睫毛がリオの顔に影を落とす。
すやすやと気持ちよさそうに眠るのを見てから、自分も寝ようと、リビングへと向かう。
ソファへと横になりながら、思う。
ーーしばらくは、ソファだな。
リオを連れ帰った昨日、リオは髪を乾かしてやるとそのまま寝てしまった。
環境も変わったから疲れただろうし、もともと本調子ではなかったのだろう。
だからシルバーは昨日、リオを自分のベッドで寝かして自分はソファで眠ることにした。
ベッドはもともと一人用だからそんなに大きくはないし、まだ他人も同然の自分が同じ空間で眠っていてはリオの疲れもとれないのではないかという気遣いもあった。
しかし、どうだろう。
今日の夜になると、シルバーが寝る前にリオはソファの上で寝ていたではないか。
まさかこいつ、俺に気を遣ってんのか?
子供は子供らしく大人に甘えときゃ良いってのに。
流石に子供をソファに寝かせて自分だけがベッドで寝るなんて真似はできなかったから、シルバーは今夜もリオをベッドへ運んだのだった。
一人暮らしだから他にベッドはない。
けれどもこれからリオも住むことになるのだから新しくもう一つベッドを買わなくてはならない。
しかしそのためには部屋も一つ空けなくては。
正直、一部屋空けるのはかなり面倒だ…………主に片付けが。
そう考えるとつい、しばらくはソファでいいやとなってしまうのがシルバーだった。
まあ、寝れるのなら何処でもいいしな。
***
そして次の朝。
目を覚ますとリオがじっとこちらを見つめていた。
まだ覚醒しきっていない頭でぼんやりとその黒い瞳を見つめ返す。
「××××××××」
……朝の、挨拶だろうか。
「……おはよう」
すると、リオは再び口を開く。
「×××××,×××.×××××××××××××××××××?」
「…何言ってんだ?」
シルバー、リオ、ソファなどを指差し必死に何かを伝えようとしている。
それでも分からないものは分からない。
何をそんなに必死に伝えようとしているのか、と思わず首を傾ける。
「××××××,×××.×××××××,×.××××××××××」
そして、シルバーが導き出した答えは。
「ああ………飯か。ちょっと待ってな」
朝食、だった。
きっとシルバーよりも早く目覚め、お腹が減っていたのだろうと結論を出した。
ひとつリオに頷いてみせ、キッチンで朝食を作り持っていく。
しかし差し出された朝食とシルバーの顔を交互に見た後、リオはしばらく沈黙していた。
…………朝食じゃなかったのか?
その日の夜、気がつくとリオがリビングのソファの上に寝転がっていた。
ベッドで寝た方が疲れもとれるだろうに。
心の中で溜め息を吐いたシルバーは、リオにベッドを使っていいとジェスチャーする。
と、突然リオは勢いよくソファから起き上がり、ぎゅ、とシルバーの腕を掴むとずんずんとシルバーを引っ張って寝室まで連れて行った。
「×××××××」
「………なるほどな」
流石にシルバーもリオが何を言いたいのか分かった。
要するに、シルバーがベッドを使うべきだと言っているのだろう。
そしてその表情からして………多分、自分は拾ってもらった身だから、とか思っているのではないだろうか。
全く、まだ12、3歳の餓鬼が一丁前に気を遣うんじゃねえよ。
思わず呆れてしまう。
「ちゃんと寝ねぇとでっかくなれねえぞ」
ぽんぽん、とその小さな頭を軽く叩きシルバーはまたソファで寝よう、と寝室のドアノブに手を伸ばす…………がその手を思いっきり後ろに引っ張られた。
何だ、と思って振り返ると凄まじい形相のリオがいた。
「×××××!××,××,×××!!」と、とにかくすごい勢いで半ばキレるように喋り、その勢いに何も言えずに固まっていたシルバーを見て最終的に無理やりベッドの上に座らされてしまう。
バタン、という扉の閉まった音で硬直の解けたシルバーは瞬きを繰り返す。
「そんなに、必死になることか?」
なんだか疲れてしまったシルバーはそのまま後ろのベッドへ倒れこむ。
見慣れた天井をぼんやりと見つめながら考える。
初めて出会った時こそ獣のようだと思ったが、案外リオは相手を気遣うことのできるしっかりとした子のようだ。
別にシルバーはベッドだろうがソファだろうが気にしていないのに、ここまで食らいついてくるとは思わなかった。
そこは子供らしく甘えておけばいいと思うのだが。
しばらく逡巡していたシルバーは、まだ食器を洗っていないことを思い出し、渋々ベッドから体を起こす。
リビングへ行くと、ソファの上でリオが穏やかな寝息を立てていた。
それを微妙な顔をしながら見た後、シルバーは食器を片付ける。
洗い終わった食器を並べながら、食器も買い足さないと、と思っていると。
「ーー、ーーー」
リオの、声がした。
洗い物の音で起こしてしまっただろうか、と様子を見にいったところでシルバーは瞠目する。
リオが、泣いていた。
ソファの上で縮こまり、ずっと同じ言葉を繰り返しながら。
「×××××」
懇願するように紡がれたその言葉の意味を、シルバーは知らない。
ただ、涙を頬に伝わらせながら同じ言葉を繰り返すリオを見ていると、どうしようもなく胸が痛んだ。
静かにソファの傍にしゃがみ、シルバーはリオの頬に手を伸ばす。
「大丈夫だ」
そのまま優しく指先で涙を掬い取ってやる。
何故泣いているのかは分からない。
誰かを恋しがっているのかもしれない。
変わってしまった環境に不安なのかもしれない。
もしくは過去に恐ろしいことがあったのかもしれない。
頭を撫でてやるとリオの表情が幾分か和らぎ、それを見てほっとしたシルバーがそっと手を引こうとすると、リオの手が腰あたりのシャツを弱々しく掴んでいるのに気づいた。
しばらくその手を見つめ、シルバーは目元を緩める。
もう一度リオの頭を撫でるとシルバーはリオを起こさぬように抱え上げ、ベッドへ運ぶ。
ベッドに下ろしてもシャツを離さないリオに苦笑し、シルバーもベッドに横になる。
「ーー大丈夫だ」
トン、トン、と一定のリズムでリオの身体を優しく叩く。
大丈夫だ、と繰り返しながら。
寂しいなら側にいてやる。
行きたい場所があるなら連れて行ってやる。
不安に思うことがあるのなら、安心できるよう力を尽くす。
だから、大丈夫だ。
大丈夫、俺が、
「俺が、側にいる」




