美人で残念な同居人
「ただいま戻りました」
カランと音のなるドアを開け、リオはおそらくいつもの場所でいつものように腕を組みながら例の物を真剣な眼差しで眺めているであろう男に言った。
「遅い」
その人物はこちらを見ることもなくそう言った。
交わることのない青みがかった銀色の瞳と、そのぶっきらぼうな言葉に若干の苛立ちが募る。
細身で女のそれよりも美しいのではないかと思う白い肌に、冷たい印象を与える端正な顔。
それに加えて銀の髪を持つ彼は一見何処かの貴族のような高貴ささえ感じられる。
ーーーーー口を開かなければ。
残念な男だ。
リオはしみじみとそう思った。
やはり予想通りの、というよりいつも通りの彼がそこにいてリオはもう一度その姿を見やる。
美しい容貌であるのに身に纏っているのは質素なもので、その白いシャツの袖を適当に捲り上げている。
普通の者なら地味としかいいようのない身なりでさえも美しいと思わせるのは顔が良い者の特権か。
適当なのは服に限ったことではない。
折角の美しい銀色の髪も無造作にリボンで一つに束ねているだけだ。
低い位置で結われたその髪を見る度、もう少しちゃんと梳かしてやればいいのに、とリオはいつも溜め息をつきそうになる。一度櫛を通すだけでその銀色は艶を増すだろう。
本当にこの男は勿体無い。
しかしそれがこの男、シルバーである。
彼にとって、自身の容貌などにはこれっぽっちも関心がないのだ。
そんな彼が唯一にして最も力を注ぐものは………魔石細工であった。
彼は魔石細工職人なのである。
「おい、いつまでもボケッと立ってるんじゃねえ!さっさと準備しろ!」
しばらく彼を観察していると、その品の良さそうな顔立ちには似合わず随分と荒い口調の怒号が飛ぶ。
ようやく視線が合わさったと思ったら、その目は見事に吊り上がっていた。
もともとキリリとした猫を連想させるその目が吊り上がるとなると、その威力は半端ではない。
しかし今は怒りを湛えたその瞳も、魔石を前にすれば真剣の一色に染まる。
魔石細工に全てを捧げていると言っても過言ではないくらい、彼は魔石細工馬鹿であった。
この性格も実に勿体無い、と思いながらリオは言われた通り自分も店の準備に取り掛かる。
もし恋人に「私と魔石細工とどっちが大事なの?」などと聞かれた日には、「魔石細工」と一寸の迷いもなく即答するだろうと断言できる。
リオは自室に戻ると、てきぱきと身支度を整え始めた。
朝の市場に行った時の服はそのままに、起きてから適当に縛ったままだった髪を縛り直す。
青いリボンを解くと伸びた黒髪が肩に落ち、櫛を溶かしてからもう一度一つにまとめて再び青いリボンで縛ると、不思議なことに髪は黒から暗い茶色に変わった。ついでに瞳の色も同じように変化する。
黒、という色はこの世界では何かと都合が悪いため、リオは魔道具である青いリボンでそれを隠している。
それからリオは己の仕事を開始した。
まずは掃除道具を手に取り店内のフロアをきれいにし、それが済んだらざっと店内の商品を確認する。
そうしたら最後に店のドアにかけられた板をひっくり返して"open"という意味の文字が表になるようにする。
そして、最後にシルバーの様子を伺う。
彼は依然として作成中の魔石細工に集中したままだ。
「…よし、特に何もなさそうですね」
シルバーからの仕事もなさそうだと判断し、あとは何が残っているかと思案する。
洗濯は午後でいいし、キッチンも今朝起きた時に片付けた。買い出しも特に言いつけられていないーーーよし、大丈夫だ。
そして、リオは店のカウンターに置いてあるイスに腰をかける。
あとはただひたすら客を待つばかりである。
リオはカウンターに頬杖をつく。
決して広いとは言えない店内は10人も人が入ったら身動きが取れないのではないかと思う。
まあ、そもそもこの店が客で満たされたところなど見たことがないが。
店内にある棚には彼の作品が飾られている。
魔石細工。
この魔法などが存在するファンタジーな世界には、魔石などという物も存在するわけで。
詳しいことは知らないがその魔石を加工して作られた物が魔石細工だ。
元の世界でいうと、完成形はガラス細工に近い。
実際にちらっと作業の様子を見たことがあるが、かなり硬そうな魔石が液体のように溶けて、それが人の手によって様々な形へと作り変えられる。
総じて、魔石細工は繊細で美しいものばかりだ。
色も様々で、輝くような艶がある。
みずみずしく咲き誇る可憐な赤い花。
今にも飛び立ってしまいそうな青い小鳥。
しなやかに身体を伸ばしている白猫。
まるで何処ぞの不良のような言動の男がこれらのような繊細で美しい物を作り出すのだから、世の中は実に不思議だ。
そして、結局今日も客は一人も来ないまま店は閉店となった。
***
「で?この野菜、どうした?」
店を閉じ、洗濯を終えた後、キッチンに立つシルバーが眉を顰めて様々な野菜が大量に入った袋を見つめていた。
「今朝ゴミを出しに行った帰りにメリッサさんの荷物運びを手伝ったんです。そのお礼です」
リオはそう言いながら、心の中でメリッサに感謝していた。
客が誰一人来なかったのは何も今日に限ったことではない。
むしろそれが日常となりつつあるこのアルジェンテは赤字続きで、大変家計が圧迫されているのだ。
よってタダでこれだけの食糧をいただけるということがどれだけありがたいか。
「…はぁ」
リオは小さく溜め息をつく。
多分、このままでは店に客が来ることはほぼない。
まず店の見た目が悪いんじゃないだろうか。
はっきり言ってしまえば、ボロい。
中に入ってしまえばなかなかにオシャレな造りをしているのだが、外見がいろいろとガタがきている。
かといってそれらを修理するお金はもちろんあるはずもない。
「大通りにあるデリシューズ工房はもっと大きくて、ウチみたいにボロボロな所なんてないからなぁ」
デリシューズ工房はこの街一番の人気魔石細工店である。
「ま、あそこと比べたら駄目だよね」
せめて、せめて一人でもこのドアを叩いてくれたら。
それは約三ヶ月も収入が0であることを知るリオの切実な願いだった。