アルジェンテ
「リオさん、悪いわねえ」
「いえ、メリッサさん。これくらい全然構いませんよ」
老婦人の言葉ににこりと笑いながら、リオは手にしていた袋をテーブルの上に置いた。
袋を置くと、どさり、という音とともに机がわずかに揺れた。
ズボンの膝近くまであるロングブーツに、白いシャツとベストを身に纏い、綺麗な笑顔を浮かべるリオは爽やかな好青年のような風貌をしていた。
「全く、私ももう年ね。昔はこれくらいの物を運ぶくらい訳なかったのだけれど」
頬に手を当て困ったように笑うメリッサは、リオの記憶では確か今年で60になると言っていた気がする。
偶然街で彼女が困っているのを見かけ声をかけたところ、必要な物を買ったのはいいが女一人ではとても運べそうもなく途方に暮れていたらしい。旦那さんは現在店で忙しく手が離せないそうで、代わりにリオが手を貸したのだった。
リオが玄関先まで戻ろうとすると、「ああ、そうだわ。少しお待ちになって」とメリッサは別室へと姿を消し、再びリオの前に現れた際には両手で膨れた紙袋を1つ抱えていた。
「お礼にこれを持って行ってくださいな」
差し出された袋には、様々な色形の野菜がいっぱいに入っていた。
どれも大きな実をしたものばかりだった。
「こんなに立派なものをいいのですか?」
「ええ、もちろんよ。今日は買った物を運ぶのを手伝ってもらったし、いつも店をご贔屓にして下さっていますからね」
特別です、と笑うメリッサは近くの商店街に店を構える八百屋の奥さんである。彼女らの店の野菜はどれも新鮮で味も良く、リオもよくこの八百屋で買い物をする。
そのため、メリッサとその旦那とは結構親しい仲で、まるで孫のように可愛がってもらっていた。
「ではお言葉に甘えて。ありがとうございます」
「いえいえ。こちらこそ。また店にいらして下さいね」
「はい」
「じゃあねリオさん」
ひらひらと手を振るメリッサに小さくお辞儀をしてその場を去り、のどかな田舎道を歩きながらリオはぽつりと呟く。
「リオさん、か」
リオさん。
もうその名にも慣れたものだった。
リオは先ほどのやりとりを思い出しながらしみじみとそう思った。
「あれからもうすぐ半年も経つんだ」
そう考えると、成る程、とリオは一人で頷いた。
***
リオこと篠崎涼はつい半年前までは至って普通の女子高生であった。
いわゆるJKとして平凡な日々をそれなりに謳歌していたのである。
友達もいたし、家族関係も良好。
しかし、受験というフレーズに頭を悩ませる高三の夏、悲劇は起きた。
その日、リオは勉強をするために夏休み中開放されている学校へと自転車で向かっていた。
そこそこ都会の街中に位置している学校へ行くためにリオが通る道では、一ヶ所だけ大きな通りがあった。スクランブル交差点に近いような、多くの人でごった返しになるような場所である。
そんな所で自転車に乗っていては人にぶつかるのは明らかで、いつもその横断歩道の手前でリオは自転車を降りる。そして、信号が青に変わるのを人混みに紛れて待っていた。
そこまではいい。
いつもと何も変わらない。
問題はその後だった。
何やらそう遠くない場所で悲鳴が沸き起こった。
なんだと思ったがいかんせん人が多いため何があったのかをうかがい知ることはできず、まあいいかと気にせず立っていた。
「危ない!!」
すぐ近くで聞こえた叫び声、それと同時に身体に走る衝撃。
何が起きたのかよく分からなかった。
唯一覚えているのは流れ出る赤と霞む視界に僅かにきらめいた鋭い銀色が見えたことだ。
そこで、リオの意識は完全に途絶えた。
後に通り魔事件として新聞の紙面を飾ることとなるこの事件で、リオは命を落としたのである。
***
そして自分に何が起きたのかよく分からないまま、次に目を開けた時にはまあ不思議。
リオは地球とは異なる、いわゆる異世界という場所で倒れていた。
それから色々とあったが、最終的にリオはとある人に拾われ現在その人の家で生活をしている。
この世界に来てから、元の世界の数え方でいうともう早六ヶ月。
言葉が通じなくて悩んだり、魔法という存在に驚いたり、そして大半は拾い主にこき使われるという、実に濃密な時間を過ごした。
今ではほとんどこの世界の言葉もマスターし、会話に支障が出ることはない。これも全て自分を拾ってくれた恩人のおかげだ。
男装をしているのは単にこの世界の女性が着るフリフリとした可愛らしいものに耐えられなかったからで。
それに言動もこの世界にいる女性に比べれば随分とがさつであることから、自分でも此方の方が性に合っていると思う今日この頃。
ようやく異世界での我が家に帰り着いたリオは、野菜で膨れた袋を抱えなおし、そっと見慣れた看板に目をやる。
ーーーーアルジェンテ。
ここが、この異世界で手に入れた唯一の居場所。
「さあ、やりますか」
今日もまた、異世界での1日が幕を開ける。