第八話 やぶへびには参加賞と月夜の波乗りを 前編
「おはよう……」
まだ眠い目をこすり、小さくあくびをしながら一階に下りると。
あたしよりずっと早く起きているゴウさんに、ごあいさつ。
「おはようじゃないだろ、何時だと思っているんだ」
確かに。
いくら南向きで日当りが抜群な上に、壁一面の大きな窓だからはいえ。
さんさんと差し込んでいる日差しは、朝日にしては少し強過ぎるものね。
「十時をとっくに過ぎているぞ」
「少しぐらい寝坊したっていいじゃない、たまの日曜日なんだし……」
「日曜日だからって、いつまで寝ていれば気が済むんだ」
「だって、体育祭の後片付けや打ち上げで疲れていたんだもの」
「何日前のことを言っているんだ、体育祭は金曜日だったんだろ」
「疲れをとるためには、十分な休養が必要なの」
「あのなあ、体育祭で疲れるのは生徒でおまえは教師だろ」
「教師だって、裏方でいろいろと大変なのよ」
今ひとつ説得力に欠ける反論じゃ、どうにも分が悪いわね。
「おまえのことだから、どうせ昨日だって一日中ゴロゴロしていたんだろ」
まるで見ていたように言うのね、そのとおりなのが悔しいけれど。
「あたしがゴロゴロするのは、昨日に限ったことじゃないでしょ」
「自慢げに言うことかよ」
金曜日からの出張が、思っていたよりも早く終わったゴウさんが。
予定を変更して帰ってきたのが昨日の夜遅く、日付が変わってから。
なのに、あたしよりもずっと前に起きているんだもの。
出張で疲れているでしょうに、早起きをして。
リビングでソファーに座って、のんびりとお庭を眺めているなんて。
あなた、前世ではニワトリだったんですか?
寝坊については、うやむやにしたままにすべきだし。
こんなにまったりとできるチャンスは、めったにないからと。
さりげなく隣りに座って、甘えようとすると。
「なるほどな、そういうことだったのか」
そうつぶやいたゴウさんが、急に笑い出したのにはびっくり。
だって、ゴウさんが笑っているのって初めて見たかもしれないんだもの。
そりゃ、一緒に暮らしているんだから笑顔ぐらい見たことはあるわよ。
でも、声を出して笑っているのを見るのは初めてよね。
「何を思い出して笑っているの、よっぽどおかしかったこと?」
笑いすぎたようで、ゴウさんは涙を拭きながら。
「庭にヘビが出たときのことを思い出したら、つい」
「ヘビ?」
「ああ、退院した日にここに座っていたときにヘビが出たんだ」
「退院って?」
「俺は小五の春に盲腸で入院しただろ、忘れたのか?」
「そっ、そうだったわね」
盲腸で入院、か……。
「じゃあ、ヘビって何のこと?」
「ここじゃなんだからとん起に行こう、飲みながら話をしてやるよ」
「まだ十一時前よ、開店前じゃない?」
「もう入れるだろ、開店前でも仕込みは始めているだろうし」
まだのれんも出ていないとん起に、当たり前のように入っていくと。
これまた当たり前であるかのように、豆キチさんたちが先に来ているわ。
注文を済ませ、ホッピーで乾杯をしてから。
「さあ、さっきしていたヘビの話の続きを教えてよ」
続きを聞きたくて、うずうずしているあたしがそう言うと。
ゴウさんは、ポテトサラダをつまみながら話し出したの。
「あのとき、俺は退院してから一週間も自宅療養をしていたんだ」
「たかが盲腸なのに、一週間も自宅で療養を?」
「しっかり療養をしなくちゃだめだって、おふくろがうるさく言うから」
「それにしても一週間は長いわね、退屈だったでしょ」
「元気でぴんぴんしているのに、外出が禁止されているんだから」
「退屈の極みでしょうね」
普通の男の子でも退屈でしょうに、ましてやわんぱく盛りのゴウさんなら。
「暇つぶしにあそこに座ってぼ~っと庭を見ていたら、出たんだよ」
「出たって、何が?」
「だから、ヘビだよ」
「いくら十七年前でも、こんな町の中にヘビなんて出るの?」
「出たんだよ」
「ヘビが出たなんて、うわさでも聞いたことがないわよ」
「俺だってこの町でヘビを見るなんて、後にも先にもあのときだけだからな」
「で、どんなヘビだったの?」
「二メートルぐらいあったかな、立派なアオダイショウだったよ」
「ゴムでてきたおもちゃのヘビぐらいかと思っていたのに、そんなに大きな」
「そりゃ、立派なもんだったよ」
「でしょうね、それからどうなったの?」
「俺から話を聞いたオバちゃんが、どこかに電話をしていたと思ったら」
あらあら、先生まで巻き込んだの?
「そのうちに大騒ぎになって、保健所の人は来るし野次馬も集まってきて」
「この町じゃ大事件だものね、そんなに大きなヘビが出るなんて」
「保健所の人が駆除した後も、しばらくは野次馬が解散しなくて」
「大変だったのね」
一気にホッピーを飲み干したゴウさんは、中のおかわりを注文すると。
「でも、さっきリビングで笑っていたのはそんなことについてじゃないんだ」
「じゃあ、何を笑っていたの?」
「やぶへびって、知っているだろ」
「ことわざでしょ、やぶをつついてヘビを出すって」
「あのときヘビを見た俺は、やぶへびの本当の意味が分かったんだ」
「本当の意味って、ことわざなのに他に意味なんてあるの?」
「それを、今から話すんだよ」
中のお替りをジョッキに注いだゴウさんは、レバーの串を手に取ると。
「特にこれといった理由はなかっだんだが、あの日は学校に行きたくなくて」
「あの日って、ヘビを見た日のこと?」
「いや、盲腸の手術をした日だよ」
「それで?」
「どうにかして学校を休もうとして、腹が痛いと言って仮病を使ったんだ」
「おい、盲腸で手術をしたのってのは仮病だったのか」
聞き耳を立てていた豆キチさんが、我慢できずに口を挟んできたわ。
それを、完全にスルーするゴウさん。
「ところが、仕事を休んで俺を病院に連れていくっておふくろが言い出して」
「お母さんまで巻き込むなんて、おおごとになっちゃったのね」
「寝ていれば治ると言ったんだが、医者に行けと言われるし」
そりゃ、そうでしようね。
「一人で大丈夫だから付いてこなくていいと言っても、聞いてくれなくて」
「それで、お母さんと一緒にどこの病院へ行ったの?」
「バス通りの、小さくて古びた診療所に行ったんだが」
「そこって、確かおじいさんの先生が一人でやっている病院でしょ」
ここで、思わず豆キチさんが。
「病気だろうがなかろうが、じいさん先生のところに行っちゃだめだろ」
あたしは行ったことがないけれど、あそこってそんな評判なのね。
「どうせ仮病なんだし、じいさん先生のところでも構わないと思ったんだ」
ここは、スルーをしないんだ。
「それで、どうなったの?」
「診察を始めるなり検査をするって言い出して、耳たぶから血を採られて」
「採血だなんて、まるで本格的な病気みたいね」
「仮病なのに、な」
また、豆キチさんが茶々を。
「うるさいな、外野は黙っていろよ」
「実はどこも悪くないのに、検査をされてもね」
「ところが、検査結果を見るなり白血球がどうだらこうだら言い出して」
「先生としても検査をした以上、何かしらの病名を言いたかったのかしら」
「そんな程度じゃすまなくて、盲腸だからすぐに大きな病院に行けって」
「いきなり盲腸って言われても、仮病だったんでしょ?」
「日頃の行いが悪いから罰が当たったんだ、身から出たさびだな」
鬼の首でも取ったかのような豆キチさんを、再度のスルー。
「俺は腹なんてこれっぽっちも痛くない、そう言ってやりたかったけれど」
「うそがばれるのは嫌だものね」
「何より、仕事まで休んだおふくろに悪くて」
「それで、どうしたの?」
「紹介状を書いてもらって、隣町の総合病院に行ったんだ」
「総合病院って、隣の駅に近い大きな病院?」
「ああ」
「さらなるピンチね、大きい病院へ行けなんて言われたら慌てたんじゃ?」
「おふくろは真っ青になっていたけれど、むしろ助かったと俺は思ったんだ」
「どうしてよ、何ともないのに別の病院に行くことになったんでしょ?」
「大きい病院で検査をして、盲腸じゃないって分かればすぐに帰れるだろ」
「それもそうね」
「ところが、そう簡単にはいかなくて」
ここでひと息ついたゴウさんは、追加のおつまみと中を注文して。
「診療が始まってすぐに、医者から盲腸だから手術しますって言われて」
「えっ、大きな病院でも盲腸だって言われたの?」
「じいさん先生の所見を見て、問診をしただけで手術だと」
「そんな」
三杯目のジョッキを飲みながら、話を続けるゴウさん。
「そんなも何も、ものの数時間で手術台送りだったよ」
「手術をされちゃうぐらいなら、本当のことを言えば良かったのに」
あたしがそう言うと、したり顔の豆キチさんが。
「こいつのおふくろは怖いから、うそをついていたなんて言えないんだよ」
「おまえが一人で怖がっていただけだろ、おふくろが教師だからってだけで」
「ところが、手術が終わってみれば意外にも」
鶏の唐揚げが運ばれてきたんで、あたしはいつものたれを準備しながら。
ホッピーを飲み干したゴウさんの、話の続きを待っていると。
「次の日から、入れかわり立ちかわりに誰かしらが病室に見舞いに来て」
「ふうん」
「俺は、見舞いに来た友達に自慢をしまくっていたんだ」
「自慢って、お見舞いにきた友達に手術の自慢をしていたの?」
「あの年だと、手術や入院をしたやつなんて周りにいないからな」
「じゃあ、入院していても退屈はしなかったんだ」
「過程はともかく、ちょっとしたヒーローの気分だったな」
「俺たちだって、見舞いに行ってやっただろ」
「おまえらは見舞いの果物を目当てに来て、食い散らかして帰っただけだろ」
四杯目の中に、ホッピーの残りを注いだゴウさん。
「でも、どうしてそれがやぶへびなの?」
話の核心を聞きたくて、ホッピーを飲んでいるゴウさんを促すように。
「仮病を使ったら、実は本当に病気でおおごとになったってこと?」
「いいや、まったく違うよ」
「じゃあ、何なの?」
「あの騒ぎは、じいさん先生のしょうもない診断から始まった騒ぎだろ」
「おまえが仮病を使ったから、じゃないか」
うるさいな、とばかりに豆キチさんをにらんだゴウさん。
「それでも、退院して自宅療養をしていたからこそヘビを見られたんだ」
「学校に行っていたら、ヘビなんて見られていないものね」
「それで思ったんだよ、やぶへびの本当の意味はこれなんだって」
「本当の意味?」
「やぶのじいさん先生が始まりで、終わりはこいつがヘビを見たってことさ」
豆キチさんの回答は違っているらしく、言葉を続けるゴウさん。
「どうにも足りていないやつが始めた、突拍子もないことなんてものはだな」
いくらなんでも、おじいさん先生のことを足りていないなんて。
「どう収拾するつもりなのか、ただのんびりと眺めていればいいんだ」
ジョッキを手に取ったゴウさんは、中身を飲み干すと。
「ただ眺めてさえいれば、いずれ面白いものが見られるってことなんだよ」
意味がよく分からないけれど、さっきはそれがおかしくて笑っていたのね。
「ゴウさんにとっては、それがやぶへびの意味なの?」
あたしは、いまだによく分かっていないんだけれど。
「ああ」
話の続きを聞くのに夢中になっていたけれど。
もともとは、ゴウさんが笑っていた理由について聞いていたんだっけ。
「じゃあ、さっきはそれがおかしくて笑っていたの?」
そう聞いたあたしの目を、じっと見ていたゴウさんは。
「違うよ」
「じゃあ、何がそんなにおかしかったの?」
「まさに、今がやぶへびじゃないかって気づいたらおかしくて」
「今がやぶへび?」
さらに意味が分からなくなって、首をかしげているあたしに。
「気にしなくていいんだよ、いずれおまえにも分かるだろうから」
夜になって、ベッドの中に二人で。
本を読むゴウさんの肩に頭を乗せ、あたしはうとうとしていたんだけれど。
そんな幸せな状況なのに、昼間のゴウさんの言葉が気になっちゃって。
ゴウさんは、今がやぶへびだと言っていたわよね。
それに、いつかあたしにも分かるって。
何なのかしら。
今がやぶへびで、いつかあたしにも分かるって。
どうにも頭の中がもやもやとして、しばらく眠れそうにないな……。
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