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第七話 ダメダメとハナマル 後編

 ルールに従い、ゴウさんのお部屋のドアをコンコン。

 それが、作戦開始の合図。

「入ってもいい?」

「ルールを守っているのは認めるけれど、返事を待たずに入ってくるんじゃ」

「えへへ」

「どうして枕を抱いているんだ、まさかとは思うが」

 何てめざといのかしら。

「あのね……」

「だめだ、絶対にだめっ」

「まだ何も言っていないでしょ」

「どうせ、なし崩し的に今夜も一緒に寝るつもりだろ」

 ぎくり。

 それでも、昨日と違って悩殺ネグリジェへの文句はないし。

 ここは堂々と、正面突破をするまでよ。

「何度も言うけれど、俺とおまえが一緒に寝るのはおかしいんだぞ」

「どうしてよ」

「歌があっただろ、男はオオカミなんだから気をつけろって」

「あなたがオオカミだったら怖くないわ、って歌もあったでしょ」

「おいっ、何げなく枕をベッドに投げ入れているじゃないか」

 また、ぎくり。

「ゴウさん一筋だったあたしの、初めてを捧げる覚悟なのに」

「親が見たら泣くぞ」

「まさか、あなたと結婚をすることはパパやママだって公認しているもの」

「認めているのは同居をすることまでだろ、一緒に寝ているなんて知ったら」

「結婚をするんだから、そんなこともあるかもねって言われているし」

「ないだろ、普通」

「ママが言っていたもん、できちゃった婚でなければいいって」

「おまえの家は、おまえだけじゃなくて親までどうかしているのか」


「このままなし崩しにされるぐらいなら、お互いにある程度の妥協をしよう」

 肉を切らせて骨を断つのつもりか、あたしのもくろみどおりね。

 第五条へ追加されたのは、次の三つ。

 あたしがゴウさんの部屋で寝ることは、黙認する。

 ゴウさんがいないときに、あたしはゴウさんの部屋で寝ない。

 そして、一緒に寝ていてもスキンシップは厳禁。

 ふんだ、既成事実にしちゃえばこっちの勝ちだものね。

 ルールに守られた上で、今夜も一緒に寝ているんだもの。

 でも、こんなことで満足しているわけにはいかないわ。

 さらなる極上の蜜を求めて、次の作戦を開始するわよっ!




「こっ、これはいったい……」

 同居を始めてから、半月。

 初めてあいつの部屋に入った瞬間、俺の目に飛び込んできたのは。

 思わず絶句するほどに散らかっている、部屋の惨状。

 読みかけの本や雑誌が散乱し、脱ぎ放題の服があちこちで山になっている。

 唯一の救いといえるのは、食べ物のゴミがないってことぐらいで。

 部屋の中で多少ましなのは、書きかけの油絵が置いてある窓辺だが。

 そこですら、整頓されているとは言い難い状況だし。

 あいつがベッドに腰掛けていなければ、泥棒が入った後かと思うところだ。


 そういえば、同居した初日は部屋の中までは見ていなかったな。

 着替えの途中で半裸だったこいつに驚いて、すぐにドアを閉めたから。

「おまえ、引っ越してきてから掃除や洗濯は?」

「していないけれど」

 当然でしょ、なんて顔をしているぞ。

 言っておくが、俺は極度の奇麗好きではないし整頓魔でもない。

 むしろ、自分の部屋なら多少乱雑でも気にしない方だが。

 この部屋の惨状を見れば、そう口にしたのも無理はないだろう。

「いい年をした娘が料理や掃除に洗濯もできないって、どんな教育方針だよ」

「おうちにいたときは、ママやお手伝いさんがやってくれていたもの」

 何だそりゃ、料理のときと同じ言い訳じゃないか。


「これから俺が掃除するから、その間におまえは洗濯物を分別していろ」

「分別って、まるでゴミみたいね」

 みたいって、ゴミになりかけているじゃないか。

「まずは、今すぐクリーニングに出すものをそこに置いて」

 あいつの足元、ベッドの脇を指さす。

「クリーニングに出すが、今は出さないものはあそこに置いておけ」

 掃除の邪魔にならないよう、ドレッサーの前を指さす。

「下着と普通の洗濯物はここに置け、すぐに洗濯をするから」

 持ち出しやすいように、ドアの前を指さす。

「それを全部、あたしが一人で?」

「おまえの他に、誰がいるっていうんだよっ!」


 こっちはあらかた片付いたし、あいつも洗濯物の分別をようやく終えたな。

「下着以外の洗濯物はないのか」

「お洋服は、クリーニングに出すんじゃないの?」

 さすがお嬢様だな、下着以外はすべてクリーニングに出すなんて。




 そんなことよりも、問題なのは。

 これから、人生で初めての洗濯をしなきゃいけないってことだ。

 洗濯機の使い方なんて知らないし。

 ましてや、女ものの下着を洗濯するんだそ。

 そんなものをどう洗濯するかなんて、いったい誰に聞けばいいんだ。

 おふくろには、こんなことは聞けないし。

 オバちゃんに聞いたら、こいつの下着を洗濯するってばればれだし。

 ここは、南野に電話をして聞くしかないか。

 南野美紀みなみの みきは会社の後輩で、俺とは同じチーム。

 同じチームといっても、俺とあいつの二人しかいないから。

 実質的には部下みたいなものだ。

 他に聞けるやつも思いつかないし、背に腹は代えられないよな。


「休みの日に悪いけれど、聞きたいことがあるんだ」

「何をですか?」

「まずは、洗濯機の使い方を教えてもらいたいんだ」

「お洗濯ですか、先輩は叔母さんの家で下宿暮らしを始めたんですものね」

「それと、女ものの下着の洗い方について教えてくれないか」

 われながら情けない質問だが、それを聞いた南野の声が変わったぞ。

「どうしてそんなことを聞くんですか、誰かの下着を洗うの?」

 南野とすれば、しごく当然の質問である。

「細かいことは気にしないでいいから」

 そうは言ってはみたものの、気にしないやつがいたら会ってみたいものだ。

「いろいろと、必要なものがあるわよ」

 あれ、声がもとに戻ったぞ。

「先輩の引っ越し先ならすぐだし、必要なものを買ってから行ってあげるわ」

 そういうことか。

「教えてくれれば、自分で買いにいくよ」

 それにしても、だ。

「どうして、おまえが俺の引っ越し先を知っているんだよ」

「聞いたのよ、総務課の香澄ちゃんに」

 香澄ちゃんとは、確か南野とは同期入社の総務課員だ。

 当時は、個人情報の保護なんて問題になっていない時代だが。

 とはいえ、勝手に人の住所を教えるのはだめだろ。


 会社のやつ、ましてや南野なんてこの家に来させられるか。

 あいつと同居していることを披露する気なぞ、さらさらない俺は。

「何が必要なのかを教えてくれればいいんだ、わざわざ来なくていいから」

「どうして行っちゃだめなの、洗濯で困っているんでしょ」

 数分のやりとりの後に、やっと南野から聞き出した洗濯機の使い方。

 そして問題の、女ものの下着の洗い方。

 上は手洗いか、ランジェリーネットなるものに入れて洗濯機で洗う。

 下は数が少ないなら手洗いをし、多ければランジェリーネットに。

 干すときは、どちらも陰干しをする。

 上とか下とかって曖昧な表現にしている理由は、察してもらいたい。

 ランジェリーネットは、ランジェリーショップに売っているそうだ。

 ちなみに、百円で何でも買える便利な店なんて影も形もない時代である。




 必要なことを南野から聞けたのはいいとして、残る問題は。

 ランジェリーショップが、どこにあるかってことだ。

 さすがに、南野にそんなことまでは聞けなかったが。

 独身男性の俺が知っているはずもなく、しばらく考えた末に。

 二つ先の駅にある大型スーパーマーケットなら、置いてあるのでは。

 なんて漠然とした考えにたどり着いて家を出たんだが、大丈夫かな……。


 ものがものだけに、不本意ながらもあいつを連れていくことにしたけれど。

 千葉のショップに預けてある車を、これから取りに行くのも面倒だし。

 向こうで昼を済ませるなら、どうせ酒が入るだろうし。

 たったのふた駅なんだからと、電車で行くことにしたんだが。

「初めてね、一緒に電車に乗るのって」

「子供のころ、オバちゃんに連れられて川向こうのバラ園に行っただろ」

「おっ、大人になってからってことよ」


 スーパーマーケットに到着してからは。

 ランジェリーネットをいくつか買えたのは、めでたいんだが。

 いつの間にやら、他の買い物にも付き合わされることになり。

 さんざん売り場を巡った結果、結構な荷物を持たされている俺。

「おまえ、満足をしましたって顔をしているな」

「そりゃあもう、お買い物デートを楽しんでパジャマを買い替えたんだもの」

 満足もするだろうよ、そろいのパジャマを三組も買えば。

「今夜からはおそろいのパジャマで寝るのよ、転んでもただでは起きないわ」

「誰が転んだって、おまえにはこれっぽっちの実害もなかったと思うが」

「そんなことはないわ、せっかくのネグリジェなのにお蔵入りしちゃうのよ」


 スーパーマーケットを出ると、敷地内に懐かしいイタリアンレストランが。

「この店、懐かしいな」

「へえ」

「オバちゃんに連れられて、何度か一緒に来ただろ」

「えっ」

「忘れたのか、おまえのせいで俺がオバちゃんに怒られたのを」

「あたしのせい?」

「スパゲティのマッシュルームを脇によけている俺を、おまえが笑うから」

「そっ、そうだったわね……」




 もう三時近くだから、昼飯じゃなくて酒にすることになりとん起へ。

「何だいシノちゃん、今日は二人で仲良くお買い物かい?」

 のれんをくぐって店に入るなり、マスターがそう聞いてきたのは。

 俺がいくつも持っている、スーパーマーケットの袋が目にとまったからか。

「いつものを」

 これ以上の深掘りをされたくないんで、そう伝えるとお決まりの席に。

「おまえの部屋に置いておく、洗濯かごを買い忘れたな」

「洗濯かごなんて、何に使うの?」

「散らからないように、洗濯するものはかごに入れさせるつもりだったのに」

「それより、ランジェリーネットのことなんて誰に聞いたの?」

 こいつ、そんなしょうもないことをみんなに聞こえるような声で。

「何だ、ランジェリーネットを買いに行ったのかい?」

 ほら、マスターの耳に入っているじゃないか。

「そんなものをよく知っていたね、独身男性のシノちゃんが」

 回避したつもりが、結局は深掘りをされているじゃないか。

「知っているわけないだろ、会社の後輩に聞いたんだ」

 俺がそう言うなり、立ち上がったあいつは。

「会社の女の子に、そんなことを聞いたのっ!」

「誰も、女に聞いたとは言っていないだろ」

「そんなことを聞くなら、女の子に決まっているじゃない」

「どうして怒っているんだ、もともとはおまえのせいだろ」

「ふんだ」

「だめ女の後始末だぞ、できるやつに聞くのが普通だろ」




 それから、とん起ではあまりしゃべらなかったあいつだが。

 店を出ると、歩きながら。

「その子と比べられるの、嫌だな……」

「誰だよ、その子って」

「ゴウさんが、洗濯のことを聞いた後輩の女の子」

 何だ、自分ができないからって落ち込んでいるのか。

「気にするなよ、得意と不得意なんて誰にでもあるんだから」

「あたしがダメダメなら、何でもできちゃうその子はハナマルなんでしょ」

「何だその、ダメダメとハナマルってのは」

 聞いたのに、返事もしないで下を向いたままか。

「とりあえず、料理ができないことについては置いておこう」

 また無言かよ。

「勘違いするなよ、何でも甘やかすとは言っていないぞ」

 ダメダメってのが気に障るから、しゃべりたくないのか?

「掃除と洗濯は、少しずつ教えてやるから覚えるんだぞ」

 少しは励ましてみるか。

「できないのは、やったことがなかったからだろ」

 もう一丁かよ。

「いずれ、妻になり母親になるつもりなんだろ」

 これについては、そのとおりだって顔をしているな。

「だったら、その準備だと思って気長に覚えていけばいいんだよ」

 いったい何をやっているんだろうな、俺は……。




 やりすぎちゃったかな、少し。

 お料理やお掃除はともかく、下着のお洗濯だなんて。

 ゴウさんは慰めてくれていたけれど。

 あたしが落ち込んでいるのは、ダメダメだってことじゃないもの。

 ゴウさんが優しく気を使ってくれるのも、それはそれでつらいけれど。

 電車とかレストランとか、ちょこちょこ地雷を踏みかけているし。

 何より、この先のことを思うと少し胸が痛いから……。




Copyright 2024 後落 超


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