第六話 ダメダメとハナマル 前編
大阪への出張を終え、東京に向かう新幹線が京都を過ぎたころ。
申し訳なさそうに震えた携帯電話に、会社に寄ってほしいとの依頼が。
他チームのシステムトラブルに、対応してほしいと泣きつかれて。
意外にも根が深いトラブルに手を焼いて、そのまま徹夜をすることになり。
今日も、九時上がりの予定が次から次へと仕事が入ったから。
退社できたのは、昼をとっくに回った二時を過ぎてから。
昨日が同居の初日だったのに、しかも。
まっすぐに帰らず、こんな時間までとん起で飲んだのもまずかったかな。
「ちょっといいか?」
帰るなり、あいつの部屋をノックして声をかけると。
「は~い、どうぞ」
聞いてのとおり、俺は声をかけた後に返事があったからドアを開けたんだ。
なのに、あいつは思いっ切り着替え中。
しかも、その姿のままでこっちに振り向くし。
慌ててドアを閉めたが、確かにどうぞって返事をしたよな。
着替えの真っ最中なのに。
気を落ち着かせてもう一回声をかける、もちろんドアの外から。
「徹夜明けで眠いんだが、先に風呂に入ってもいいか?」
「先生は入ったしあたしは帰ったばかりで着替え中だから、お先にどうぞ」
ゆったりと足が伸ばせる広い湯船にしたのは、正解だったな……。
ぷくぷく。
どうぞって返事をしたのに着替え中だし、堂々と振り向くし……。
ぷくぷく。
思っていた以上にスタイルが良かったな、あいつ……。
ぶくぶく。
こいつときたら、俺の部屋にノックもせずに入ってくるなり。
人の冷蔵庫から、勝手に缶ビールを二本取り出しているし。
しかも、夜中に男の部屋を訪ねる格好じゃないだろ。
「何だそのネグリジェは、丈は短いし思いっきり透けているじゃないか」
「そうかな、普通だと思うけれど」
「男の前にそんな姿で、恥ずかしくないのか」
「ゴウさんに見られるなら、恥ずかしくないわ」
ちっ、ろくでもないことを自信満々に言っているぞ。
「ゴウさんに見せてあげようと思って買ったのよ、かわいいでしょ」
あろうことか、わざわざくるりと回ってみせているし。
「代わりはあるんだろ、さっさと着替えてこい」
「全部こんな感じよ、新しく買いそろえたから」
「だったら、明日にでもまともなパジャマを買ってこい」
「せっかく買ったのに、どうしようかな~」
「悩める立場かよ、この家で俺と同居したいなら買い替えるんだな」
「お買い物デートをしておそろいのパジャマを買ってくれるなら、ね」
「ねえ、ここで一緒に寝てもいい?」
「だめに決まっているだろ、オバちゃんにくぎを刺されたのを忘れたのか」
「慣れないお部屋で一人なんだもの、昨日だってとても怖かったのよ」
「だめなものはだめだ、良い子はとっとと自分の部屋に帰るんだな」
「けち」
そう言って口をとがらせて、隣に座り続けている。
良い子になるつもりは、さらさらないようだな。
「どうしてダブルベッドなの?」
「広いとゆっくり寝られるだろ」
「そうね、あたしのベッドもダブルだし」
「出張先のホテルも、ダブルの部屋をシングルユースにするんだ」
「ふうん」
そこには興味がないのか、ベッドに放り出してある携帯電話を手に取り。
「携帯電話か、持っているだけでかっこいいわよね」
便利、じゃなくてかっこいいかよ。
「そう思うなら、買えばいいじゃないか」
「高いし、周りで持っている人もいないから意味がないもの」
「使うことがないんじゃな」
「やっぱり、あると便利?」
「さあな、欲しくて買ったんじゃないし」
「欲しくないのに、どうして買ったの?」
「俺を探すのが面倒だから携帯電話を買えって、うるさく言われたからだよ」
「ゴウさんを、探す?」
「会社のやつらが急ぎで俺に連絡したくても、俺が自分の席にいないからだ」
「昨日みたいに呼び出されて、徹夜をすることは多いの?」
「多いな、それに出張が土日を中心に月に二回か三回かな」
「他の人もそんなに忙しいの?」
「俺だけだよ、俺以外は出張や休日出勤はめったにしない」
「どうして、ゴウさんばっかり?」
「俺しかできない仕事だったり、俺に頼むのが早くて確実だったりするから」
まだ聞きたそうにしているな、話題を変えるか。
「もういいだろ、家で仕事の話をするのは嫌いなんだ」
「高校の美術の教師だと言っていたな、何でまた?」
「ほら、先生のお教室は中学生まででしょ」
「知らないよ、そんな決まりがあったなんて」
「高校に入ってからは、アルバイトで先生のアシスタントをしていたのよ」
「ふうん」
「先生がバラの指導や講演で忙しくなってからは、あたしが先生役になって」
「罪深いな、オバちゃんも」
「それがきっかけで大学の美術科に進んだの、卒業後は母校で美術の教師に」
「なるほどな」
しばらくそんな話をしていたんだが。
出張帰りからの徹夜による寝不足に加え、とん起で飲んできたからか。
はたまた、明日の土曜日が久しぶりに週末の休日だという安心感からか。
うかつにも、二本目のビールを飲みながらうとうとと……。
もう朝か。
あれ、いつの間にベッドに入ったんだっけ。
こいつ、寝顔もかわいいんだな。
それにしても、無防備すぎるだろ。
こんな透けているネグリジェで、男とひとつのベッドに寝ているなんて。
じゃあ、そろそろ起きるか……。
って、違うだろ!
どうしてこいつが俺のベッドで、しかも俺の隣に寝ているんだ。
まっ、まずは。
こいつを起こす前に、現状の確認をしておくべきだよな。
俺はパジャマを着ているなっ、OKだ。
ベッドの外を見回しても、こいつの下着はない。
そもそもネグリジェを着ているんだから、こいつもOKだよな。
じゃあ、起こすぞっ。
「おい、おいっ!」
「う~ん、おはよ……」
「おはようじゃない、どうしておまえがここで寝ているんだっ!」
「ゴウさんが寝ちゃったからベッドに運んであげたのよ、重かったんだから」
何てこった。
「寝顔をみていたら、いつの間にかあたしも寝ちゃったのね」
知らない人が聞いたら、ラブラブのカップルがしている寝起きの会話だぞ。
しかも、いつの間にかと言っているが。
今の姿や昨日の流れからすると、明らかに確信犯だろ。
「これ以上、問題が起こらないように早急に同居のルールを決めるからな」
「ルールって?」
「いいから、着替えてとん起に行くぞっ!」
「え~っ」
「何が不満なんだ」
「今日はお買い物デートでしょ、パジャマを買いに行くって言ったじゃない」
「それどころじゃないだろ」
とん起で、いつもの席に陣取り注文を済ませると。
持参した紙とボールペンを、のんきな顔をしているあいつに渡して。
「いいか、俺が言うとおりにメモをするんだぞ」
「はあい」
「まず第一条は、家に異性を招き入れない」
「どうして?」
「風紀が乱れるからに決まっているだろ」
「ゴウさんが女性を家に呼ばないのは、安心だけれど」
「けれど、何だ」
「あたしのパパは?」
「ただし家族を除く、と書き足しておけ」
「第二条は、みだらな格好で家の中を歩かない」
「みだらな格好って?」
「半裸に近かったり、むやみに露出度が高かったりする格好だ」
「じゃあ、昨日のネグリジェは?」
「あれこそ半裸だろ、昨日みたいに透けているのは論外だからな」
「けち」
「相手の前で着替えたり、家の中をうろうろしたりするのも禁止だからな」
「買い替えたパジャマなら、おうちの中を歩いてもいいの?」
「風呂の後から朝の洗面までの間はいいが、それ以外は禁止だ」
「病気のときは?」
「ただし病気のときは除く、と書き足しておけっ!」
聞き耳を立てていた豆キチが、我慢しきれなくなり口を挟んできた。
「おまえ、家で外村ちゃんと何をやっているんだよ」
「外野は黙っていろ」
豆キチを一蹴すると。
「あれ、いつの間にあたしの名前を教えたの?」
「余計なことは気にしなくていいから、続けるぞ」
「第三条、みだりに相手の部屋に入らない」
「入りたいときはどうするの?」
「それを次に書くんだよ」
「第四条、ノックと声をかけて返事があってからの開扉を励行する」
「難しそうね、どうすればいいの?」
「大の大人がする質問かよ、どんなしつけをされてきたんだ」
「聞いているんだから教えてよ」
「まずはドアをノックしてから、短い用事はそのままドア越しに伝えるんだ」
「長い用事のときは?」
「相手からの返事があってから、ドアを開けて伝える」
「ノックをされたときの返事は?」
「開けられたくないなら、今はだめとかちょっと待ってとか返事をする」
「じゃあ、開けてもいいときは?」
「どうぞや、はいだな」
「面倒なのね、そのまま入ってこられてもいいのにな」
「そんなことを言っているから、昨日みたいなことが起きるんだろ」
「第五条、勝手に人のベッドで寝てはいけないし一緒に寝るなとは論外」
「一緒に寝るだと!」
と、またもや豆キチが。
「何度もうるさいな、部外者は部外者らしく黙っていろよ」
「これで終わりだ、おまえの部屋の目にとまる場所に貼っておけ」
「どうしてあたしのお部屋だけなの、ゴウさんのお部屋の分は?」
「いるかよ、ほとんどが一般常識だぞ」
「目にとまる場所なら、一階の冷蔵庫に貼ればいいのに」
「そんなところに貼れるか、オバちゃんに見られるだろ」
わが家のルールが策定されてから、数日。
「う~ん……」
伸びをして、ようやくベッドから出てきた。
当たり前であるかのように寝ているが、それは俺のベッドなんだぞ。
早くも第五条をなし崩しに……。
俺はとっくに出社しているのに、こいつときたら。
八時には家を出るんだと言っていたのに、もう六時半を回っているぞ。
出がけに俺が起こしてから、二十分もうとうとしていたってことか。
キッチンに行き、テーブルの上を見ているが。
焼いたサケにはラッブをしてあって、漬物も切ってある。
添えてあるメモには。
サケと冷蔵庫のヒジキの煮物やご飯を、レンジで二分間温めるように。
それと、鍋のとん汁を温めろと書いておいた。
こいつの朝食がこんなことになったのは、俺のなにげないひと言から。
「おまえ、ここでの食事はどうしているんだ」
「先生がいるときは、それなりに」
「オバちゃんがいないときは」
「コンビニエンスストアやお弁当屋さんか、ファストフードで買うわ」
「何だ、そりゃ」
「一人前だと出前は頼めないし、一人じゃお店に入れないもの」
「いい年をした娘が、自炊ぐらいしろよ」
「無理よ、お料理をしたのなんて学校で家庭科の時間に少しだけだもの」
「ってことは、料理はできないのか?」
「もちろんできないわ、おうちじゃママやお手伝いさんがいたもの」
「自慢げに言うことかよ」
女なら料理ぐらいできるべきだ、なんてことはこれっぽっちも思わないが。
俺と結婚をするんだと、十七年間も思い続けていたのなら。
一番手っ取り早いのは、俺の胃袋をつかむことだろ。
なのに、料理の腕を磨いてこなかったことにあきれているんだ。
で、食事のルールとして第六条を追加することに。
そうそう、お互いの予定をカレンダーに書いておくという第七条も。
「第六条は、食事についてだ」
「どんな?」
「二人でいるときは、なるべく一緒に食事をする」
「やったあ!」
何をのんきに喜んでいるんだか。
「朝食は俺が準備しておくから、温めるなどの最後の行程だけをおまえが」
「毎日が、ゴウさん手作りの朝ご飯ね」
「週に一度は俺が夕食を作るから、簡単な料理はそれを見ながら覚えろ」
「しかも、愛のお料理教室まで!」
「第七条が、予定の通知」
「どうやって伝えるの?」
「俺の部屋にカレンダーがあるだろ、日付の下に勤務予定を書いておくから」
「また、ゴウさんのお部屋にだけ?」
「何が不満なんだ、おまえは俺の部屋へ勝手に入ってくるだろ」
「書き方は?」
「◎が早く帰って料理を作るで、○は早く帰るが外食する」
「それと?」
「△が遅くなるで、×は不在だ」
「ふうん」
「不在については、夜勤とか出張とか行き先も含めて具体的に記入しておく」
「出張のときは、泊まるホテル名も書いてねっ!」
そんなわけで、この家で俺との同居が本格化してから。
こいつの生活は、極めて好ましい方向へ向かっていると思われる。
そう思っていたんだが……。
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