第二十話 雪が積もった日には、ね
開ききらない目をこすりながら時計を見ると、まだ六時前。
いつもなら、出社する直前のゴウさんに起こしてもらうあたしですが。
今朝に限って、ゴウさんより早く起きちゃった。
ベッドから抜け出して、カーテンのすき間から外をのぞくなり。
「ゴウさん見て、とっても奇麗よ!」
そう言うと同時に、まだ寝ているゴウさんの肩を揺さぶる。
「朝っぱらからどうしたんだ、外にまで聞こえるような大声を出して」
「だって、ほら!」
窓に駆け寄りカーテンを開けて見せてあげたのは、一面に広がる銀世界。
「きっと夜中に降り出したのね、寝る前には雪なんて降っていなかったもの」
夕方のニュースでは、降ってもこれほど積もるとは言っていなかったし。
「雪を見て喜ぶなんて、子供か犬だけだと思っていたよ」
「久々に見る大雪ね、こんなに積もったのなんて何年ぶりかしら」
「この雪じゃ、オバちゃんは帰ってこられないな」
「今回の講演会は秋田よね、むこうに負けず東京も積もるかな?」
「大粒のぼたん雪がこれだけ降っているんだ、もっと積もるんじゃないか」
「やったあ!」
積もる気配なんてまったくなかった、バレンタインデーの粉雪とは違って。
ずっと降り続いているものね。
「羨ましい限りだよ、雪が降っているのを無邪気に喜んでいられるご身分で」
「どうして羨ましいの?」
「こっちは出社もできないから、頭を抱えているっていうのに」
「出社できない?」
ベッドから起き出したゴウさんは、つけたばかりのテレビを指差している。
どの局も、大雪のニュースを盛大に報じているわ。
「へえ、都内全域で交通がまひしているのね」
「これじゃあ、お話にならないな」
「雪が積もっていたら、会社ってお休みになるの?」
「どれだけのんきなことを言えば気がすむんだ、そんなことで休みになるか」
「みんなはどうするの、電車が止まっているのに」
「いつになったら動くのかも分からない寒い中を、じっと駅で待つ人もいる」
「うわあ、考えただけで凍えちゃう」
「動いている路線やバスを使い、何時間も遠回りをして何とか出社する人も」
「大変なのね、ゴウさんもこれから出社するの?」
「こんな雪の中で出歩く趣味はないよ、たまっている振替休日を使うさ」
「じゃあ、お休みにするのねっ!」
「いい気なものだな、振替休日が減る代わりに仕事がたまるんだぞ」
「雪で電車が止まったら、ゴウさんはいつもお休みにするの?」
ゴウさんの振替休日は、いつだってたまっているんでしょうから。
「事前に分かっているなら、前の日から会社の近くのホテルに泊まるよ」
「どんなとき?」
「ストライキとか、台風や大雪の予報とか」
「昨日はニュースで言っていなかったものね、こんなに積もるなんて」
でも良かった、そのおかげでゴウさんと過ごせるんだもの。
「おまえ、自分の仕事のことは気にならないのか」
「あたしが学校に行けないんだから、生徒だって来られないってことでしょ」
「自宅から歩いて来られる生徒や、無理をして来ようとする生徒もいるだろ」
「大丈夫、きっと休校よ」
「教師にあるまじき発言だな、大丈夫の使い方も間違っているし」
ゴウさんがそう言ったとたん、休校を知らせる電話が。
「あたしもお休みだもの、とりあえず……」
ゴウさんのパジャマをちょんちょんと引っ張り、ベッドに戻ろうとすると。
「とりあえずって、何がとりあえずだ」
そう言うと、さっさと着替えを始めているじゃない。
「せっかく、そんな気分になったのに」
「そんな気分って、新婚夫婦の休日の朝じゃあるまいし」
「ふんだ、ゴウさんのけち」
「けちで結構、おまえも早く着替えろ」
まったく、夢も希望もないわね。
まあ、いいわ。
雪のおかげで、誰の邪魔も入らない二人っきりのお休みなのは事実だもの。
まずは、今日の予定を決めなくちゃ。
「何をして遊びましょうか」
「俺は今から仕事をするから、遊びたければ一人で遊んでいるんだな」
「おうちでお仕事ねえ……、何をするの?」
「差し当たって、プログラミングだ」
「プログラミングって、おうちのパソコンが会社につながるの?」
「ああ」
「便利なのはいいけれど、つまらないの……」
それでも、お昼前には仕事を切り上げてくれたゴウさん。
「これはこれで良かったわ、思ったよりも退屈しなかったし」
満足そうな顔をして、あたしがそう言うと。
「信じられないな、ずっと俺の前に座っていただけなのに退屈しないなんて」
「お仕事をしているゴウさんを、たっぷりと眺めていられたんだもの」
「見られている俺は、落ち着かなかったが」
「ずっとパソコンに入力しているのかと思っていたけれど、違うのね」
難しい顔をして考えごとをしていたと思えば、ノートに何かを書き留める。
そんなことを繰り返していたのが大半で。
パソコンに触れていた時間は、トータルで三十分もなかったもの。
「プログラミングなんてものは、頭の中で考えている時間の方が長いんだよ」
「とにかく、これでやっと遊べるわね」
「遊ぶも何もないだろ、そもそも外に出られないのに」
「だったら雪かきをしましょう、おうちの前の道路を」
「今から雪かきをしたって、意味がないよ」
「どうして、お庭にかまくらを作ったら楽しそうなのに」
「天気予報で言っていたのを聞いただろ、この雪は夕方まで降り続くって」
そうか、雪かきをしたそばから積もっちゃうんじゃね。
「せっかく運動にもなるのに、つまらないの」
「こんなことで運動をする必要があるほど、二人とも太っていないと思うが」
「ダイエットが目的じゃないわ、雪かきは世のため人のためよ」
「何だ、そりゃ」
「お年寄りが多い町だから、滑って転ばないように雪かきをするの」
「あのなあ、うちの前は南から北に抜けている道路だぞ」
「それが?」
「わざわざ雪かきをしなくても、明日になって日が昇れば勝手に溶けるさ」
確かに、実家の前の道も雪かきをしなくても溶けていたわね。
「中途半端に雪かきをして夜に凍りでもしたら、かえって危ないし」
「そんなことより、喫緊の課題は食い物が何もないってことだな」
本当に困ったって顔をして、そう言ったゴウさん。
「えっ、食べ物がないって?」
「自分で言っていたのに忘れたのか、今日は買い出しに行かないとって」
「そうか、昨日のバーベキューで食材を使い切っちゃったものね」
「冷蔵庫がすっからかんになっただろ、おまえが川木や南野を呼んだから」
「あたしが呼んだのは香澄だけよ、ハナマルは勝手に来たんだもん」
「同じことだろ」
「ゴウさんだって、豆キチさんたちを呼んだでしょ」
「豆キチたちは俺が呼んだんじゃなくて、南野が誘ったんだ」
「あたしと同じ言い訳じゃない」
こんな不毛な言い争いをしていたら、疲れちゃうわ。
「そこまで心配をしなくても、とりあえず今日をしのげればいいんでしょ」
「何にもない今日をどう乗り切るんだ、雪でも食べていろって言うのか」
「お酒やチョコレートがあるでしょ、あれだけあったら飢え死にはしないわ」
「飯がなかったら酒を飲めばいいだろうって、どこかの国に昔いた王妃様か」
「誰よ、それ」
「会社を休んで昼から雪見酒か、やれやれ」
「考えても仕方がないでしょ、とりあえず二人でベッドに入って……」
ゴウさんにシャツの袖を、ちょんちょんAGAIN。
「何がとりあえずだ、本当に懲りないやつだな」
「どこへ行くの?」
「冷蔵庫や戸棚をチェックしに、キッチンへ行くんだよ」
戻ってくると、あからさまに暗い顔をしているゴウさんは。
「本当にすっからかんだ、何もなかったよ」
「ゴウさんがインスタント食品を嫌わなければ、こんなことにはならないわ」
「こんなときなんてものは、そうたびたびはこないんだよ」
「たびたびはこなくても、今きていることが問題なんでしょ」
「実家に行けば、冷凍庫には冷凍食品や食材があるわよ」
「この雪の中を、十分以上も歩いておまえの実家に行けっていうのか」
「まるで、雪中行軍ね」
「しかも、帰りには冷たい冷凍食材を抱えての十分だぞ」
「二人で一緒に行って、向こうに泊まれば片道ですむわよ」
「同じ歩くのなら、バス通りのコンビニエンスストアに行く方がまだましだ」
実家にお泊まりするナイスな提案は、完全にスルーされちゃった。
「名案だと思ったのにな、どうしてよ」
「行きはともかく、暖かいものを抱いて帰ってこられるからな」
そう言いながら、厚手の革ジャンを着ているゴウさん。
「待ってよ、あたしも行く」
「雪が積もっている中を歩くんだぞ、おまえはここで待っていろ」
そう言ってもらえるのは、うれしいけれど。
「こんな雪の中を、ゴウさん一人で行かせられないわ」
「おあいにくさま、おまえは足手まといになるから残れと言っているんだ」
ゴウさんが置いていった携帯電話が、テーブルの上で震えている。
会社からの電話なら、あたしが出ない方がいいのかしら。
そう思いながら手にとって発信者名を見ると、最悪。
「もしもし」
「ちょっと、どうして先輩の携帯電話にあんたが出るのよっ!」
相手はハナマル、しかもいきなり全力で怒鳴っているし。
「あんたの声なんか聞きたくないわ、先輩に代わりなさいよ」
ふんだ、それはこっちのせりふよ。
「ゴウさんだったらいないわよ」
「会社は休んだって知っているんだから、うそをつかないで」
「うそじゃないもん、お買い物に行っているのよ」
「どうかしているんじゃない、あんたっ!」
「いちいちうるさいわね、耳元で怒鳴らないで」
「これだけの雪なのに先輩を買い物に行かせるって、どうかしているでしょ」
「あたしも行くって言ったけれど、一人で出ていっちゃったんだもん」
「で、何の用なの?」
「一人で家にいても寂しいから、そっちに行こうと思って電話したのよ」
こんなに雪が積もっているのに、三駅も歩いて来ようとするなんて。
恐るべし、ハナマル。
「邪魔されたくないから来なくて結構よ、今は二人でいいムードなんだから」
「そうだろうと思うからこそ、行くんでしょ」
ハナマルがそう言ったタイミングで、ゴウさんが帰ってきたので玄関へ。
「えらく寒いぞ、何か拭くものをくれよ」
服に付いている雪を振り払っているけれど、足元がびちょびちょじゃない。
「ちょっと、今のって先輩の声でしょ!」
うるさいわね。
「ゴウさんに渡すタオルを探しているんだから、大声を出さないで」
「先輩が帰ってきたなら、さっさと代わりなさいよ」
買ってきた荷物を置いたゴウさんは。
「どうしておまえが俺の携帯電話で話しているんだ、誰からだよ」
「ハナマルからよ」
「南野から?」
タオルで足を拭いていたゴウさんは。
渡した携帯電話をスピーカーフォンにすると、テーブルに置いて。
「何の用だ、トラブルでもあったのか?」
「電車が止まっているから、会社まで歩いて行こうとしたんだけれど」
「おまえは有給休暇の残が多いだろ、何もこんな雪の日に無理をしなくても」
「家からちょっと出ただけなのに、雪で歩きづらくて」
積もった雪の中を歩くんでしょ、それくらいは覚悟しておきなさいよ。
「足がびちょびちょになるんで、諦めて休んじゃった」
「だったら自宅にいるんだろ、何の用で電話を」
「一人でいると寂しいんだもの、これから先輩の家に行ってもいい?」
「ちょっと出ただけで、びちょびちょになるんだろ」
「ええ」
「ここまで歩いて、風邪でもひいたらどうするんだ」
「うわあ、心配してくれているの?」
「しているのは仕事の心配だ、チームの二人がそろって休んでいるんだから」
「うわさになっちゃうかしら、あたしと先輩が怪しいんじゃないかって」
「つまらないことを言っていないで、今日は大人しく自分の家にいろ」
そんなこんなで十分以上の攻防の末に、ようやく電話を切ったゴウさん。
会社に行くのは、簡単に諦めたくせに。
ゴウさんに会うためなら、必死で頑張ろうとするなんて。
本当に恐るべし、ハナマル。
それからの長い一日を、あたしはびくびくしながら過ごすことになったの。
いつ鳴るかもしれない、ハナマルの来訪を知らせる玄関のチャイムの音に。
本人が姿を見せずとも、これだけ人を追い込むハナマル。
これはもう、恐るべしの究極形ね。
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