第二話 がぁるみぃつぼぉい 中編
「早かったね、ゴウもちょっと前に着いたところだよ」
待っていたよとばかりに、そう言ったオバちゃんだが。
気になるのは、「ゴウも」と言ったことだ。
どうして、俺「も」なんだ?
「連絡をいただいて、すぐに飛んできましたから」
こいつはこいつで、わけの分からないことを言っているぞ。
俺が来ると連絡があったから、飛んできたっていうのか?
「そんなに慌てなくても、逃げやしないのに」
「でも……」
バッグから取り出したハンカチで、うっすらとかいた汗を押さえている。
飛んできたのは、本当らしいな。
「まあ、これだけ待ったあんたがはやるのは無理もないか」
こいつは、何をどれだけ待ったっていうんだ?
それだけ待っていたなら、慌てて飛んでくることはないだろうに。
「暑かっただろ、冷たいものでも出すから座って休みな」
二人のやりとり、ここまでの口調や内容からすると。
こいつを呼んだのは、オバちゃんのようだな。
そして、呼んでからすぐに到着したってことは。
こいつは、呼ばれたら出かけられるよう準備をしていたってことか。
それにしても。
俺がいるのに、どうしてこのタイミングでこいつを呼んだんだろ?
「こいつ、誰だよ?」
オバちゃんにそう聞くと、あきれたような顔をしながら。
「久しぶりに会った幼なじみなのに、何て言い草だよ」
「幼なじみって、誰の?」
「他に誰がいるっていうんだ、あんたの幼なじみに決まっているだろ」
俺の幼なじみって、こいつが?
「たとえ会っていなくても顔を見ればすぐに気づく、それが幼なじみだろ」
「それがどうした」
「俺は、こいつには会ったこともないぞ」
「本当に失礼だね、おまえは」
「俺にとっては顔を合わせても気づかない程度の知り合い、ってことだよ」
何だよ、こいつ。
俺がそう言った途端に、随分と悲しそうな目をして俺を見ているぞ。
「おまえ、本当に分からないのかい?」
「ああ、誰だか分かっていたら聞いていないよ」
「あきれた……」
本当にあきれているようだな、顔だけじゃなくついに口に出しているし。
「さっぱり分からないから聞いているんだろ、誰なのか教えてくれよ」
「だから、アッコだろ」
オバちゃんがアッコと呼ぶ、ってことは。
「アッコって……、ひょっとして外村敦子か?」
こいつが外村なら、確かに俺の幼なじみで間違いない。
なにしろ、十七年前の引っ越しの日に俺がトランプを届けた相手だから。
「どうして驚いているのさ、どこから見たってアッコだろ」
俺が驚いているのは、こいつが外村だと聞いたからじゃない。
こいつと外村とは、どこから見たって似ても似つかないからだ。
「だって、外村っていえば」
「アッコっていえば?」
「軽い天然パーマのショートカットに、地黒の丸顔で」
十七年前に別れたきりの、幼なじみ。
そんな外村を、どうにかこうにか思い出しながら続ける。
「くりっとした丸い目と、生意気そうなツンとした鼻……」
オバちゃんに言いかけた俺の言葉は、最後まで続かなかった。
俺とオバちゃんのやりとりを黙って聞いていた、目の前の女が。
いきなり立ち上がり、俺の左頬を張ろうとしたんで。
そこまで口にした俺は、とんできた手を慌てて避ける必要があったから。
「何をするんだ!」
頬を張られる寸前に手をかわした俺は、思わず声を荒らげる。
そりゃ、そうだろ。
俺は、記憶の中にある外村のイメージを極めて正確に述べただけなのに。
こいつときたら、顔に似合わずためらいもなく思いっきり振り抜いてきた。
大振りだから、ぎりぎりで避けられたものの。
もしも当たっていたら、口の中を切るぐらいじゃすまなかったぞ。
「十七年ぶりに会った幼なじみに手を上げるって、いったい何なんだよ」
俺は、いきなり頬を張られる覚えなんてこれっぽっちもないのに。
この女ときたら悪びれもせず、俺をきっとにらみながら。
手を上げた自分は、ひとつも悪くないでしょって口調で。
「そっちこそ、十七年ぶりに会った幼なじみに対して何てことを言うのよ」
おいおい、言うにことを欠いて。
自分は悪くないどころが、全面的に俺に非があるなんて言い出したぞ。
お互いさまだと言われても納得できないのに、俺が悪いと言われるなんて。
俺としちゃ、頬を張られるようなことは言ったつもりもないんだから。
「その十七年ぶりに会った幼なじみに、いきなり手を上げたのはそっちだろ」
「久しぶりだっていうのに、顔を合わせるなり何をやっているんだい」
慌てて、オバちゃんが止めに入る。
「どうせ、ゴウがアッコの気に障ることを言ったからだろ」
言った、じゃないだろ。
俺はまだ、話をしている途中だったんだから。
「気に障ることって言われても、しょうがないんだよ」
「しょうがないって、何が」
「いきなりこいつが外村だなんて言われても、別人にしか見えないんだから」
そうなんだ。
俺が覚えている外村のイメージとこいつは、何から何まで真逆なんだから。
「十七年もたっているんだから、アッコも大人になっているんだよ」
「それにしたって、違いすぎるにもほどってものがあるだろ」
少し違うならともかく、まったくの真逆なんだぞ。
「女の子なんだ、子供のころとは別人になっていても不思議はないさ」
「だからって、いきなり殴られるところだったんだぞ」
何が女の子は別人になるだよ、別人にもほどってものがあるだろ。
それに、きっぱりと撤回させてもらうぜ。
うかつにも、モデルかお姫様みたいだなんて勘違いをしたことについては。
「こいつが外村だってことは、ひとまずおいておくとして」
普段の俺なら、おいておくような問題ではないんだが。
場合が場合だから、そこには目をつぶって。
「どうして、こいつがここにいるのさ」
「あたしが呼んだからだろ」
「それぐらい分かっているよ、俺が聞いているのはこいつを呼んだ理由だ」
「理由なら、あんたが来るからに決まっているだろ」
「だから、どうして俺が来るタイミングでこいつを呼んだのかと」
そう聞くと、オバちゃんは良くぞ聞いてくれましたって顔をしながら。
「アッコの父親は、会社でオーストラリア支社の立ち上げ事業の責任者でね」
どうも気に食わないな。
こんな顔をしているオバちゃんは、ろくでもないことを言い出すから。
「それとこいつがここにいるのと、何の関係があるのさ?」
「お盆休みが明けたら、一年間の予定で向こうに赴任することになっていて」
「じゃあ、こいつはオバちゃんに別れのあいさつをしにきたのか?」
それなら、こいつがここにいるのも合点がいくけれど。
「だからって、なにも俺がいるときを選んで来させることはないだろ」
「それで、母親は連れていくけれどアッコは日本に残るんだよ」
俺が言っていることなんか、聞いちゃいないようだな。
「どうして、こいつだけが残るのさ?」
「アッコには仕事があるから休職、ましてや退職なんてできないだろ」
俺に、そんなことを言われても……。
「そいつはご愁傷様、せっかく海外で生活をするチャンスなのに残念だな」
話の流れでそう言ってはみたものの、俺としてはどうでもいい話だ。
「早く二階へ行って、置きっぱなしになっている荷物を整理したいんだが」
そう言って立ち上がった俺の意向には、まったく関心がないらしく。
さらに得意げな顔をして、オバちゃんは話を続けている。
「親としては、若い娘を一人で日本に置いていくのが心配なのは当然だろ」
「まあな」
これまたどうでもいい話だ、さっさと二階へ行かせてくれよ。
「で、うちに下宿させてもらいたいと頼まれたんだ」
ちょっと待て、さすがにそれはどうでもいい話とはいかないぞ。
「うちって、こいつをこの家に?」
「そうだよ」
「もちろん、ちゃんと断ったんだろうな」
「まさか、そんなことなら大船に乗ったつもりで任せておけって快諾したよ」
何を言っているんだ、オバちゃんは。
「ここに俺を下宿させるってことは、話をしていないのか?」
「話はちゃんとしてあるよ、当たり前だろ」
変なことを言うね、なんて顔をして俺を見ないでくれ。
オバちゃんの方が、よっぽど変なことを言っているんだぞ。
「なのに同居をさせるって?」
「うるさいね、さっきから何をごちゃごちゃと」
「外村の両親にしろオバちゃんにしろ、どうかしていると言っているんだよ」
「何がだい?」
これじゃ、こいつが外村だと認めているみたいだが。
そんなことよりも、今ははっきりと言わなきゃならないことが。
「ここに下宿させるんじゃ、自宅に一人でいさせるよりよっぽど危ないだろ」
「どうしてさ?」
「危険がいっぱいだろ、若い男と女がひとつ屋根の下に住んでいたら」
「あんた、危険なのかい?」
「そっ、そんなことはないけれど」
「だったら、アッコがここに下宿したって構わないだろ」
「構うだろ」
「どうしてさ」
「後々になって、外村が結婚するってときになったらまずいことになるぞ」
「わけの分からないことを言うね、何がまずいんだい?」
何回も言わせないでほしいな。
わけの分からないことを言っているのは、オバちゃんだろ。
「これだけ狭い町なんだぞ、俺と同居なんかしていてうわさにでもなったら」
誰でも心配するはずだ、むしろ心配をしない親がいるなら見てみたいぞ。
なのに、オバちゃんはそんなことがどうしたと言わんばかりに。
「それなら構わないよ、アッコの両親はあんただから同居を許したんだから」
はあ?
俺だから許しただと?
「何だよ、それ……」
「分からないやつだね、この子があんたと結婚をするからだろ」
もうひとつ、はあ?
「なっ、な……」
「そんなに慌てずに、ゆっくりとしゃべりな」
「何の話だよ、外村と俺が結婚するって」
破壊力が抜群の爆弾発言をされて、心の底から動揺している俺。
そして、そんな俺を面白そうに見ているオバちゃんは。
「アッコは、あんたが引っ越してからずっと思い続けているんだよ」
この状況下で、ご丁寧にもさらなる追い爆弾かよ。
「外村が俺を……、たちの悪い冗談は止めてくれ」
「冗談なんかじゃないよ」
この話の、どこが冗談じゃないんだよ。
「十七年も会っていないのに、いきなり結婚をしてくれはないだろ」
いくらなんでも、話が飛びすぎていると思うぞ。
「照れているのかい、遠慮しなくてもいいんだよ」
「誰が遠慮するかよ、こんなことで」
吐き捨てるように、そうつぶやく。
「あんたたちの結婚を認めているから、アッコの両親も同居を許したんだよ」
おまけにもうひとつ、はあ?
外村が俺との結婚を望み、外村の両親もそれを認めていて。
よりによって、オバちゃんか後押しをしている。
俺は、何も聞かされていないのに?
いつも一緒にいる幼なじみが、いつの間にか恋愛対象になり。
さらなる時の流れとともに、カップルや夫婦に。
そんな話だったのなら、俺だってここまで驚きはしない。
マンガやドラマでなら、そんなストーリーを目にすることだってあるから。
でも、俺と外村がそうなるってことなら話は別なんだ。
むしろ知らないやつが結婚相手だと言われた方が、よっぽど真実味がある。
確かに、外村と俺はずっとクラスメイトだったさ。
小学校に入学してから、五年生の終わりに俺が転校するまで。
それに、学校以外でも顔を合わせていた。
外村は、オバちゃんのお絵描き教室に通っていたから。
オバちゃんにかわいがられていて、教室以外でもうちに出入りしていたし。
つまり、学校の外でも週に何度かは会うことがあったんだ。
だからって、俺と外村は特別に仲が良かったわけじゃない。
ただのクラスメイトだったし、せいぜい口げんかの相手ってところだ。
ましてや、俺が転校してからは交流がまったくないし。
なのに、十七年ぶりに会った途端に飛び出したのが。
「あなたの奥さんにしてください、あたしの両親も認めてくれましたから」
こんな非現実的な事態に直面するかよ、普通。
開いた口がふさがらないってのは、このことだな。
しかも、俺にこれっぽっちの相談もせずにだ。
たとえ相談をされていたとしても、喜んでお引き受けするとは思えないが。
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