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第十九話 いいとまずまずの判断基準

 駅を出てから、すっかり日が暮れた空を見上げると。

 粉雪が、ちらちらと舞い始めている。

 朝の天気予報での、降り始めから雪になるというのは当たっているけれど。

 降り始めるのは、早くても深夜からだと言っていたのに。

 天気予報を信用して傘を持ってこなかったのは、失敗しちゃったかな。

 周りの人も、やっぱり傘を持ってくれば良かったって顔をしているし。


 想定外の雪にがっかりしているはずなのに、町中がそわそわしている感じ。

 あたしだって、負けず劣らずそわそわしているもの。

 それもそのはず、明日は年に一度の聖なるバレンタインデー。

 あたしが抱えている袋には、学校帰りに買ってきた材料が入っているし。

 自然と、ほほが緩んじゃう。


 バレンタインデーのチョコレートは、毎年ちゃんと作っていたわよ。

 いつかゴウさんに渡せる日がきますように、願いを込めて。

 でもね、作っているときはドキドキしても。

 渡すことはないから最後は落ち込むのが、あたしのバレンタインデー。

 でも、今年は去年までとは違うんだから。

 苦節十七年にして、ついにやってきたんだもの。

 いとしのゴウさんに、バレンタインデーのチョコレートを渡せる日が。




 カレンダーでは今日は×の日、ゴウさんは出張中で帰りは明日の夕方。

 おうちに着いたあたしは、さっそくチョコレート作りを開始。

 たっぷりと時間をかけた上に、二度の作り直しがなされた結果。

 テーブルの上には、大きさがまちまちでいびつな形のチョコレートが並び。

 痛々しいほどの奮闘感が前面に出ていて、手作り感だけは満点。

 ってことは、成功したと言っていいわね。


 味見をしてもらおうと、先生を呼んだら。

「あんた、これをゴウに渡すつもりかい?」

 この見た目だもの、先生にそう言われちゃうのも仕方がないか。

「それにしても、もう少し上手に作ってやっても罰は当たらないだろ」

「大変なんですよ、これはこれで」

「去年までは、売り物のように立派なチョコレートだっただろ」

「今は事情が違うでしょ、上手に作ったら……」

「だからって、ここまでやらなくても」

「こんなことをしているのは、先生のせいなのをお忘れですか?」

「あんたの気持ちも分かるけれど、今になってあたしが責められるのも」

 やっぱり失敗だったかな、料理ができないなんて。


「どうぞお味見を、見た目はともかく味については保証しますから」

 覚悟を決めたって顔をして、ひとつ口にした先生は。

「ちょっと苦みが効いているけれど、味には問題がないんだね」

「でしょ」

「それにしたって、よくもこんなにひどいものが作れるね」

「努力賞ものです」

「ゴウのことだから、後々まで嫌みを言われちまうよ」

「あたしだって、そう思いますけれど」

「思うのに、こんなのでいいのかい?」

「結婚したら立派なチョコレートを作ってみせて、埋め合わせはしますから」

 これって、後ろめたいからこその言い訳よね。

 それでも、ラッピングしているときの先生のひと言で救われちゃった。

「良かったね、バレンタインデーのチョコレートを渡せる日がやっときてさ」




 出張から帰ってくるゴウさんとは、とん起で待ち合わせ。

 マスターや豆キチさんたちに、チョコレートを渡してからは。

 遅れて到着するゴウさんを、今か今かと待っているの。


 ゴウさんが帰ってくると、持ってきたチョコレートは三つだけ。

「ふうん、意外と少ないのね」

 白々しくそう言ってからさり気なく、そして素早くチェックを入れると。

 どれも義理チョコみたいなので、ひと安心だわ。

 いくら不細工だとしても、義理チョコよりも手作りのチョコレートよね。

 さあ、満を持して真心を込めたチョコレートを渡すわっ!


「外村ちゃんひどいよ、俺たちには市販品でシノには手作りなんて」

 今の抗議は、ゴウさんのだけは手作りですというアピールになっているわ。

 ありがとう、豆キチさん。

「心して食べてね、初めて好きな人にあげるチョコレートなんだから」

 期待に満ちた、あたしの熱い視線に対して。

 ゴウさんは横目でちらっと見ただけで、包みを開けようともしない。

「どうして食べてくれないの?」

「営業中の飲食店で、持ち込んだものを食べろっていうのか?」

 今ここで正論を言わなくても、雰囲気や流れってものがあるでしょ。

「うちだったらかまわないよ、シノちゃん」

 ほうら。

「いいのか、マスター」

「せっかくなんだから食べて、おいしいって言ってあげるんだね」

 ナイスフォローをありがとうございます、マスター。

 渋々って感じで包みを明け、ひと粒だけ手に取ったゴウさんは。

「バレンタインデーのチョコレートだぞ、うまいと言いながら食うものじゃ」

「つまらないごたくを並べやがって、いいから早く食べてやれよ」

 豆キチさん、今日のあなたはすてきっ! 

「食えと言われても、見た目がこれじゃ」

 その点については、心中お察しいたします。


 食い入るように凝視しながら。

「どう、おいしい?」

「まだ、口に入れてもいないだろ」

 そう言いながら、やっと食べてくれたゴウさん。

 すぐにでも感想を聞きたいけれど、それよりも気になることがあるのよね。

「ひとつだけしか食べてくれないのね、おいしくないから?」

「いいや、見た目から想像をしていたよりはうまいよ」

「なら、もっと食べてよ」

「せっかくだからうちで食べるよ、残りはしまっておいてくれ」

「特別だなんて、大切に食べてくれるってこと?」

「勝手に人のせりふを置き換えているんじゃないよ」

「何が?」

「俺はせっかくって言っただけだ、特別だなんて言っていないだろ」


 とん起からの帰り道。

「息もまっ白だしすごく寒くなったわね、この雪って積もるのかしら?」

「どうかな、粉雪だから降っても積もるまでは」

「まだ二月の半ばだものね、早く暖かくならないかな」

 なんて言いながら、さりげなく腕を組んじゃった。


 ベッドに入ってから、ふと思ったんだけれど。

 ゴウさんが持ってきたチョコレートって、義理チョコばかりだったわ。

 ハナマルのらしきチョコレートがなかったし。

 ゴウさんは出張から直帰したから、ハナマルとは会えていないのかしら。

 何にしても、助かったわ。

 あたしの極めて不本意なチョコレートと比べられたら、悔しいもの……。




 翌日、仕事を終えて帰宅したゴウさんは大きな手提げ袋をぶら下げている。

「何なの、それ?」

「昨日は出張から直帰しただろ、出社したら机に山積みになっていて」

 そう言って袋からテーブルの上に出したのは、たくさんのチョコレート。


「他の人も、こんなにチョコレートをもらうの?」

「俺は特別だよ、本社だけじゃなくてあちこちから届くんだ」

「どうして、特別なの?」

「全国の営業所や工場を回るから、仕事でかかわる社員が多いんだ」

 昨日からすっかり安心していた、あたしも悪いと思うわよ。

 チョコレートが、たったの三つだったのも。

 ハナマルからのチョコレートがなかったのも、たいして気にしなかったし。

 それでも、十七年分の幸せがたったの一日しか続かなかったなんて。


 例の当たり付きのアイスを除くと、甘いものをほとんど食べないゴウさん。

 口にしているのを見たことがあるのは、ひと口サイズのビターチョコだけ。

 ショットグラスに氷をひとつ入れ、ウイスキーやブランデーを飲むけれど。

 そんなときにつまむのが、決まってビターチョコ。

 ずっと不思議に思っていたの。

 ビターチョコなんて、ゴウさんが自分で買うとも思えないのに。

 いつでもストックがあるし、種類もばらばら。

 あれって、バレンタインデーにもらったチョコレートだったのね。


 それにしても、積まれた山の中には。

 昨日と違って、義理じゃないって分かるチョコレートがいくつもあるわ。

 ひときわ目立っている趣味の悪い包みって、ハナマルのチョコレートね。

 開封してあるってことは、自分の目の前でゴウさんに食べさせたのね。

 なんて嫌な子っ!

 昨日は、あたしも同じことをしたけれど……。


「これだけの数にお返しをするなら、ホワイトデーにはちょっとした散財ね」

「散財って言うなよ」

「毎年、何をお返しにしているの?」

「川木にはケーキだけれど、それ以外のお返しにはワインだな」

「チョコレートのお返しにワインって、何倍返しよ」

「いいワインからまずまずのワインまで、バランスを考えているよ」

 どうせ、義理チョコにはまずまずのワインで。

 高そうだったり手作りだったりすると、いいワインってことでしょ。

「こんなに置いておいても、一年じゃ食べきれないでしょ」

「いつもは、大半は子供がいる先輩たちにあげているよ」

「どうして、今年はこんなに持ってきたのよ?」

「南野から、今年のチョコレートはすべて家に持って帰れと言われて」

「ハナマルが?」

「よく分からないけれど、持って帰っておまえに見せろと言っていたぞ」

 現実を認識させてやるってことね、本当になんて嫌な子っ!


「それにしてもどうするのよ、こんなに山積みのチョコレート」

「いくつかは残しておくけれど、あとはとん起に持っていくよ」

 チョコレートの包み紙を開けて確認しながら、ふた組に分け始めている。

「バレンタインデーのチョコレート感が、まる出しのまま渡せないからな」

「この時期のチョコレートなんだから、ばればれなのに?」

「気は心ってやつだよ、おまえも見ていないで手伝え」

 こんなことを、あたしに手伝わせるなんて。

「どうして、ふた組に分けているの?」

「そっちが取っておく分で、こっちはとん起に持っていく分だ」

「とん起の分だけ、箱まで開けているのはなぜ?」

「メッセージが入っていたら、それはそれでまずいし」

 ちょっと、メッセージが入っているってどういうことですかっ!


 ぷりぷりしながらも、包みを開けては渡す作業を繰り返していると。

「いつも思うんだ、会社でもらうならたとえ義理チョコでも」

「義理チョコが、何よ」

「仕事で何かあったらよろしく、なんて気持ちが込めてあるんだろうって」

 そんなことを考えているんだ、たかがバレンタインデーのチョコレートに。

「ふた組に分けたでしょ、その基準って何なの?」

 判断基準はチョコレートが高いか安いかと思ったのに、違うみたいだもの。

 高そうなチョコレートも、とん起に持っていく組にいくつもあるし。

「見ていたんだから分かるだろ」

「分からないから聞いているのよ」

「いいチョコレートか、まずまずのチョコレートかってことだ」

「何なの、いいとかまずまずとかって?」

「俺が判断する基準は、酒に合いそうかどうかだけだよ」

 残しておくのは、自分がお酒を飲むときにつまみたいチョコレートなんだ。

 それが、いいのとまずまずの判断基準なのね。


 開封と選別が終わると、いいとまずまずの割合は一対九ってところかしら。

 とん起に持っていくチョコレートを、紙袋に入れ終わったゴウさん。

 残しておく、「いい」チョコレートをテレビの後ろの棚にしまいながら。

「おまえからもらったチョコレートで、一杯やるか」

「とん起では、ひとつしか食べてくれなかったくせに」

「取っておいたんだよ、家で飲むときにつまもうと」

 えっ、そうなの?

「見た目はともかく、あの苦みは酒に合いそうだからな」

 そういえば、テレビの後ろの棚に入れていたいいチョコレートに対して。

 あたしのチョコレートは、お酒を入れるカウンターにしまっていたわ。

 だったら、あたしのチョコレートはいいより上の特別ってことよね。


 もうひとつ気になっていたことが。

「どうして、香澄のお返しだけがケーキなの?」

「川木が仕事で使う総務課のシステムは俺の担当で、付き合いも長いんだ」

「聞いているわ」

「ワインよりケーキがいいと言っていたから、同期の数だけ」

「どうして、同期の分まで?」

「会社の女子は、食堂で同期ごとに集まって昼飯を食べているんだ」

「ふうん」

「川木が一人でケーキを食べるのも変だから、みんなで食べられるように」

 それで、香澄にはたくさんのケーキか。

 あたしへのお返しもワインじゃなくて、例の参加賞を婚約指輪に……。

 がぜん、ホワイトデーへの期待が高まってきちゃうわっ!




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