第十一話 あたしとゴウさんのギブアンドテイク 前編
そう……。
ことの始まりは、あたしがリビングでのんびりしていた日曜日のお昼過ぎ。
休日出勤をしているゴウさんからかかってきた、一本の電話からだったの。
「どうしたの、システムテストの真っ最中でしょ」
「それが、忘れ物をして困っているんだ」
「何を忘れたの?」
「今日中に必要な書類なんだ、茶封筒に入れてあるから探してくれないか」
「探すって、どこを?」
「俺の部屋にあることは確かだが、どこに置いたのかまでは覚えていなくて」
「ちょっと待っていて、お部屋に行くから」
子機を片手にゴウさんのお部屋に行くと、問題の茶封筒は冷蔵庫の上に。
「あるけれど、どうすればいいの?」
「封筒に会社の住所が印刷してあるだろ、届けてくれないか」
「あたしが、ゴウさんの会社まで?」
仕事場にお届け物か、わくわくしちゃう。
「六階のシステム部まで、急いで持ってきてくれ」
「分かったわ」
「おしゃれをして来いよ」
ゴウさんの会社に行くだけでも、わくわくしているのに。
そんなことを言われたら、もっと肩に力が入っちゃう。
急いで、なんて言われているのはとっくに忘れているあたしが。
一時間も悩んでようやく決めたのは、微妙に頑張った感のあるワンピース。
いざ、出陣よっ!
「失礼します」
システム部と書かれたドアをノックして、そう声をかけてから開けると。
応対してくれた女の子は、あたしと同じくらいの年齢かな。
ゴウさんたら、こんなかわいい子と一緒にお仕事をしているのね。
「どのようなご要件でしょうか」
「篠原さんから、忘れ物を届けるように言われて来たんですけれど」
持参した茶封筒を見せる。
「篠原でしたら、ただいま席を外しておりますが」
この子、何も聞いていないみたいね。
あたしが来ることは分かっていて、しかも自分は席にいないことが多い。
だから、周りの人に伝えておくと言っていたくせに。
「よろしければ、忘れ物はわたしがお預かりしましょうか」
「直接手渡すように言われているので、待たせていただきます」
「いつ自分の席に戻ってくるか、分からない人ですが」
意外に冷たい対応ね。
でも、そう言われることぐらい予想はしていたもの。
「構いません」
篠原を探しちゃだめだ。
その場を動かないでいれば、社内を飛び回っているあいつがやって来るさ。
これが会社でのゴウさんに対する常識だって、聞いているものね。
それに、前に言っていたわ。
出張や休日出勤が多い上に、出社していても自分の席にはいないから。
連絡がつかなくて困るんで、自腹で携帯電話を買わされたって。
向かいの席に座っている派遣の人にも、驚かれたって。
あまりにも顔を合わせないゴウさんが、実は正社員だったことに。
茶封筒を手渡さずに居座ろうとしているあたしに、カチンときたのかしら。
ついに、聞いてきたわ。
「篠原とは、どういったご関係ですか?」
良~く聞いておきなさいよ、勝負のせりふなんだから。
「一緒に住んでいる、外村といいます」
そして、もうひとつ。
「名前を言えば分かるようにしておくと、あの人からは聞いておりますが」
この子にとって、あたしの爆弾発言の効果はてきめんだったみたい。
一緒に住んでいるってことに加えて、あの人なんて言葉を聞くなり。
みるみるうちに顔が赤くなって、目がつり上がっちゃったもの。
部屋中の人が、興味津々にあたしたちのやり取りを見ているけれど。
奥の席に座っている男の人が、手を上げると。
「外村って人が来ることだったら、俺が聞いているよ」
何なのよこの女は、素直に忘れ物を渡して帰ればいいのに。
露骨にそんな顔をされているけれど、無理もないわね。
自分と同じぐらいの年の女性が、いきなりゴウさんを訪ねてきて。
一緒に住んでいるなんて言われただけでなく、あの人なんて呼んでいるし。
しかもその女性、つまりあたしはゴウさんからも言われているもの。
まあまあの美人で、スタイルもそこそこだって。
自分で言うのも何だけれど、世間的にはもう少し上の評価をされているし。
「まさか、先輩が下着を洗濯してあげる女ってあんたなの?」
ふうん、いきなり口調が変わっているじゃない。
この子ったら、今までは猫をかぶっていたのね。
それに、あたしとゴウさんしか知らないはずのお洗濯の話を知っているわ。
じゃあ、この子がハナマル?
そして、こんなに怒っているってことは。
もしかしたら、この子もゴウさんのことが好きなのかしら。
そう思ったら、何だかむかむかしてきたわね。
ハナマルったら、値踏みでもするようにあたしを眺めているわ。
頭のてっぺんからつま先まで、それはもう入念にじろじろと。
「わたしに預けるのが嫌なら、携帯電話で篠原を呼び出しますから」
おあいにくさま、これぞ飛んで火に入る夏の虫よ。
ハナマルが電話をかけた途端に、あたしのバッグから振動音が聞こえて。
「あの人、今日もベッドサイドに携帯電話を忘れちゃって」
今度は、あの人とベッドサイドってところに力を込めて言うと。
「いつも、注意はしているんですけれど」
バッグから取り出したのは、ゴウさんの携帯電話。
どうだとばかりに、ハナマルの目の前に突きつける。
「自分では必要だと思っていないみたいで、いつも忘れていくから」
いかがかしら、あたしたちはこんな関係なのよ。
なんて盛大にアピールしてみせると、ハナマルはもはや鬼の形相。
「あの人が戻ったら、エレベーター横の食堂で待っていると伝えてください」
余裕でそう言い残して、あたしは部屋から出ていったの。
食堂でゴウさんを待っていると、ちょっぴり冷静になってきた。
自分でもびっくりするぐらい、ハナマルと張り合っちゃったな。
ゴウさんを好きな人なんて初めてだったから、ライバルだと思ったのよね。
初めて会ったのに、悪いことをしちゃったかな。
でも、自慢したくなったんだもん。
あたしの方があなたよりも、ゴウさんのことを知っているのよって。
「おまえ、南野とやり合ったんだって?」
二十分もして、ようやくゴウさんが来たけれど。
お届け物をありがとうのひと言もなしに、まずはそれですか?
「大騒ぎになっているぞ」
「そんなことを言われても、あたしだけのせいじゃないでしょ」
半分はハナマルにせいだし、そもそも。
その場にいてくれなかったゴウさんにも、責任の一部はあると思うわ。
「ねえ、さっきの子がハナマルなの?」
「南野のことだったら、そうだけれど」
やっぱり。
「南野……、何ていうの?」
「南野美紀だが」
きつい性格のくせに、かわいい名前ね。
「そんなことより、どうして一緒に住んでいるなんて言ったんだよ」
「ハナマルに聞かれたんだもの」
「名前だけ伝えればいいだろ」
「だって、どんな関係ですかって聞かれたのよ」
「知人とでも答えておけばいいだろ」
「それじゃ、何も答えていないのと同じでしょ」
「おまえと同居していることは、誰にも言っていないんだぞ」
「だから、それをあたしに言われても」
「後で、何を言われることになるやら」
「ごめんなさい」
「書類を提出してくるから、こっちへよこせ」
渡した書類を脇にはさんで、食堂を出ていこうとしたゴウさんは。
「もう少しの辛抱だからここで待っていろ、戻ってきたらすぐに帰るからな」
「帰るって、システムテストは?」
「さっき終わったよ」
「ゴウさんは責任者なんでしょ、もう帰っていいの?」
「そんなことを気にせず、おまえはすぐに帰れるようにしていればいいから」
「どうしてそんなに急いでいるの?」
「南野より前に会社を出ないと、また面倒なことになるからだよ」
何にしても良かった、ゴウさんがそんなに怒っていなくて。
地下鉄の駅で、改札を入ってからゴウさんが下りようとしているのは。
おうちへの乗り換え駅の上野に向かうのとは、逆方向のホーム。
どうしたのかな、このままおうちに帰るんじゃないのかしら。
「こっちは上野と逆方向のホームでしょ、これからどこかへ行くの?」
「わざわざ休日に出てこさせたんだ、うまいものでもごちそうするよ」
「だから、おしゃれをして来いって言ったのね」
「ああ」
「やったあ、これって初めての本格的なデートよね!」
「おまえ、ドライブをしたときにもそんなことを言っていたぞ」
「あれはドライブデートだもん、お食事デートをするのは初めてでしょ」
「まったく、何がどう違うんだか」
それでも、デートだってことを否定されないのが幸せ。
銀座で地下鉄を降りて、地上に出ると。
「せっかくだから、食べたいものを言ってみろ」
「え~っとね、お肉!」
「近くにうまい焼き肉屋があるけれど、焼き肉はおととい食べたばかりだろ」
「さすがに、続けては」
「すき焼きと目の前で焼いてくれるステーキだったら、どっちが食べたい?」
「おうちじゃ食べられないから、ステーキがいいな」
連れていってくれたのは、見るからに高級そうなステーキハウス。
「こんなお店も知っているのね、良く来るの?」
「引っ越す前は、毎晩この辺りで食事をしていたから」
ビールで乾杯をしながら、エビとお肉を頼んでくれた。
メニューにはアワビやホタテもあったけれど、ゴウさんは食べないものね。
付け合わせの焼き野菜についても、シェフに注文を付けていたくらいだし。
「わたしはキノコとモヤシを食べませんが、彼女は普通に出して大丈夫です」
確固たる好き嫌いか、やれやれ。
鉄板で焼いたエビは、殻をむいてカットしてからお皿に乗せてくれて。
「うわあ、おいしい」
味が濃いし、プリプリとしている。
「良かったな、肉はもっとうまいぞ」
ゴウさんのビールが空になって、ワインのボトルを頼むと同時に。
カットされたお肉が、野菜と一緒に出されて。
「特製のたれは後にして、まずは皿に盛られた塩とコショウで食べてみな」
塩とコショウを付けたお肉を口に入れたら、また言っちゃった。
「おいしい!」
とん起もいいけれど、たまのデートならこんなお店もうれしいな。
「もう一杯、付き合えよ」
お店を出てから、そう言われると。
ゴウさんが連れていってくれたのは、大きな通りの角にあるビル。
エレベーターに乗って、最上階のバーラウンジへ。
案内された窓際の席に座ると、夕暮れどきの銀座の街が見渡せる。
ぎりぎりだけれど東京タワーも見えて、とっても奇麗。
ゴウさんがあたしへと頼んでくれたのは、かわいいカクテル。
「かわいいカクテルね、何て名前なの?」
「フローズンストロベリーダイキリのバージンって飲み物だ」
「飲みやすいわ」
「当たり前だ、アルコール抜きのイチゴ味のかき氷だからな」
「ふうん、お酒じゃないんだ」
「さっきの店でそこそこ飲んできているから、おまえにはちょうどいいだろ」
窓から下を眺めると、忙しそうに行き交う人たちが見える。
「うわあ、まるでありんこみたいね」
「この街は歩きながら見上げると、ネオンがキラキラと奇麗だろ」
「うん」
ここに来る途中でも、奇麗だったわ。
「でも、上から見るとエアコンの室外機だらけの屋上しか見えない」
確かにそうね。
「見方によっては、本当の姿が見えていないこともあるってことだよ」
本当の姿か……、ゴウさんには本当のあたしが見えているのかな?
無理やり同居を始めちゃったり、おうちのことが何もできなかったり。
そんな女だって、思われているわよね。
おうちに帰る電車に乗りながら、考えちゃった。
忘れ物を届けたあたしに、ご褒美をくれたゴウさん。
それも、初めての本格的なお食事デートという特別なご褒美。
楽しかったな。
最初のお店は、エビやお肉がとってもおいしかったし。
次のお店は、夕方の景色がすてきでカクテルもおいしかった。
思いがけず、ハナマルと出会ったことはともかくとして。
良い一日、だったわね。
そんな中でも一番うれしかったのは、お店を出るときのゴウさんのひと言。
「何だかんだといっても、やっぱりおまえはお嬢様なんだな」
「あたしがお嬢様って、どうして?」
「おめかしをしてそれなりの場所で見ると奇麗だったぞ、結構」
また思い出しちゃった、えへへ。
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