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第一話 がぁるみぃつぼぉい 前編

 わたしは、風見鶏です。

 この町の、駅の南側では一番高いビルのてっぺんに立っていて。

 何十年もの間、風に吹かれてクルクルと回りながら。

 この町で起きているいろいろなことを、ずっと見続けてきました。

 そんなわたしが見てきた中でも、一風変わったお話をしようと思います。


 それは、年号が昭和から平成になったばかりのころですから。

 三十年以上も前、かなり昔のことですね。

 電車には、誰もが切符や定期券で乗っていましたし。

 携帯電話はまだ高価で、持っている人がそこそこ。

 会社でも、パソコンが一人に一台になるにはあと少し先のこと。

 そんな時代ですから、お話の途中には違和感を覚えることもあるでしょう。

 どうして携帯電話で連絡をしないんだ、とか。

 それならメールをすればいいじゃないか、とか。

 このような場面が出てきますが、気にせず読み進めることをお勧めします。

 なにせ、三十年以上も前のことですからね。


 しかも、このお話の始まりはそこからさらに十七年もさかのぼるんです。

 なぜかって?

 だって、それが始まりの始まりでしたから。

 それではお話を始めましょう。







 目の前に置いた一枚のトランプ。

 好きな人の名前を裏に書いて、終業式の日に相手に渡そうって。

 クラスのみんなで決めて、一枚ずつ持ち帰ったトランプ。

 あたしのカードは、ハートのクイーン。

「ふう」

 明日になると引っ越していく、あいつの名前を書いてからため息をひとつ。

 あいつ、受け取ってくれるかな?

「ふう……」

 もう一度、深いため息。


 荷物を運び出し終わって、がらんとした部屋の真ん中で。

 さっきから手に持ったままのトランプを、じっと見つめていると。

 一階から聞こえてきたのは、母さんの声。

「もう出発するわよ、下りてきなさい」

 渡さないって決めたんだろ、引っ越したらもう会えないんだから。

「ふう」

 握りつぶしたトランプを、足元にポトリと落とし。

 ため息をついてから一階に。

「ふう……」


「朝っぱらからうるさいね、そんなに騒いでどうしたんだい」

「何って、引っ越しじゃないの」

「えっ、あんたたちが引っ越すのは明日だろ」

「先週に話したでしょ、学校の都合で今日に変えたって」

「聞いていないよ、そんなこと」

「荷物も積み終わったから、もうすぐ出発するわよ」

「ちょっと待ちな、もう出発するのかい?」

「あわてなくても、家族そろってあいさつぐらいしていくわよ」

「そんなことを心配しているんじゃないよ、まずはあの子に連絡を……」


 どんなことでも最後にもう一度確認しないと気がすまない性格、か。

 つくづく損をする性分だと、自分でも思っているのに。

 また面倒ごとを背負い込むことになっているし。

「一人だったらトラックに乗れるってさ、道案内がてらに俺が乗っていくよ」

 おふくろにそう言ってから。

「ふう」

 トラックの運転席に乗り込もうとしているドライバーに、お願いを。

「すぐ近くに、寄ってもらいたいところがあるんですけれど」

「住み慣れた町に、最後のあいさつかい?」

 最後のあいさつか、そうならいいのにな。

 それにしても、こんなにくしゃくしゃにすることはないだろ。

「ふう……」


「先生からお電話よ」

 ママからの声で一階に下り、受話器をとると先生から。

「手違いがあったみたいで、引っ越しは今日なんだとさ」

 今日が引っ越しって何のことなの、明日の予定でしょ?

「もうトラックが出るっていうから、急いでうちに来なさい」

 頭が真っ白になるって、こういうことかしら。

「どうしたの?」

 ママに聞かれて、われに返ると。

 慌てて二階に行き、トランプを手にして家を飛び出した。

 間に合って、まだこれを渡せていないから!


 玄関のチャイムを鳴らすと、出てきたのは外村ではなくおふくろさんで。

「あら、剛君?」

「外村はいますか?」

「敦子なら、今さっきあなたのおうちに行ったわよ」

 行き違いか、オバちゃんが余計な連絡をしたんだな。

「外村とは、行き違ったんだと思います」

「ほとんど一本道なのに?」

「うちへ向かう外村が通る道は、一方通行だから」

 俺は引っ越し屋さんのトラックに乗って、別の道から来たからな。

「先生に連絡して、あの子に帰ってくるように伝えてもらうわ」

「トラックを待たせているから、もう行かないと」

「でも……」

「会えなくてもいいんです、これを外村に渡してください」

「なあに、トランプ?」

「渡してくれれば、外村には分かりますから」

 頭を下げて歩き出すと、背中にはおふくろさんの声が。

「ありがとう、剛君」

 振り返らずに、ポケットから出した左手を振ってみせる。

「やれることはやったんだ、これで貸しがひとつだからな」

 そうつぶやいて突き当たりを左に曲がり、トラックに乗り込んだ。


 とぼとぼと家に帰ると、どっと疲れが。

「お帰りなさい、やっぱり会えなかったの?」

「うん、あたしが着いたときにはもう出発した後だったの」

 一生懸命に走ったのに。

「行き違いで剛君が来てね、あなたにこれを」

 ママから渡されたのは、くしゃくしゃに握りつぶした跡があるトランプ。

 自分の部屋で、机に置いたあいつのトランプに聞いてみる。

 アッコって書かれた、スペードのジャック。

「あんたは、これで良かったの?」




 日課になっているわね、このごろ。

 誰もいないときを見計らって、これを見てため息をつくのが。

 机の上に置かれた、ふたつ折りの写真スタンド。

 右にはあの人の写真が、左にはあのトランプが入れてある。

 だめじゃない、こんなことばかりしていたら。

 大人になったら、あの人の奥さんになりたいんでしょ。

「ふう」


 十年後だったらあの人は二十才か、まだ学生だから早すぎるわね。

 二十二才、就職をしたばかりだし。

 じゃあ二十五才、入社三年目だからまだ早いかもね。

 もうひと声で二十七才、それならばっちりだろうけれど十七年も先か。

「ふう……」




 始まりの、そのまた始まりのお話はここまでです。

 小間切れのエピソードが連続しましたが。

 後に鍵となるエピソードですので、覚えていてください。

 それでは、十七年後に戻ってからお話を続けましょうか。

 再びわたしがあなたにお会いするのはお話が終るころ、ですかね。







 今年のお盆の休みは、例年になく暑くなりそうだ。

 そんなニュースが朝のテレビで流れていた、八月になったばかりの金曜日。

 俺が降り立ったのは、あと何駅かで東京都を出て千葉県だという私鉄の駅。

 いくら暑い盛りの正午過ぎとはいえ、このうだるような暑さにはまいるな。


 これでも都内、しかも駅前だというのに。

 駅を出ると、すぐ目の前に広がっているのは。

 まるで肩を寄せあうように、ぎゅうぎゅうに並んでいる民家と商店。

 すぐそこのバス通りですら、片側一車線だし。

 脇に入る道の奥にあった駄菓子屋で、よくもんじゃを食べたけれど。

 この道って、こんなに狭かったっけ。


 俺が住んでいた十七年前と、ほとんど変わっていない町。

 このご時世だぞ。

 せめて駅前ぐらい、マンションや商業施設が建っていてもいいと思うが。

 にぎやかっていうよりも、ごみごみや雑然なんて言葉がぴったりだし。

 これじゃあ、再開発なんて夢のまた夢なんだろうな。


 

 そんな町に、暑い日差しを遮ってくれる高い建物などあるわけもなく。

 日陰を求め、住宅の陰を伝うようにして歩きだしてからも。

 そこかしこから聞こえてくる音といえば。

 旋盤で金属を削るキーキーと、プレス機の盛大なガチャンガチャン。

 おまけに、急いでいるかのような輪転機のガタンガタンか。

 鼻をつくのは、インク溶液や焼けた潤滑油のすえた臭いだものな。

 これぞ、かつて慣れ親しんだ下町のわが故郷。

 本当に、しょうもない町だな。




 俺が向かっているのは。

 今はオバちゃんが一人で住んでいる、おふくろの実家。

 オバちゃんとは、おふくろの妹で名前は篠原瑞穂しのはら みずほ

 つまり俺の叔母で。

 公称の職業は、画家ってことになっている。

 どうして公称なのかというと、主たる収入は。

 絵本の挿絵を描く、あるいは自宅で開いている幼児向けの絵画教室だから。

 しかも、近ごろはその公称すら怪しいんだ。

 というのも、十数年前から趣味のバラの栽培が思わぬ大当たりをしていて。

 バラ自体は、昔から自宅の庭で育てていたんだけれど。

 通勤の途中に、毎日そのバラを見ていた小学校の校長がいたく気に入って。

 学校の正門の周辺に、バラ園を造る依頼をされ。

 完成したバラ園が雑誌に取り上げられ、ちょっとした評判になったそうで。

 いつしか、バラ栽培の専門家のような扱いをされるようになり。

 そのうちに、バラ栽培の講演で全国を飛び回るようになって。

 今では、それが主たる収入源だから。


 オバちゃんの性格は、良くいえば豪快。

 悪くいえば、やたらわがままな上にえらく短気で怒りっぽい。

 俺のおふくろや一番下の妹を含め、親戚からは敬遠されていて。

 いとこたちは寄り付いてもこないので、親戚の中で寄り付くのは。

 盆暮れになると、大掃除がてらに顔を出す俺ぐらい。

 じゃあ、今日も掃除のために向かっているのかって?

 ブッブ~、外れ!

 このたび、俺の弟がめでたくも結婚する運びとなったんだが。

 実家は2DKの団地だから、俺がいたら新婚夫婦が同居するのは無理な話。

 おふくろっ子の弟に気を使った俺は、実家を出ることにして。

 小五の終わりまで一家で住んでいた、オバちゃんの家に下宿をすることに。

 そして、今日が引っ越しの当日ってわけ。




 電話の音がしたと思ったら、ママが声をかけてきた。

「先生からだったわ、剛君がもうすぐ着くからあなたも早く来なさいって」

「はあい」

 一階に下りると、ママが玄関で待っていて。

「とにかく最初が肝心だからね、あなたの一生がかかっているんだから」

「精一杯、頑張ってくるわ」

「ママたちも、応援しているからね」

「ありがとうママ、行ってくるね」

 一生か、ちょっと大げさな感じがするけれど。

 実際に、すでに十七年って年月がかかっているんだものね。

 気合いを入れて、頑張りましょうっ!




「オバちゃん、来たよ」

 そう言いながら、以前はお絵描き教室として使っていたリビングへ。

 ソファーに座りお茶を飲んでいたこの家の主は、俺を見るなり。

「どうしたんだい、ゴウにしちゃ随分と遅かったね」

 家族を含め親戚中で、なぜかオバちゃんだけが俺をゴウって呼ぶんだ。

 俺の名は剛、篠原剛しのはら つよしなのに。

「あんたのことだから、てっきり朝一番には来ると思っていたのに」

「午前中は、会社に寄っていたからね」

「何だ、出勤していたのかい」

「ああ」

「今日は振替休日だから引っ越してくる、そう言っていただろ」

「だから、午前中に仕事を終えて飛んできたんだよ」

「あいかわらず、難儀な仕事だね」

「そんなことより、荷物は届いている?」

「昨日ね、業者が置いていったままで積み上げてあるよ」

「そりゃそうだろ」

 引っ越し業者とは、荷物は部屋に運び入れるだけって契約だからな。

「まったく、何でも人任せにしないで自分でやりゃいいだろ」

「そんな暇がないから、今日だって休日出勤をしているんだよ」

「やれやれ」

「とにかく、今日からよろしくね」

 俺はそう言うとソファーに腰を掛けて休もうとしたんだ、が。


「お邪魔します、先生」

 玄関で声がしたんで振り返ると、入ってきたのは若い女。

 俺は、他人をじろじろと見るような悪趣味ではないけれど。

 ちょっと失礼して、観察を。

 年のころは、そうだな……。

 二十五才前後ってところか、俺よりはちょっと年下って感じがする。

 セミロングのさらさらな髪が、清潔感を出していて。

 色白で細面の上に小顔で、涼しげな切れ長の目に上品な鼻。

 すらりと伸びた高身長で、スタイルは抜群といっても差し支えないし。

 服装のセンスだって、好印象だ。

 つまり。

 控えめにいっても、そうはお目にかかれないほどのかなりの美人で。

 まるで、ファッションモデルか童話に出てくるお姫様みたいだ。


 それにしても、どうしてこんな女がオバちゃんの家に?

 さっきだって、玄関のチャイムを鳴らさずに入ってきたし。

 ただの顔見知り、って程度ではなさそうだな。

 いったい誰なんだ、こいつ?



Copyright 2024 後落 超


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