番外編②
結婚後の話その2です。
ジゼルは昔から、あまり手紙のやりとりをしたことがない。そもそも手紙を書く相手がアリシア以外にいなかった上に、話したい事があれば直接出向いたほうが早かったのだ。
だがスクード男爵の位を賜り、戦果を積み上げていくのに比例し、屋敷に届く手紙が少しずつ増えていた。
「茶会のお誘い……」
戦場にいたら全く無縁な字面に、ジゼルは首を捻る。茶会とは貴婦人が集まって談話する、あの茶会か。
ジゼルがこれまで参加した数少ない茶会は、何も無かったと言うほかない。ジゼルは空席を埋めるだけの存在だったのか、ずっと相槌を打っているだけであった。面白い話ができなくて申し訳ないと感じていたものだ。
ところが今日届いた手紙には「ジゼル様のお話を楽しみにしております。是非おいでくださいませ」なんて書いてある。楽しみと言われても、ジゼルは戸惑う一方だった。
(なんてお返事したら……是非と仰ってくださるし、行かないのも悪いかしら)
散々迷った後、彼女は参加の旨を手紙したためた。こういう時、親友が近くにいてくれたらと思わずにいられなかった。
ジゼルが浮かない顔でもしていたのか、ロルフが「無理すんな」とさりげなく引き止めてくれた。気遣いは嬉しいけれど、もう後戻りできないのだ。参加すると返事したからには行くしかない。
心配そうなロルフに見送られ、ジゼルは出発した。ともすれば戦場へ向かうより緊張しているかもしれなかった。普段はそこで命のやりとりをしているというのに、おかしな話である。
招待状をくれたのは、社交界で知らぬ者はいない名門貴族の夫人だった。夫人と言っても歳はジゼルとさほど変わらない。しかしながら落ち着きというか、醸し出す貫禄はジゼルと大きく違っていた。
「ご機嫌よう。ジゼル様。お待ちしておりましたよ」
優雅な挨拶に対し、ジゼルは少しぎくしゃくしてしまう。でも動揺が表情に出にくいたちである事が幸いし、不審がられることはなかった。
微笑みさえ絶やさなければ乗り切れる、という考えは甘かったとジゼルは悟る。何せ本日のお茶会は、ジゼルが話題の中心だからだ。ジゼルが喋らなければ場が持たない。
「今、年若いご令嬢達の間でジゼル様は大人気なんですよ。ご存知でしたか?」
「凛とした美しい佇まいながら、敵兵を蹴散らす勇ましさも持ち合わせていらっしゃるところが素敵ですわ」
「ひと目お会いしたいと熱望するご令嬢も多いんですのよ」
初耳なことばかりである。戦場から帰る凱旋の折、たくさんの歓声が出迎えてくれるが、ジゼルはその一部さえ自分に向けられるとは思わなかった。
彼女が目を白黒させている間に、話題が変わっていく。
「一途な愛を貫いたとの噂もお聞きしましたわ」
「結婚なさったばかりでしたわね。旦那様はどのようなお方なのでしょう?」
「今度の舞踏会にはいらっしゃるの?」
どうやらご夫人方は、ジゼルの恋愛模様に強い関心があるようだ。次から次へと質問を投げかけられ、頭から煙が出そうであったジゼルだが、ロルフについて語るのは苦ではない。彼の良いところならいっぱい知ってるいるからだ。
真面目な顔をして夫を褒めるジゼルを、夫人達は微笑ましく眺めていた。
「羨ましいですわ。わたくしの新婚時代を思い出します」
「あら。貴女のところは今でも仲睦まじいではありませんか」
「貴女こそ仮面夫婦だなんて仰るわりに、しばしば惚気ていらっしゃるわ」
「いいえ貴女には負けますわよ。ねぇジゼル様。この方、わたくし達がいる前でも見送りの口付けを交わしていたんですよ」
「ですからそれは、新婚の頃の話ですわよ」
「ジゼル様は旦那様の出掛け際にキスを贈りますか?」
ジゼルは暫し固まった。それから恐る恐るといった感じで口を開くのだった。
「……そう、する事は一般的なのでしょうか」
「一般的かどうかはわかりかねますが、わたくしの両親はしておりましたよ」
「わたくしの家も昔はそうでした」
「ジゼル様も旦那様にやってみては?きっとお喜びになると思いますわ」
「喜んでもらえるでしょうか。はしたないと、思われませんか」
彼女のいっぱいいっぱいな様子を見て、夫人達はにっこりと良い笑顔を浮かべる。
「絶対に大丈夫です。わたくし達が保証いたします」
「頑張ってくださいませ」
「応援しておりますわ」
今度はご報告にいらしてください、という言葉を貰って、ジゼルは屋敷に帰るのだった。
見送りの口付けなるものを学んだジゼルは、夫人達の応援に応えるべく、実践に移そうとした。だがここで、ある課題に気がつく。ロルフを見送る機会が無いのだ。
何せジゼルとロルフは、ほとんど一緒に時間を過ごしている。外出と言えば戦いへ赴くか、社交場に顔を出すか、いずれにせよ夫婦で行動が基本だ。ロルフが出掛けて、ジゼルは屋敷に残るという状況が無い。
(困ったわ……)
悩ましげなため息を吐く程のことではないかもしれない。出来なかったからと言って、夫人達からお叱りがある訳でもないだろう。ただジゼルは、夫人達に言われた「旦那様が喜ぶ」という台詞に惹かれてやまないのだ。
彼女が腹に一物を抱えている事に、鋭いロルフは勘付いていた。しかしながら深刻な悩みではなさそうなので、ひとまず静観している。でも時折、彼女からの熱視線を感じるのはいったい何だろうか。
(……よくわかんねぇが、オレだけ見てるならまぁいっか)
両者の思考が錯綜しながら日々は過ぎた。そしてようやく、ジゼルが待ちに待った好機がやってくる。ロルフが愛用の剣を研ぎ師へ預けに行くと言うではないか。今しかないと、ジゼルは立ち上がった。
「半日は預けなきゃいけないらしいから、渡したら戻ってくる」
ロルフが出て行こうと扉に手をかけた瞬間。自身に近付く気配を感じて、彼は反射的に動きを止める。振り向けばジゼルが傍まで来ていた。どうした、と問うより先に彼女が両手を伸ばしてくる。頬が優しく包まれた後、唇と唇が軽く触れ合うのだった。
「い、いってらっしゃい。ロルフ」
背伸びしていた踵を下ろしたジゼルは、照れたように笑った。不意打ちの口付けを貰ったロルフは、珍しいことに放心していた。
思っていたような反応とは違う気がして、ジゼルの眉が少しずつ下がる。
「……嫌だった?」
「違う」
呆けていた割に、否定だけはものすごく早かった。
「じゃあ…嬉しかった?」
「そりゃあ…アレだ……最高っつーか…」
歯切れの悪いロルフなんて貴重である。彼はいつも歯に衣着せぬ言い方をするから。
「……なぁ、今の。帰ってきた時もあんのか?」
ジゼルは目を瞬かせた。お茶会で見送りの話は聞いたが、出迎えの話は聞いていない。
「……あったほうがロルフは嬉しい?」
「嬉しい。ものすごく」
またしても即答だ。これは相当喜ばれたらしい。そう理解したジゼルは、嬉しくて破顔する。
「わかったわ」
「絶対だからな。忘れんなよ」
必死に約束を取り付けなくてもジゼルは忘れないのに、なんだかますます笑えてくる。楽しい、幸せだという感情が自然と溢れ出た。
その後、飛ぶ鳥のように出て行ったロルフは、そのまま一目散に帰ってきた。用事を済ませたのかどうか、疑問が生じるほどの早さであった。そして妙に息を切らせた彼は、待ちきれないとばかりに少し屈んで、愛しい妻を抱きしめるのだった。




