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 北東部での戦いはアザン国が危なげなく勝利をおさめ、国境を守り抜いた。軽微な被害は出たものの、ジゼルもフィンレーも無事である。


「ジゼル。君はこのまま帰るのか?」

「そうだけど、あなたも同じではないの?」


 帰還の許可が下りたため、二人は戦場を後にしていた。ジゼルがのんびり馬に揺られていたところへ、フィンレーが速度を落としてきたのだ。


「帰る前に少し立ち寄るところがあるんだ」

「そう。隊長さんは大変ね」

「やめてくれ。たかだか五百人の隊だ。先に帰るなら護衛をつけようか」

「大丈夫よ。兵士に護衛っておかしいでしょう」


 ジゼルは自分で話した通り、可笑しそうに微笑む。貴族の令嬢とはいえ、彼女は前線で活躍する兵士だ。弓ほどではないが剣だって扱えるし、体術も心得ている。そこらの男に遅れをとるはずもない。

 ところがそう思っているのはジゼルだけだ。いくら弓が強かろうと、彼女がちょっと鈍くさいのんびり屋のお嬢様である事に変わりはない。道すがら詐欺師にでも声をかけられたら、疑いもせずについて行ってしまいそうなところがある。


「…街に入るまではオレも同じ道だ。心配性な隊長サンのために、姫サマは見張っておいてやるよ」


 面倒くさそうに口を挟んできたのはロルフだった。並走する彼の顔には億劫だと書いてある。そのいい加減な態度にフィンレーは内心むっとしていたが、言葉には出さなかった。


「そうか。それじゃあよろしく頼む」

「りょーかいでーす」


 生真面目な性格のフィンレーと、奔放すぎるロルフは反りが合わなかった。これはロルフが、口では隊長と呼んでいても、フィンレーの指示に従うことが少ないからであろう。フィンレーは秩序を乱す人間を好きになれなかった。


「ロルフ。わたしはお姫様じゃないわ」

「注意すんのそこかよ」


 上官からの評判は軒並み最低のロルフであるが、ジゼルとだけは衝突もせずにやっていた。十中八九、彼女が度を越しておおらかだからだと、皆が思っている。


「あなたは行きつけの酒場に行くのでしょう?遠回りになったら悪いわ」

「同じ街にあるんだよ。だからついでだ、ついで」

「そうなの。同じ街にいるなら休暇の間に会うかもしれないわね」

「無いな。アンタみたいなのが来る場所じゃねぇ。オレだって絶対に貴族街には行かねぇよ」


 フィンレーは幼馴染が、無礼な男に困っていないかいつも心配している。けれども、彼女からそういった相談は一度も受けたことがなかった。恐らく、今後も無いのだろう。




 何事がある訳もなく、ジゼルは順調に帰り道を進んだ。護衛を任されたロルフなど、ただ隣で乗馬していただけであった。そんな彼は街に入ると、いつの間にか居なくなっていた。ジゼルが久しぶりに帰ってきた感慨に耽っている間に、彼は姿を消していたのだ。ジゼルは瞬きを一つしたものの、自身も屋敷を目指して再び進み始めるのだった。


 ジゼルが引き取られたリドガー家には六人の子供がいた。兄弟が二人、姉妹が四人である。それはそれは賑やかであったが、現在は三人の娘が嫁いでいったので、屋敷に残っているのは長男と次男、それから末の妹だけだ。ジゼルは末子より二つ年上だった。


「ただいま帰りました」


 ジゼルが屋敷の玄関をくぐると、まず伯母が出迎えにやって来てくれた。


「お帰りなさい。ジゼル。さあさあ、疲れたでしょう。まずはお部屋で寛ぎなさいな。あとでメイドにお茶を持っていかせるわ」

「はい。伯母様。ありがとうございます」


 私室へ向かう途中で兄達ともすれ違い、おかえりの言葉をかけてもらった。今回の遠征では二ヶ月ほど屋敷を留守にしていたが、特に変わりないようだ。

 彼女の私室も出発した日と変わっていなかった。整理整頓がされ、塵ひとつ落ちていない。ありがたい事だった。ジゼルは部屋着に着替えるとすぐ、寝台で横になった。まともな寝床に横たわることができるのは、帰ってきた時だけだ。どこでも眠れる訓練をしても、やはり私室の寝台に勝るものは無かった。ジゼルは考え事をする間もなく、眠りに落ちていくのであった。


 ジゼルの休暇の過ごし方は決まっている。帰ったその日はひたすら眠り、次の日からは屋敷でのんびりする。体が鈍らないよう適度に鍛錬を挟むが、好き好んで外出はしない。彼女は物欲が希薄で、何かを買い求めに行くことがないのが、理由の一つではある。しかし一番大きな理由は、ジゼルが戻ってきている事を知った親友が訪ねに来てくれるからだ。

 アリシアは屋敷の人間への挨拶もそこそこに、ジゼルの私室へ飛び込んできた。ノックする時間さえ惜しいだろうと知っているジゼルは、あらかじめ部屋の扉を開けておいた。


「ジゼル!」

「アリシア」


 走ってきた勢いのまま、アリシアは親友に抱きつく。赤みの強い褐色の髪はアリシアの特徴だ。ちょっと強めの抱擁を難なく受け止めたジゼルは、優しい微笑を浮かべていた。


「無事ね?怪我は無い?手と足はちゃんとくっついてる?ああ良かった」


 アリシアは返事を待たず、ジゼルの顔や両手足を確認し、大きな怪我が無いことに胸を撫で下ろすのだった。


「また色々聞かせてちょうだいね。ほら、お茶菓子もたくさん持ってきたわ」

「ありがとう」


 再会の抱擁をした後は、互いの報告会という名のお喋りが延々と続く。喋るのはもっぱらアリシアとはいえ、ジゼルもこの時ばかりはいつになく口数が増える。


「今回は北東へ行ったのよね。こっちとはやっぱり全然違う?」

「そうね。野生動物を見かけることが多かったわ」

「この辺りは街だものね。もしかしてその動物達って…狩って食べるの?」

「そういう時もあるわ」

「捌いてるところ、見ていられる?私は無理だわ。絶対無理。捌くのを見た後で食べるのが一番無理ね」

「意外に平気よ?」

「本当!?」


 血生臭い戦場の話であっても、アリシアとのお喋りは辛気臭いものにならない。けれどアリシアが最後に必ず口にする台詞を聞くと、ジゼルは胸が締め付けられるのだった。


「…ねぇ、ジゼル。もういいのよ、戦争になんか行かなくたって」


 もう行かなくていい、と。アリシアはいつも引き止めてくるのだ。


「あの日、取り乱した私のためだって知ってるわ。だからこそ、もう行かなくていいの。私もフィンレーも成長したし、いざという時の覚悟もできてる。あなたを犠牲にしてまで、守ってくれなくていいのよ」

「……」

「分かってよ…あなたが出立するたびに辛くなるの。私のせいだって自分を責めずにはいられない」


 それは違うと、ジゼルは何度も伝えてきた。親友のためであって、親友のせいでは決してない。

 ジゼルとて最初から兵士を目指した訳ではなかった。敵だとしても同じ人間を殺したいとは思わないし、第一に女兵士は不利なことが多すぎる。体格的な不利はもちろんのこと、国の制度では女兵士に高い階級が与えられることは無い。要するにどれだけ手柄を立てても、女が出世することは永遠に無いのである。

 だからジゼルも当初は軍医か従軍看護師を目指そうとしたのだ。でも手先が不器用だったうえに、勉強もあまりできなかったから断念せざるをえなかった。たまたま弓を持って戦うことが得意だと判明したから、そうしたまでだ。アリシアが自責の念に駆られる必要はない。


「…まだ武器を置くことはできないわ」


 ジゼルの返事は毎度同じだった。

 アリシアは説得を諦めた訳ではないが、親友が断り文句を言うことは分かっていたので、それ以上は食い下がらなかった。


「はあ……そう言われると思ったわ。もう!変なところで頑固なんだから」

「アリシアの結婚式を見届けるまで戦うって決めたんだもの。半端なところで投げ出したくないわ」

「じゃああなたが安心して引退できるように、日取りを早めなくちゃ」

「フィンレーには会えた?」

「ええ。おかげさまで」


 アリシアは少し皮肉を込めて返した。というのもアリシアは、親友が遠慮して一番に会いに来ないのを不満に感じていたのだ。最初に顔を見せるのは婚約者であるフィンレーであるべき、というジゼルの気遣いは、肝心の本人にとって要らぬ世話らしかった。


「ジゼルのこと、褒めてたわよ」

「役に立てているなら良かったわ」

「説教より先にお礼を言わなきゃね。彼のこと、守ってくれてありがとう」


 ジゼルの両手が、親友の柔らかな手に包まれた。たとえ怪我はなくても、ジゼルの手には固い胼胝や消えない傷跡がある。お世辞にも綺麗とは言えない手になってしまった。だが親友の「守ってくれてありがとう」のひと言だけで、ジゼルは己の手が誇らしく思えるのだ。

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