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ジゼル達が暮らすアザン国の西側には山脈が聳え立っている。登頂できた者は未だ存在しない大きな山脈だが、巨大な要塞ともなっていた。
よってアザン国が警戒すべきは東側である。東側には隣国との国境線が縦断しているのだ。縦に長い国境のどこからでも、攻め入られる可能性があった。
今回、ジゼル達が参戦したのは北東部の戦場である。攻撃してきたのは隣国のニフタ国。元々、その辺りは別の国が在ったのだが、五年前にニフタ国の侵攻を受け、吸収された。
アザン国も亡国の憂き目に遭うかもしれない、そんな危機感を背負いながらジゼル達は戦っている。とはいえ戦況は終始、アザン国が有利に進んでいた。このままいけば、進軍してきたニフタ国を押し返せるだろう。
今夜の野営では早くも祝杯を挙げる隊員達がいた。気が早いと嗜める仲間の顔も笑っている。
「生きて帰れたら自分…っ!故郷の恋人に結婚を申し込みます!」
「ちょっ、やめろってお前!そういう台詞を吐くと死ぬって言うぜ?」
「ははは!良いじゃないか、どうせ迷信だ!」
「よく言った若いの!頑張れよ!」
賑やかな声を聞いているうちに、ジゼルの唇にも微笑が浮かんでいた。彼女の隣に座るロルフは酒より飯らしく、先程からずっと何かを頬張っている。
「明後日には帰れるかしら」
「明日で終わるだろ」
行儀悪く食べながら喋る彼だが、注意する者はいなかった。それだけ皆、浮かれているのだ。ただしジゼルは浮かれていなくても、彼の行儀についてこれまで一度も言及したことが無い。
「アンタは家に帰るのか」
「ええ。のんびり過ごすつもりよ」
「アンタがのんびりしてんのはいつもだろ」
「そんなことはないと思うけれど…あなたはどうするの?」
「行きつけの酒場で、しこたま食って飲む。戻ったら報酬が出るしな」
「楽しそうね」
宵越しの金は持たないロルフらしい過ごし方だと思った。ジゼルは小さな笑みこぼす。
兵士達は派遣された戦場で決着がつけば、一時帰還を許される。途中で援軍要請がかかったら別の戦場へ急ぐが、今のところ交戦しているのはここ、北東地域だけだ。そしてロルフの見立て通りなら、明日には勝敗が決するだろう。
翌日。空が明らみ始める頃、ジゼルは自然に目を覚ました。軍の中に女の兵士はジゼルしかいないため、天幕の一つは彼女専用となっている。初めはそれだけで反感を買ったものだ。
しんとする天幕の中でジゼルは隊服を整え、防具を着ける。最後の仕上げとして銀色の髪を一括りにすれば、彼女はひとりの立派な戦士へと変わる。立て掛けてあった弓と矢を持ち、天幕の外へ出ると丁度、集合の号令がかかるのだった。
「バルビール隊!整列!」
ジゼルは隊長であるフィンレーの横に立つ。今日も一日彼を守り通し、無事に親友の元へ帰すのだ。
「ジゼル」
「どうしたの?フィンレー」
不意に彼から名を呼ばれた。ジゼルが見遣ると、彼は優しげに笑っていた。
「いつも君には助けられている。ありがとう」
フィンレーがジゼルと知り合ってから長年、幼馴染として交流があった。だがしかし、その幼馴染がまさか頼もしい戦友に変わるなんて、いったい誰が想像できたか。己の婚約者に比べて大人しい性格のジゼルが兵士になると知った時、強く反対した日々が遠い昔のように思えてくるから可笑しい。
「お礼の言葉はまだ受け取れないわ。二人の結婚式を見届けるまではね」
「フッ、そうだったな」
二人の結婚式が楽しみ、というのはジゼルの口癖みたいなものだった。結婚式は幸福の象徴であるし、とりわけ女にとっては特別な日だ。ともすれば主役の親友よりもジゼルのほうが、期待に胸を膨らませていた。
意外性にはつくづく驚かされたものの、ゆっくりした話し方や、親友のために頑張るところなどは、フィンレーが知る幼馴染そのものだった。
「さて。手堅く終わらせて、家に帰ろうか」
「援護は任せて」
「君も怪我の無いように」
「ありがとう」
ジゼルとフィンレーは見目の良い男女であるゆえ、変な勘繰りをする人間もいた。しかし二人の間にそういう甘い空気は無い。二人はあくまでも幼馴染で戦友なだけなのである。