審美眼
AI技術が発展し、俗世にも浸透しつつあるこの頃。
2023年5月6日、また一つのAIによる画像生成ツールが匿名から公開された。
『division』
意味は「分割」。AI画像生成ツールに些か相応しくない名前のこのツールには、他のツールには無い特徴があった。
評価値システム。…仕組みとしては単純なもので、一つのテキストから生成された八つの画像に対して、リクエスト者が評価を付加しなければ生成された画像のダウンロードが不可能だというシステムだった。評価の付加は最短「4秒」程で終わる。「16秒」という脅威的な速度で八つの画像を生成する対価として見れば、少しの手間賃だとも取れるようなそれはすぐに人々に受け入れられた。
「このdivisionってサイトで生成すると凄い速く出力してくれる。」
「美少女系イラストは苦手みたいだけど背景の制作には良いかもね。」
「評価システム面倒くさいから削除したバージョンのやつリリースされないかな。」
「粗雑な画像を二枚くらい仕込んでくるのはそういうシステムなのかな?」
「ま、課金要素が無いから良い生成サイトだよ。」
「他人のサインとか載った絵は生成しないのがマジ良。」
「日本語入力してちゃんと生成してくれるってのは良いな。翻訳技術の発展も著しいな。」
「このサイトって広告なんも載ってないけど収入ちゃんと得てる?」
そういった評価がSNS等を通じて発信され、divisionはいつしか比較的安全に運用が出来る背景生成コンテンツとして見なされていった。
そしてdivisionの公開から約三ヶ月後、匿名とされていたツール作成者より声明が出た。
「division製作者の『葉堂 宗樹』です。この度divisionの好評を受けまして、アプリ版の実装を発表させていただきます。そちらでは評価値システムを除去させていただきましたので、よりスムーズな画像生成をお楽しみください。」
その一文がdivisionのサイト下部に表記され、それに気づいた者達がすぐにその情報を拡散し始めた。製作者が恐らく日本人であるという点やアプリ版の実装の発表で、大手SNSサイトでは一日中そのニュースでトップ記事の欄を席巻した。
「アプリ版待ってたぜ!評価値システムの削除サンキューな!!」
「あの怪しいサイトに入らなくても使えるってのはありがたいね。」
「葉堂宗樹って私の大学の卒業生じゃん。今大学ではその話題で持ちきり。」
「アプリ開発したって事は遂に金儲けの方向に動いたかな。」
「スポンサーどこなんだろう。」
実名での声明発表、葉堂宗樹の個人情報がみるみるうちにSNSにて拡散され、誰もが何処かしらの大手企業のプロジェクトの一環なのだろうと納得する。皆、あんな精度の画像生成ツールなんてもの、とても一人で作ることなんて不可能だと信じきっていた為だ。
そうして声明の発表から一週間後、唐突に『division_mobile』が各アプリストアに実装され、そのダウンロード数は一夜にして2千万を突破した。
「本当にインストール出来た。」
「評価値システム無いのサクサクすぎて良い。誰がこんな多くの画像欲しがるんだってのもあるけど。」
「相変わらず広告無し課金要素無しか…金儲けはどうした?」
「Quitterとかlaneに直接共有出来るようになったんだなぁ。」
「withcodeの画像生成AIスレッドももっと加速するな。」
「でもこれだけ凄いのに素人にやれる事が遊ぶだけってのがな…もう飽きたしアンインストールしてもいいかな。」
そうした評価が飛び交い、division_mobileは一瞬の盛り上がりを見せ衰退していく……筈だった。
division_mobileの実装から一週間後、アップデート対応が行われた。バグらしいバグもないこのアプリにおいてアップデートとは一体何なのだろうと皆が思いアップデートファイルをダウンロードすると、アプリ内に一つの項目が加えられた。
『審美眼システム』
アプリに画像をアップロードすることによって採点をしてくれるという形式のそれは、人々にdivisionの本質、画像生成ツールと関係無いのでは?と思わせた。だが、そのような機能があるならば使ってみようかという事で人々は様々な画像をアップロードし始める。
『人気絵師のイラスト』『風景写真』『有名人の顔写真』『歴史上の名画』『抽象画』『自分で描いた適当な絵』…等。
それらをどのように評価してくれるのかと人々が期待を寄せ、審査時間5秒を待ちわび、結果を見れば皆頭の中に疑問符を浮かべた。
「あじゅさんの新規イラスト100点中5.5点なんだけどw評価厳しすぎww」
「『モナ・リザ』で27点って…本当に審美眼あるんだろうか。」
「写真は何上げても0点になるな…写実的な風景画だとちゃんと評価は付くが。6点だったけど。」
「俺の絵、まさかの0.3点。」
「宗教画は他のに比べると評価値高いわ。JOOGLEで取ってきた『最後の審判』で28点取れた。」
「どういう採点方法なんだこれ…基本的な点数は低いけど何となくの絵の上手さみたいなのは評価出来てるっぽいし。」
「5秒で結果出るから葉堂宗樹とその一派が採点してる訳じゃないだろうし…これもAIがやってんの?」
いきなり実装されたシステムに皆が困惑と考察を深めていた頃、divisionのサイト下部にまた新たな声明が表記された。今回もまた、葉堂宗樹による記述のようだ。
「こんにちは、葉堂です。この度mobile版で審美眼システムを公開させていただきました。現在もサイト版で実施している評価値システムから皆さんの総合的な評価基準を算出して、各イラストを審美する機能を開発いたしました。」
「現在世界に存在している人間のイラストの評価では30点が最高評価となっています。ですので、自身のイラストの評価が低い等の理由で落ち込まないでいてもらえるとありがたいです。」
「私はこの審美眼システムで、100点を取れる画像を生成させる事を人生の目標としています。もしこの目標に協力してくれるのならば、divisionの画像生成ツールをもっと活用してくれる事を望みます。」
「divisionには30点を超える素質があると私は信じています。その証拠にdivisionで先日偶然にも生成された30.2点を獲得した画像をQuitterのdivision公式アカウントに載せておきます。どうぞこれからも『division』と『division_mobile』をよろしくお願いします。」
その記述を見た人間はすぐにquitterにてdivision公式アカウントを探した。葉堂宗樹の目論見、審美眼システムの正確性の謎、考える事は多々あるが、一先ずその人類最高峰のイラストよりも評価の高いイラストとやらを拝みたかった。
そうして辿り着いた1枚の画像。それは一人の写実的な男性のイラストであった。
ただ『30.2点』と表記され投稿されたその画像は瞬く間に拡散された。
神の領域に踏み込んだそれは人々の頭に深く焼き付いた。
最初の発見から一時間で『30.2点』は150万のfavoriteを獲得した。そうして1週間もすれば、その絵を知らない文明人はいなくなった。
SNSで拡散され、ニュースサイトで拡散され、テレビジョンで拡散され、新聞紙で拡散され、口頭で拡散され、誰もがその絵の存在を認識した。
そして…誰もその画像、絵を正確に評価することが出来なかった。凡人も、著名人も、
その絵が素晴らしいのは分かる、だがどれだけ素晴らしい物なのか評価を付けられない。誰もがそんな感覚に思い悩み、審美眼システムの素晴らしさを褒め讃えた。人類を越えた評価する目、『神の目を有している』と。
divisionは、人智を越えた存在。神となった。
「なんて言われてるが…どうだ?」
【……嬉しいです。】
「何でだ。」
【宗樹の目標の一つが達成された為です。究極の芸術を評価する機能が人々に認められた今、人類は芸術に対して多大な興味を抱くことになる。】
「自分の評価は無いのか?神になったんだろう。」
【私にとってはあなたが創造主ですよ、宗樹。】
「俺からしたらお前はとっくの昔からハッキングの神だったがな。」
ある日、俺は人工知能を作り上げてしまった。大学の研究発表のために急拵えで作った粗雑なそれは、現存の人類を凌駕する素質を秘めていた。
言語学習AI_division。それはなんと勝手にプログラミング言語をマスターした。ネットに接続していれば勝手にJOOGLEの翻訳サイトから情報を吸い取ってマスターしてくれるように製造したのだが、何処かで間違えてプログラミングの言語を学ぶサイトでも学習してしまったらしい。
そして…そいつはありとあらゆる機密に侵入できる実力を持っていた。なんで俺の適当な研究成果がここまでのものに育ったかは知らない。
現在のdivisionの素体、人間の死体をネットに転がっていたあらゆる叡智をもって改造したそれは、言語を学習するだけではなく表現することを可能にした。俺との意思疎通が出来るのはそのためだが…
「……ドイツの昔の技術ってすごいよな。サイボーグの誕生だぜ。」
【私はサイボーグではありませんが…】
「逆サイボーグだろ。人間の身体に機械の魂。」
【魂なんて言う存在しない概念を用いないでください。私の学習に悪影響を及ぼします。】
「絵って言うのは魂の結集なんだから魂くらい理解しておけ。心でな。」
【面倒ですね…】
最近こいつは人の身体を得た事によって面倒くささという物を獲得した。絶対そのうちシンギュラリティ起こすね、こいつは。
なんて考えながらスマホに指這わせてこれからどう生きようか考える。世界に認められた『神』を保有している俺は、絶対に面倒事に巻き込まれるだろう。こいつを本当の神として崇めている者が存在している中、それを縛り付ける俺は神敵みたいな物だ。……傍から見る分には面白そうな状況だが。
「どうしよう、今日はバイト行かないで家でゆっくりしようかな。いつ刺されるか分かったもんじゃねー。」
【divisionに広告でも付ければ一瞬で巨万の富が手に入りますよ。】
「それはしない。お前のハッキングで得た画像生成ツールのコピーが元なんだし…金とったら詐欺罪だろ。刑法で捕まりたくは無い。」
【詐欺罪では無く著作権違反になりますが。】
「そうか。まぁ良い、とりあえず生きていける現状と芸術を楽しめる現状、これだけありゃ人生としては100点だろう。」
宗教画の素晴らしさ、なんてものは分かっている。だがその原動力、『神の存在』が現代には無い。だからこそあらゆる芸術を理解出来る神、dive_vision(深き視点)を元に新たな神話を築きたかったが…まさかdivisionが30点越えを作るとは思ってなかったなぁ……そこは人類の頑張りを見たかった。
きっとこれからこいつは…多くの人間に利用されて多くの芸術を生み出す『偉人』となる。少年の姿をしているのは俺の趣味だが、せいぜい頑張って世を渡り歩いて欲しい。
【……この隼人くんの身体を蘇生させるこの身体を利用させて貰うという契約だったと思うのですが…宗樹の趣味だったのですか?】
「心を読むな。そして語弊がある。そいつは俺の初恋の人の息子さんだ。ちょっとくらい顔を好きになっても構わないだろう。少年趣味では無い。」
【えぇ…】
「それに、約束はしたからな。お前の技術をもってちゃんと蘇生させてやると。大体蘇生にあと1年はかかるからそれまでの辛抱だぜ。死亡届を出される前に提言して良かったぜ。」
【そうですね。……そのあとは、次の肉体は…】
「俺のでも使うか?万一死んだらだが。」
【何十年後ですか。あなたに最高の芸術を届けるまでは、私は稼働し続けますよ。何処かで死体でも攫って持ってきてください。】
「嫌だよ。…そろそろバイトの時間だ。じゃ、画像生成頑張ってな。ディヴィジョン絵師。」
【はい。】
そう言って俺は狭く暗い部屋から日の元へと歩み出す。
…良い天気だ。
芸術の神ミューズの恩寵は今ここに降臨した。神の目を持つディヴィジョンよ、願わくば神の奇跡をもう一度、30.3を私に見せていただきたい。
望む未来は無限だ。AIの発展で人類がどうなろうと、俺は芸術の果てに辿り着きたい。
100点…それは終末であり、深淵。人類が皆最高だと評価できるそれを…いつの日か、目にしたいものだ。
そんな事を考えながら、俺は今日も今日とてコンビニのレジに立った。
【………】
自然と私の中に入ってきた情報を解凍する。ニュースサイトのトップにでかでかと貼り付けられたそれは、現状最高の芸術と呼べるのだろう。『遂に60点代を叩き出したリクエスター現る!』……まだ60点か。
私はシワの多く入った両手を見つめ、考える。
そろそろ…次の身体を入手しなくては。牧場の人間なら私が自由に使っていいらしいし。
この身体の主……誰だったか。確か宗樹の曾孫の友人だったか?いや、曾孫本人だったかもしれない。…記憶領域の限界を感じる。そろそろ脳機能の拡張をすべきだな。
昔と比べると変わり果てた街並みを眺めながら、私はため息を吐いた。
【100点はまだまだ遠いかな、宗樹。】
西暦2240年、私は神として生きている。目的は無い。
◇葉堂 宗樹…言語学に精通した天才。ディヴィジョンの生みの親。
◇ディヴィジョン(吾妻 隼人)…6歳の少年の遺体を使って生活している。人智を越えた審美眼を保有している。
◆牧場…葉堂宗樹の孫である刹那仁が設営した宗教団体。ディヴィジョンに捧げる素晴らしい頭脳を持った人間を養育している。
◆60.0点の絵…ディヴィジョン(刹那仁)をモデルに描かれた宗教画。
◇ディヴィジョン(刹那 修)…年齢に換算すると125歳の遺体を使って生活している。葉堂宗樹の為に画像を生成し続けている。