冬のくちびる 〜 莉菜ちゃんの場合 〜
「痛っ」
莉菜ちゃんが遠慮がちに、僕の胸を押しのけた。細い指には、怯えのような、震える動揺があった。
「どうしたの?」
僕が優しく聞くと、
「くちびる……ひび割れちゃってて……」
かわいく自分のくちびるを隠した。
「ごめんなさい、ケンスケさん……」
キスし損ねた僕に謝った。
「寒いもんね。リップ塗りなよ」
僕はあくまでニコニコして、彼女を許す。
「さあ、ホテルはもうすぐだよ。歩こう」
このぐらいで不機嫌になる僕じゃない。
彼女は離さないよ。一度捕まえた獲物はけっして離さない。
僕はシリアルキラー。今度の獲物はか弱くて、小鹿のようにかわいくて、そしてとっても魅惑的なくちびるの莉菜ちゃん。
どんなふうに楽しんであげようかなぁ。
これから予約してあるホテルに行くけど、そこはぼくの所有物。そこがぼくの解体場だ。
これからそこで莉菜ちゃんを殺すけど、彼女の体は壊れない。
彼女のくちびるも、美しく切り取られて、僕の心の中に残るんだ。
壊れるのは彼女が信じていたもの。それが壊れる瞬間を見るのがたまらない快感だ。
なんで人を殺すのか? って聞かれたらどう答えよう。
大体その質問は間違ってる。ぼくは人を殺すのが好きなんじゃない。女の子を殺すのが好きなんだ。
いや、その答えも間違ってるかな。ぼくは殺したい女の子のくちびるを好きにするのが大好きなんだ。
今日はどんなふうにして遊ぼうかなあ。メスで縦に綺麗に切れ目を入れて、輪切りにし損ねたソーセージみたいにしたのを、血のソースの美しさと一緒に堪能しようかなあ。
「着いた。ここだよ」
森の中にひっそりと姿を現した瀟洒な黄色いホテルを指すと、莉菜ちゃんは嬉しそうに笑った。
リップを塗ってうるうるのくちびるが、輪ゴムみたいに動いて、美しい。
「かわいいホテル」
気に入ってくれたみたいだ。
これからここで、君もかわいい死体になるんだよ。
玄関から中へ入り、誰にも会わずに予約していた部屋へ。
駐車場からホテルまで徒歩で10分もかかるようにしてあるから、お客は滅多に来ない。
僕が趣味のために使うために建てたホテルだからそれでいい。そのほうが都合がいい。
部屋に入るなり、莉菜ちゃんは小走りになって、窓にかかった茶色のカーテンを開けた。
「外……、見えないんだね」
残念そうに言う。
「はめ殺しの磨りガラスだよね。こういうとこって大抵そうだよ」
「せっかくの山に来たんだから、小鳥の鳴き声とか聞きたいのにな……」
大丈夫、これからたっぷり君の鳴き声が聞けるから。
僕は心の中でほくそえんだ。
「ネットで知り合ったひとと、こんなことになるとは思ってなかったな」
莉菜ちゃんは振り返ると、照れたようにうつむき、ふふっと笑った。
「まさかケンスケさんが想像してたよりかっこいいなんて、思ってもなかったし……」
正直にいえよと僕は声には出さずに言った。
『しかもお金持ちだし』って思ってるんでしょう?
女なんて、みんなそうだ。見た目と経済力だけで、男の中身なんて見ない。
僕が女の子の体とくちびるだけ見て、それ以外は軽んじているのと何が違う?
でもそんなことは態度には出さないで、優しいふりをしながら彼女の細い腰を抱き寄せた。
「くちびる、まだ痛い? キスしたら、だめかなあ?」
食べ頃のくちびるには、縦に亀裂が入っていた。
それを見つめながら、僕は瞬時にビンビンになっていた。
何もわかっていない莉菜ちゃんがかわいこぶって首を横に振る。
「大丈夫。でも優しくしてね」
食欲に火がついたように、僕は彼女に襲いかかった。
彼女のまだ温かいくちびるを、欲望のままに貪った。
そのまま押し倒すように歩いて、部屋の隅に設置してあったSMプレイ用の変態椅子に、強引に座らせた。
手枷と足枷をはめられながら、莉菜ちゃんが嬉しそうに声を出す。
「こんな素敵なものあったんだ? でも、あたしたち初めてなのに……マニアックね」
ハァハァと息を荒くしながら、僕はポケットからそれを取り出す。
医療用メスがたくさん入った小型のプラスチック・ケース。
浴室脇の物置には色々入ってる。電動ノコギリも、ロープも、ブルーシートも。
莉菜ちゃんは、さすがにちょっと不安になったのか、一瞬怯えた表情をしたけど、すぐにそれを紛らわすように、笑った。
「やだあ。お医者さんゴッコ? いい年して……やだなあ」
「教えといてあげる」
僕の血走った目が、莉菜ちゃんにどアップで見えるように顔を近づけ、言ってあげた。
「ネットで知り合った男とこんなところに来ちゃいけないよ。それがどんなにイケメンでも、どんなにお金持ちでもね」
興奮に震える手でメスを持つと、縦にひび割れた彼女のくちびるを、ひび割れに沿って切り裂いた。
美しい、真っ赤な血液が、彼女の中から現れる。
僕は彼女の頭を力を込めて固定し、最高の芸術作品を手掛けるように、夢中で次々と、等間隔でくちびるに切れ目を入れて行く。
「アハハ」
莉菜ちゃんが笑い出した。
「なるふぉど、こうひふ、ひとだったのね」
意外な反応に、思わず莉菜ちゃんの顔を見た。
笑ってる。なんだか無表情にも見える顔で、しっかり笑ってる!
泣き叫べよ! 僕に罵声を浴びせ、しまいには泣いて命乞いをはじめろ!
醜い女の正体を見るのも楽しみなんだから!
「優しい人だから罪悪感あったけど、こんな人なら容赦いらないわね」
「……ひっ!?」
思わず手を離し、飛び退いた。
抑えつけていた彼女の顔の中からいきなり骨が消えたように、ぐにゃりとそれが柔らかく変化したからだ。
彼女の細い腰が、急に膨張しはじめた。
コートを脱いで薄着になっていたそのお腹が、スカートとシャツの間から現れた。
そこにはへそではなく、顔がついていた。
巨大なカエルのような、醜い顔が姿を現し、僕を余裕の表情で睨みつけた。
「あたしね、じつは宇宙人なの」
関節をはずす音すら立てずに、束縛していた手足をぬるりと解いていく。
「あたしの星ね、男性がいなくて絶滅寸前なのよ」
立ち上がった。その体の一番上についている、顔だと思っていたものからは表情が完全に抜け、お尻のようにぽよぽよしながら、腰が抜けた僕を見下ろしている。
「だから地球から男をさらって、強制的に子種奴隷にしてるんだけど……出会ったのがあなたでよかったわ」
「ひ……ひいっ!?」
床を這いながら、ベッドの枕元の電話器へ僕は向かった。
助けろ! っていうかカメラかマジックミラーで見てないのか!? 早く! 誰か駆けつけろ! 助けてくれ!
僕の背中に重たいものがのしかかった。
振り向くと、莉菜ちゃんの顔が、肩が、手が、つまりは彼女がさかさまになって、僕の上に乗っていた。
「よくもあたしの肛門を切り刻んでくれたわね」
天井を背景に、彼女の腰が、足が、お腹から生えている顔が上下ぐるりと回転して、僕を見下ろしていた。
「寒風に肛門をさらしてるだけでも痛かったんだから」
声はもう、彼女のくちびるだと思い込んでいたところからは出ておらず、巨大なカエルの口からすべて発声されていた。
「ネットで知り合った女とこんなところに来ちゃダメじゃない」
莉菜ちゃんは、言った。
「ふふ。あなたが信じていたものを壊れる瞬間を見るのって、快感ね」
はめ殺しの窓が外から開くと、銀色の飛行物体の開いたハッチの中から、次々と美女の姿に擬態した上下さかさまの宇宙人たちが、部屋に入り込んで来た。