夜の海の吸血鬼
大嫌い。
私は囁くように呟いた。風の唸る夜だった。肩までに揃えた髪が乱れ、飛ばされた砂粒が頬を打つ。私は灰を握り締めた手を胸に引き寄せた。渚に打ち寄せる波が、もう目前まで迫っていた。
*
五十年前、あの春の日も風がきつかった。忘れもしない、祖母の葬儀の夜。
祖母は親代わりとして私を育て、貧しい中でも女学校まで通わせてくれた。快活な、よく働く人だった。いつも皺だらけの顔を更にくしゃくしゃにして、お日様のような笑みを放っていた。
昨晩までは元気にしていたのに、翌朝起こしに行くと布団の中で冷たくなっていた。火葬を終え、焼かれた白い骨を見ても、祖母がもうどこにもないことが信じられなかった。
深夜、私は骨壺を抱え、祖母と二人で過ごした家を飛び出した。
セーラー服の胸元に、丸みを帯びた骨壺を抱き込んで、潮騒が聞こえる方へ砂浜を行く。
波打ち際に立つと、岬からの灯台の明かりが見えた。ちらちらと目に煩わしい光から目を背け、私は潮の香りを吸い込んだ。
「──っ!」
骨壺の中身を寄せる波にぶちまける。こんなもの、祖母じゃない。あの明るい笑顔が、優しい抱擁が、こんなちっぽけな骨のわけない。
空になった骨壺を砂浜に叩きつけ、足で踏み砕く。割れた白磁の感触が、足の裏に嫌な痺れを残した。
波がくるぶしまでを濡らす。眼前の茫洋とした海の暗さに心が飲み込まれてしまいそうだった。
そのとき、すぐ傍で誰かの気配がした。恐怖に後ずさると、月光に浮かびあがったのは重たい雰囲気をまとった壮年の男だった。
黒い癖毛、鷲鼻と厚い唇、そして赤い瞳が暗闇に煌々と光っていた。
──こいつは果たして、人間だろうか?
訝しんだ私の横で男は膝を折り、武骨な手で割れた骨壺を拾い始めた。
「そんなもの、集めなくていいわよ!」
「大事なものじゃないのか」
「うるさい!」
破片を握る男の手をはたいた。尖った破片の先が肌を裂き、指先が熱くなる。
すると私の手を男が掴み、血の溢れる指先を口に含んだ。
──え?
生ぬるい粘膜の感触に心臓が跳ね、怯えて手を引っ込めると男は言った。
「僕は、吸血鬼なんだ」
血のように赤い、二つの光が私を見つめていた。
「……あの、人の血を飲む?」
「そう」
「不老不死の?」
「日光に焼かれたり、心臓に杭を打ち込まれたりしない限りは」
永遠に死なない命。それは甘い毒のように、私の脳を締め付けた。
骨壺の破片を掴み、きつく握り込むと、鋭い痛みと共に鮮血が溢れる。私は血濡れた手を、男に向けて突き出した。
「血を飲ませてあげるから、私も吸血鬼にして」
あんなに呆気なく骨壺に収まった祖母の遺骨。そこには祖母の人生も人格もなく、ただ厳然たる死しかなかった。それが、凍えるほど恐ろしかった。
男は上着のポケットからハンカチを取り出し、私の手に巻いた。そして、破片で自分の手のひらを一文字に切りつけ、血の滴る手を私に差し出した。
「飲めば、もう人としては生きていけないぞ」
「死ぬことに比べれば、怖くないわ」
舌で男の血を舐め取ると、鉄の味が口内に広がる。動悸がして、一気に全身が熱くなる。そうして、私は吸血鬼になった。十七歳の頃だった。