牛のクビ
「あのー、牛のクビですが要りますか?」
セールスマンの男が差し出したのは、牛の『クビ』であった。
私は驚いて、思わず硬直してしまった。
だって彼が手にしていたのは牛の頭部……ですらなく、太いクビを輪切りにしたであろう肉片だったからだ。
「こ、これは……何ですか?」
「牛の『クビ』です。輪切りの」
「そんなことはわかってます。何のつもりだと、そう訊いているんですよ!」
私はイライラしてセールスマンに怒鳴りつけた。
家に押しかけて来たと思ったら、すぐにこんな気味悪い物を見せられたのだ。身の毛がよだったし、何より怒りが湧いて来た。
「今の時代、失礼にも程がありますよ。気持ち悪い」
「まあまあ奥さんそんなことは言わず」
セールスマンは営業スマイルを浮かべる。
だからそれが気持ち悪いんだよ早く帰れ。
嫌がる私に構うことなく、セールスマンがペラペラと喋り出した。
「牛のクビには古い古ーい伝説がありまして、それを聞いたら奥様もきっとこれを手に入れたくなります!」
※※※
「江戸時代より戦国時代よりもっと昔、弥生時代とかの話なんですけど。
人面牛って化け物がそこらにウヨウヨおりましてですね。これは悪霊の一種と言われてるんですが、まあそいつらが人々を襲ってたわけですよ。
で、人面牛の害を収めるために討伐隊が出されたんですって。
まあ大きな被害を出したそうですが、なんとかその騒ぎは収まって、悪霊の『クビ』を取って帰って燃やすことになったんですが。
輪切りにされた『クビ』が、全然燃えない。
それを恐ろしがった人々はそれに魔除けの呪文をかけ、封印しましたとさ。
でもそれはのちに『不滅』の象徴になって、お守りとされるようになったんです。
……でまあ金持ちたちが目を血走らせて集めた『牛のクビ』ですが、それは彼らを呪い尽くしたらしく、牛のクビを喉に詰まらせて死んでいたんだとか。
そうして回収された牛のクビ、それを再び収集したのが当社でございます。
当社は、この呪いの品をきちんとした神社でお祓いし、魔除けの物として作り直してお売りしているわけです。
素敵でしょう? これさえあれば、どんな不幸も起こりゃしませんよ」
※※※
私はもちろん断った。
けれどセールスマンは、それはもう饒舌に話し続けるものだから時間が過ぎてしまい、旦那が帰って来たのだ。
「面白そうだな。買おう」
旦那は、あっさり購入してしまった。
それがその後どんな怪現象を引き起こすのか考えもせずに。
旦那は頑なな性格なので、一度決めると何を言っても意見がひっくり返らない。
私はため息を漏らすことしかできなかった。
※※※
――怪現象が始まったのはそれからまもなくだ。
旦那が、「牛のクビの夢を見るんだ」と言い出した。
人面牛が夢に現れ、クビを輪切りにされているその瞬間を目撃するのだとか。
私は呪われているのではと思い、枕の下敷きにして眠るのはやめてと言ったのだが、「お守りだから」と言って聞いてくれない。
なんだか恐ろしく、私は毎日を怯えて過ごしていた。
そんなある日、私の前にもそれがやって来る。
それは長閑な牧場だった。
牛たちが悠々と草地を歩いている。その中で一匹だけ異様な牛がいた。――人面牛だ。
思わず悲鳴を上げる私。人面牛は私に気づくと、ニヤリと笑って何かを言った。
その声は聞き取れない。しかし一つだけ、確信したことがある。
その顔は、間違いなく私の旦那だった。
※※※
ハッとして目が覚める。
全身が寝汗でびちょびちょで、まるで運動した後のように呼吸が荒い。
夢を思い出して全身がゾワリとなった。
慌てて飛び起き、旦那の方を見て――私は再び、絶叫した。
そこには旦那の顔をした人面牛が眠っていたのだから。
そして牛は私の声で目覚めると、言った。
「次ハ、オ前ダ」
あのセールスマン、絶対に呪い殺してやる。
それが私の最期の願いになっ……
――呑み込まれた。