召しませ愛を
セザがその『混じりもの』と出逢ったのは、全くの偶然だった。
いつものように父である獣王ゼノに挑み、いつものようにぶっ飛ばされーー文字通り、獣王の城からツィウェル川の辺りまで殴り飛ばされたのだ。
川辺に墜落したセザは仰向けのまま空を見上げた。千尋の森は雲一つない晴天だった。川のせせらぎや梢の葉が風に揺れる音に、耳障りな荒い息遣いが混じる。それが自分の口から発せられているのだと気づき、認めるまでに時間を要した。
獣人の身体能力、頑丈さは人間のそれとは比べものにならない。拳は岩を砕き、鍛えた肉体は鋼鉄にもまさる鎧と化す。獣王ゼノの息子であり、獅子族の獣人であるセザも例に漏れず、強かに背中を打ちつけたものの、大した怪我は負っていなかった。しばらく寝そべっていたのは、単に感傷に浸っていたためだ。
負けた。
もう何度目だ。二十を超えてから数えることをやめたが、最初に挑戦してから三ヶ月は経過しているので相当な回数になっている。だが、未だにセザは父親である獣王ゼノに勝つどころか、一撃すら喰らわせていない。いつも躱され、あるいは受け流されて強烈な反撃。もろに受けてセザはぶっ飛ばされる。その繰り返しだ。
セザは獣王ゼノの第四子として生まれた。
異母兄弟姉妹は二十人を超える。獣人で獅子族なら珍しくもないことだ。妻の質と数が夫のステータスとさえ考えられている。
親戚が多過ぎて全員は把握していない。そもそも興味もなかった。兄弟姉妹が何人いようが結局、獣王になれるのは、ただ一人なのだから。
三ヶ月前、獣王ゼノは十の誕生日を迎えたセザを呼び出して「願いはないか」と問うた。
叶う叶わないかは別として、セザの願いはただ一つ。獣王の座だ。獣人族でもっとも強い者になることを望んでいる。正直にその旨を告げると、ゼノから族長の座を提案された。
獣人族は獣王を頂点に、それぞれの部族を族長が支配している。獅子族も例に漏れず、ゼノの姉であるサラが族長として部族をまとめていた。理由は単純、サラが獅子族で最も強いとされているからだ。
実際のところは、セザがサラを凌ぐ実力を持っていると誰もが知っている。まだ成人を迎えていないがセザの成長は目覚ましく、獅子族の戦士数人が束になっても敵わないほどだ。いずれはゼノの後を継いで獣王の座につく者と将来を嘱望されている。族長となる資格はあった。成人さえ迎えたのなら。
「拳でも蹴りでもいい、私に一撃でも食らわせたのならお前を成人として認めてやる」
成人になればもっとも強いセザが必然的に獅子族の長になる。セザは二つ返事で了承し、即座にゼノ目掛けて飛びかかった。そして返り討ちにされた。
あれから早三ヶ月、セザは未だにゼノに一矢も報いていなかった。他の兄弟姉妹は年頃になるなりさっさと成人しているというのに、セザだけ子どものままだった。
さくさく、という軽やかな音が耳に入ったのは、セザがようやく起き上がった時だった。川のせせらぎに紛れて獣の気配がする。
獣王城と水門の周辺一帯は『千花の庭』と呼ばれ、獣王と側近、そして寵姫だけが立ち入りを許されている。一番可能性が高いのは寵姫か。セザは気配と物音を頼りに獣を探した。
果たして『獣』は葡萄の木々が並ぶ場所にいた。まだ実っていない葡萄の木の根本に座り込み、一心不乱に林檎をかじっていた。
狼の耳と尻尾。その子どもの正体をセザはすぐさま悟った。獣王ゼノの寵姫、紫苑が養っている『流し子』、人間と獣人の血をひく半獣。純血至上主義の獅子族からは特に蔑まれていて、獣王ゼノに『千花の庭』から半獣を追い出せと進言する者も後を絶たないとか。
視線に気づいた半獣は林檎から顔を上げた。セザの姿を認めると推しはかるように目をすがめた。一丁前に縄張り意識を持っているようだ。まだ尻尾も獣耳も引っ込められない幼獣が。
とはいえ、セザは半獣なんぞに構うほど暇ではなかった。もっと鍛錬し、獣王ゼノ一矢報いねば。
セザが素通りしようとしたその時、半獣は唸り声をあげて飛びかかってきた。セザが無造作に振るった腕の一撃をまともに喰らい、撃沈。手応えのなさにセザは驚いた。これほど弱い獣人が千尋の森に存在するのか。
気を失った半獣を放置してセザは千花の庭を後にした。わざわざトドメを刺す気も起きなかった。
それが、始まりだった。