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それからおよそひと月ほど、ニニの『売り込み』は続いた。根気よく続けられたのはひとえにセザの対応のおかげだ。言葉や態度こそ素っ気ないが、獲物を分けてくれるし話に耳を傾けてくれる。蛇族のニニにとってこれ以上ないくらいの好待遇だった。
今日も今日とてニニはセザを見つけて、とことこと寄って行った。ちょうど食事を終えたところだったようだ。食べられない骨や内臓を適当に埋めていた。
「負傷したのか?」
ニニは先日怪我した右脚を引きずっていた。少し歩き方を気をつけなくてはならない程度だ。わずかな差異をしかしセザは見逃さなかった。やはり獣王候補なだけはある。ニニはにっこり微笑んだ。
「うん? ああちょっと転んで挫いただけ」
ニニはセザの向かいに腰を下ろした。葡萄や林檎、ナツメヤシなどの果実を広げて見せる。
「いつもご馳走になってるからさ。たまにはお礼をしなきゃと思ってね」
断られるかとも思ったが、セザはナツメヤシを手に取って食べた。林檎も食べた。しかし葡萄には手をつけようとしない。
「葡萄嫌いなの?」
「嫌いじゃない。食べないと決めているだけだ」
つまり嫌いなんじゃん。ニニの内心を知ってか知らずかセザはため息をついた。
「俺が獣王の元で修行していた頃のことだ。赤熊や大鷲を狩っても弱過ぎて鍛練にならなくなっていた。ツィウェル川の周辺で岩を見つけては拳で砕き、目に留まった大木を片っ端から蹴り倒していた。そんな日々を過ごしていたら、一人の獣人と遭遇した。そいつは」
セザは口をつぐんだ。適当な言葉を探しているようだった。
「弱かった。牙も爪も未熟。素早いわけでもなく力もない。俺が今まで戦った者の中でもダントツに弱かった。千尋の森で一番弱い獣人かもしれん」
酷い言いようだ。そこまでとぼされる獣人にニニは同情した。
「だが、そいつは俺と顔を合わせるなり、毎回俺に挑んだ。生え揃わない牙を剥いて威嚇し、短い爪を立てて飛びかかった。その度に俺はそいつを殴った。毎日毎日、そいつは殴られるために俺の前に姿を現していたようなものだった」
「ばか?」
「かもしれん」
「いや、馬鹿でしょう。セザに挑むなんて、よく殺さなかったね」
自分より格上の獣人に襲いかかって敗れたのなら殺されても文句は言えない。
「でも……なんで?」
セザに挑み続けていればいずれ敵うとでも考えていたのなら本当の大馬鹿者だ。
「俺が毎日通っていた森は、そいつの縄張りだった。正確にはそいつの育ての親の、だがな」
セザ曰く、縄張り内に葡萄の木が連なっていた。その一つの根本には、弱っちい獣人の、亡くなった兄が埋められていたらしい。
セザがその事実に気づいたのは半年以上経ってからのことだ。弱っちい獣人がひた隠しにしていたから、ずっと気づかなかったのだ。
「葡萄の木から俺の意識を逸らさせるために、あいつは毎日負けるのを承知で襲いかかっていた。何か意図はあるとは思っていたが……」セザは小さく笑った「たかだか葡萄の木一本のためだったとはな。馬鹿の考えることは度し難い」
ニニは察した。それがセザが葡萄を食べない理由だと。弱っちい獣人のことを話すセザは、口調こそいつも通りだが雰囲気が和らいでいる。
「そいつだけだった。俺に真正面から挑んできた馬鹿者は」
セザはその弱っちい獣人を気に入っているのだ。意外な収穫だ。孤高で、誰にも心を許さない次期獣王候補の弱みになるかもしれない。
「根性あるね。ねえ、その獣人ってーー」
「違う」
「へ?」
「根性の問題ではなく、それがそいつの戦い方だったというだけだ」
セザはニニの方を向いた。穏やかな気配は一瞬にして消えていた。
「死んだ兄が眠る木を守るために、そいつは牙を剥いて俺を威嚇した。お前が人畜無害を装って、俺に近づいてきたのと同じように」
ニニは固まった。蛇に睨まれた蛙はきっと、こんな気持ちなのだろう。感覚が麻痺して動かない。戦慄に身を震わすなんて嘘だ。恐怖すら凍りついて、眼前に迫る死の気配に対して、本能も何も働かない。
「お前を寄越した奴に伝えろ」
ナツメヤシを口に放り込んでセザは嗤った。交戦的で獰猛な笑みは、まさに肉食獣のそれだった。
「俺を毒で殺したければ、千尋の森中の毒蛇を集めて来いとな」