警視 四条彩音
明けまして、おめでとうございます。
2022年、新年一発目の作品は四条彩音で始まります。
皆様の変わらぬご拝読を今年もよろしくお願い致します。
1
その日の六本木は見事な大雨だった。
エディ・レイモンドは土砂降りの中、走り続ける。
途中で転びそうにはなるが、何とか踏ん張り走り続ける。
「エディ!」
後ろから、白人の男数名と黒人の男数名が走って追って来る。
新型コロナウィルスが蔓延していた世の中で、外国人同士が東京のど真ん中で追って、追われての追跡劇を繰り広げているのも珍しいが、周囲がどよめく中でも、エディは走り続けていた。
ここで捕まるわけにはいかない。
奴等のやっていることは正義などではない。
エドワード・スノーデンもそうは言っていたが、まさか自分がその渦中に入るとは思えなかったが、こんな事を知ってしまっては自分は二度と祖国である、アメリカに戻ろうという気にはなれない。
唯一の心残りは妻と娘を残して、基地から出たことだが、自分は自分自身の良心に沿って行動しなければならない。
そう思いながら、走り去ろうとした時だった。
「ミスターエディ・レイモンド。お待ちしておりました」
そう言って、東洋人の男がワゴン車のドアを空ける。
エディはそこに飛び乗ると同時にワゴン車のドアが閉まり、急発進をした。
「クソ!」
白人の男が拳銃を構えようとする。
「よせ! ここは日本だ!」
そのようなやり取りを車から眺めながら、エディは一息ついた。
「頭の悪い、アメリカ人共め?」
「まぁ、あいつ等の機密情報とやらを持ち帰れるんだ? CIAや日本警察の公安部も動くだろうが、その時には我々は本国に帰還できるさ?」
目の前の二人がそう中国語で話す様子をエディは眺めていた。
中国語は大学時代に習って、かなり喋れるが、この二人は骨の髄までアメリカを敵視しているなと思えた。
「歓迎しますよ。あなたの身分は本国で保証します」
「中国語は分かるから、英語を使わなくても構わないよ」
そう言って、エディは車が元麻布の中国大使館に入るのを確認した。
「見ろよ、公安部が相変わらず、見張っているぜ?」
「おまけにウイグルの連中まで、抗議運動していやがる。大人しく俺達の統治を受ければ、恩恵を受けられるのにな? 奴等も日本人も?」
そう言って、目の前の二人は意地の悪い笑みを浮かべる。
自分のやっていることは正しいはずだ。
エディはただ、そう自分に暗示をかけるしかなかった。
2
「女子アナって焼き肉、本当に好きだよね?」
「彩音は嫌いだっけ、焼き肉?」
「私、しゃぶしゃぶ派」
六本木の高級焼き肉店で、四条彩音は大学の同級生だった日下部涼子と食事をしていた。
「子ども、見ないでいいの?」
「まぁ、ママが見てくれるからね? それに私の仕事って、夜遅い帯の番組だから、こういうド深夜じゃないと遊べないのよ?」
遊び人だなぁ?
母親である以前に自身の交友関係を優先する。
典型的な華やかな芸能界の人間だ。
彩音と涼子は東京都のミッションスクールの有名私大である青川学院大学出身で、彩音が都立高校からの一般入学で涼子は幼年部から一貫してのエレベーター組なのである。
基本的には一般サラリーマン家庭の彩音と大学病院の医師を父に持つ彩音とは生まれも育ちも違うが、何故か大学では常に一緒だった。
もっとも、進路の時は彩音は警視庁入庁を選び、彩音は都内大手キー局の明朝テレビへの就職を決めた。
華やかな世界に進んだ涼子と国家に尽くすことを選んだ彩音の進路はまたもここで別れる形になったが、二人は度々会うことは止めなかった。
その後に彩音が男社会の警察内部において、体制に従属する形で昇進を続け、今では警部として浅草署の警備課で課長業務を担っているが、涼子は三十を超えてから明朝テレビ上層部と折り合いが悪くなった。
報道志向の強い、彼女を明朝テレビ上層部は事実上、バラエティ番組へと異動させた事がプライドの高い彼女の逆鱗に触れ、結果として三十中盤で退社して、フリーになるという選択肢を彼女に選ばせた。
その後にMBTテレビでの夜のニュース番組でのメインキャスターに就任したが、私生活では結婚したものの妊娠、出産した後に旦那の不倫がバレて、即離婚。
相手が大富豪だったので、恐ろしい額の慰謝料を支払ってもらったそうだ。
一方の彩音は徹底して、組織に従順で、私生活においては結婚のけの字も出てこない独身貴族だ。
別に男との付き合いが無いわけではないが、そもそも論として、無理に結婚して、今まで築いてきたキャリアを崩したくはない。
それに自分は子どもが嫌いなのだ。
とにかく、あの響く高い声と走り回る鬱陶しさが嫌いだ。
結婚して、家庭に入って、子どもを生んで、弁当作って、ママチャリを漕いで、子どもが成長したら塾や習い事の心配して、最終的には子どもの学費に四苦八苦するなんて事を考えたら、公安部で国家の敵を叩き続ける方がはるかに自分にとっては有意義だ。
幸いなことに両親は自分の結婚には何も言わず、姉と妹の二人が結婚して、子どもがいるので、孫の心配はない。
故に結論としては、自分は一生、結婚しない。
そういうのもあるし、目の前の涼子のような失敗例を見れば、結婚する気など失せるに決まっている。
「彩音ってさぁ?」
「何?」
肉の焼ける音が店内に響き、匂いも充満する。
今の次期は新型コロナウィルスが大分、下火になっているが、それでも感染は収まっていないので、最善の注意を払っての会食だ。
それでも上層部にはしかめっ面されるだろうな?
前回の野球国際大会のテロ事件時はまだコロナ渦では無かったが、その大会時にイスラム国に感化された大学生のテロを許して、事態が大きくなったことから、当時公安外事四課係長だった自分はほとぼりが冷めるまで、小笠原諸島勤務になったのだ。
ようやく、本土に戻ってきたと思ったら、配属先が公安部ではなくて総務部の企画課の東京都公安委員会室だった。
だが、その期間中に管理職試験に合格し、それと同時に警部階級での浅草署警備課長となったのだ。
そこまでは順調だ。
通常ではノンキャリアでは四五歳で早いと言われる、警視昇進も四十歳で遂げたのだが、次は本部に戻ることになる。
警視庁ではノンキャリアで管理職試験に合格し、その一年後に警視昇進をする場合は所轄署で課長を経験するのが慣例なのだが、昇進の為には必要な事と同時に将来的な広い視野を育てる為とはいえ、本部から遠ざかっていた自分の次のポストが公安部になるかどうかが気になるのが今の彩音の心情だった。
「警視になるんだっけ?」
「えぇ、一応ね? もう四十一だから、私も順当と言えば、順当よね?」
「普通で言ったら、署長さんでしょう? ノンキャリアなのにすごいね?」
「まぁ、私は出来がいいからね?」
そう言いながら、彩音はビールに手を伸ばす。
「アナウンサーになっても、彩音は多分、いいところまで行けたよ」
涼子がそう言うと、彩音は学生時代に読者モデルに誘われて、断った記憶を思い出した。
涼子は誘いを受けて、読者モデルになっていたが、自分は学生時代から公務員になるつもりだったので、将来に支障をきたすならば、自尊心をいくら喚起されても、そういう事はしない方が無難だと思えた。
「私は原稿棒読みするよりは国家の黒幕でいたいな?」
「原稿棒読みって・・・・・・日本中のアナウンサーを敵に回すよ。和製メン・イン・ブラック?」
「まぁ、公安部って、普通に葬式屋が着てそうな黒スーツ着てるイメージだけどね? ちなみに言っておくけど、私は今、浅草署警備課長代理」
「順当だね? 警視になるんだから、今度は本部に戻るんでしょう?」
「まぁ、権力に近くなると、オジサンばかりが目立つのがこの国の弊害だけどね?」
「まぁ、そこはどこの会社でも一緒か?」
そう言った時だった。
浅草署長の岩垣だった。
「ちょっと、ごめんね?」
「いいよ」
そう言って、スマートフォンの電話に出る。
「はい、四条」
〈四条か? すまないが、明日ちょっと時間あるか?〉
「はぁ・・・・・・何か?」
〈まぁ、お前にとっては朗報かどうかは分からんが、警視昇進おめでとう。そろそろ異動の時期が来ているからな? お前の事を見定めたいと先方からの打診だ。明日、本部の十三階に迎えとのことだ〉
十三階。
つまりは公安部だ。
ついにこの時が来たか?
思わず、ガッツポーズをしたい気分になったが、そこは堪えて、声だけ無表情を装って「謹んで、お受けします」とだけ答えた。
〈ちなみに今、焼き肉食っているだろう?〉
「音で分かりますよね? ジュージュー言っていますもの?」
〈下火になっているとは言え、コロナ渦なんだからな? オリンピックの時は山梨県警の機動隊が飲酒して、民間人と口論になって、即刻全員、強制帰任の後に処分だ。お前に限っては大丈夫だろうが、警察官であるという自覚を持って、楽しむように〉
「了解です」
(それと、もうしょうがないが、ニンニクの匂いは翌日には何としても消せよ)
「えぇ、そこはご心配なく」
〈以上だ。ほどほどに楽しめよ〉
そう言って、岩垣は通話を切った。
「涼子?」
「なーにー? 栄転?」
「今回の会計は私が持つよ」
彩音は上機嫌のまま、肉を頬張り始めた。
3
翌日、ニンニクの匂いを可能な限り、徹底的に消臭しつくして、公安部のある霞が関の警視庁本庁舎十三階へと向かって行った。
「君が四条彩音か?」
オリンピック後に公安部長を拝命した、木佐貫がこちらを見定める。
「はい」
「端的に言うとね? 君のここまでの人事は将来的な視野を広げる為に一度は公安部から離した方が良いと思ってね? だが、我々、公安部としてはそろそろ君に現場復帰を願いたいのだよ?」
木佐貫は「ふふ」と笑った後にこちらを眺める。
その視線が何だか、嫌らしいな?
セクハラは警視庁入庁時から多くあったが、こいつの視線はその感覚を思い出させる。
「ジンイチ(総務部人事一課の隠語)から正式な警視拝命通達が来ると思われるが、君には今秋から公安部外事二課への異動を命じたい」
外事二課。
つまり対中国の部署か?
「君は英語だけではなく、中国語に韓国語、ロシア語が話せるマルチリンガルと聞いている。残念ながら警視庁ではそこまでの語学力を擁しているのは君ぐらいしかいない。ソトゴト(外事課の隠語)の申し子と言われている、君にはうってつけの国際捜査が出来る。ちなみに役職は管理官を予定している」
管理官か・・・・・・
まぁ、その方が偉くて、尚且つ、現場で動くことが容易になるとは思う。
それはいいのだが?
「近年、中国は国家的に力を付けている。少子化やゆとり教育の導入などで国力が落ちるという可能性があるが、我らが日本国に対する、様々なアタックには我々、警視庁も手を焼いている」
「はぁ・・・・・・」
「君の着任時には公安外事二課長の双葉警視からミッションの詳細を明かされると思うが、今回も国家の大事に至る内容だ。心して辞令を待っていてくれ」
そう言って、木佐貫は「以上だ。部署に戻れ」とだけ言った。
「失礼します」
すると、公安部長の別室前にはかつての上司であった元警視庁公安部長の野田が立っていた。
今は昇進して、副総監になったのは知っていた。
「お久しぶりです。野田副総監」
「ようやく戻って来たか? おめでとう、警視昇進」
そう言った、野田は笑顔だった。
そして、そのまま野田に誘われるまま、二人で十三階から十七階の喫茶室へと向かって行った。
「職務中ですが、よろしいのですか?」
「昼飯の時間帯だろ? 奢るよ? 俺からの餞別さ?」
そう言って、野田と共にエレベーターへと乗り込む。
ソトゴトの申し子ねぇ?
ミッションの内容が気になるが、ここ最近では六本木で外国人同士の抗争と思われる事案があったと聞いて、麻布署警備課にいる知り合いに話をそれとなく聞いたが、秘匿が原則の公安部であるから、詳細は教えてくれなかったが、まぁ、その双葉警視とやらに聞けばいいか?
そう思いながら、喫茶室に着くと、開口一番、彩音は「コーヒー」とだけ言った。
喫茶室からは相変わらず、国会議事堂を見下ろすことが出来て、爽快だった。
4
「君がソトゴトの申し子か?」
浅草署での引継ぎを終えた後の警視拝命の嬉しさに浸る間も無く、彩音は拝命後に公安外事二課の分室に向かい、課長を務める、双葉警視と向き直った。
双葉警視は神経質を絵にかいたようなタイプだった。
一応は公安外事二課長の双葉はキャリアの警視なので、階級上は彩音と同じとは言えたが、元が国家と地方公務員とで身分に違いがあるので、一応は丁重に扱う事にした。
不本意だが?
「言われて、光栄ですが、課長、ミッションの説明をお願い致します」
「謙遜しないのは噂通りか?」
そこまで、噂が立っているか?
こいつとは上手くやれるだろうか?
彩音に一瞬、不安が渦巻いた瞬間に双葉が「六日前に六本木で外国人同士の抗争が起きたと言われているが、あれは在日CIAが在日米軍のエンジニアを追跡していたそうだ」とだけ言った。
六本木という土地柄を考えれば・・・・・・
「まさか、中国大使館に逃げ込んだんですか?」
「その通りだ。さらに最悪なのはCIAが俺達、外事二課にも応援を寄越せと言って、そのエンジニアの奪還作戦に従事させられることだ」
通常であれば、アメリカ人の技術者が何らかの機密情報を持って、中国へ亡命する際はシンガポールに向かい、そのまま香港入りをするのが王道ルートだが、わざわざ、大事になるのを承知で、中国大使館に駆け込むか?
何があったのだろう?
「まぁ、在日米軍ならば、私達の国の問題でもありますが、そのエンジニアは何を持っていたんです?」
彩音が遠慮がちに聞くと、双葉は「日本国内でのスティングレイとXKEYSCOREの使用実績を知って、民主主義国家の闇とやらに勝手に絶望して、統一戦線工作部の手引きで共産主義国家に亡命を働こうとしているしているらしい」とだけ言った。
スティングレイとXKEYSCOREか・・・・・・
いわゆるアメリカが仕掛けている諜報システムで前者が携帯電話監視機器で後者が膨大なソフトで構成された技術システムのコードネームである。
XKEYSCOREは日本の防衛省も導入しているという噂は聞いたことがある。
スティングレイに至っては携帯基地局を装って、国民の携帯電話からデータを取る手法である。
この二つをアメリカからの提供を受けて、日本政府が使用していたというのは業界では有名な話なので、別に驚くことはなかった。
しかし、今回の敵は中国の統一戦線工作部か?
統一戦線工作部は中国共産党中央委員会直属の諜報機関で、中国共産党と党外との連携を担当する機関だが、海外では台湾などの祖国統一工作などを始めとする、海外での非共産党員の幹部養成、要するに二重スパイを育成して、民主主義国家で幹部として浸透させる工作なども行う、存在だ。
いきなり、ハードな機関だな?
「スティングレイとXKEYSCOREなんて、スノーデンが全部バラしたから、今更感がありますよ」
「まぁ、中国側からすれば、日本国内でその二つが使われていた事を大々的にまたフューチャーされれば、新聞やニュースを読まない層と反権力層の反米感情が高まって、自分達の思う通りに日本の世論を持って行こうとする狙いがあるんだろう? それとだな?」
双葉は神経質な顔をこちらに向ける。
「そのエンジニアはアメリカではあまり優遇されていなかったが、日本国内の米軍と自衛隊の基地の見取り図や通信で得た、暗号や極秘情報を中国側に渡していた。それがアメリカにバレて、尋問を受ける直前に中国側の手引きで逃げたらしい。だから、シンガポールに向かうにも身柄を拘束されていたところを脱走されて、中国大使館行きさ?」
「最低ですね? その尻拭いに私達も駆り出されるんですか?」
「公安外事二課と在日CIAの合同で奪還作戦を行うそうだ? 強襲作戦という性格上は特殊部隊を使いたいものだが、隠密で片付けるから、俺達が武装して、ドンパチさ?」
「中国側がどう出るか楽しみですね?」
「向こうも隠密の内に・・・・・・まぁ、それは無理だが、本国にエンジニアを送り届けたいだろう。中国側にはCIAが仕掛けた内通者がいないから、俺達、公安外事二課の情報力を頼りにしている面がある」
中国側にいるCIAの協力者はこの一〇年ほどで中国の当局に全て、処刑されたと大々的に報じられた事により、CIAは中国への情報のパイプを失ったとは聞いていたが、まさか、天下のCIAが東洋の島国のお巡りさんを頼るとはな?
近年では中国ミッションセンターをCIAは独自に立ち上げて、中国語が堪能な職員などを応募したりしているが、それは同時に二重スパイを雇う可能性もあると思えると同時にそう大々的に募集しなければならないほどに死活的にアメリカは対中国に対する人材難に喘いでいるという事が彩音には鑑みられた。
「以上だ。今、うちの班員が中国大使館前を張っているから、動きが有り次第、出動だ」
「了解です、装備は?」
「シグザウエルP220」
完全に銃撃戦を想定しているな?
「私は現場に行ってもよろしいでしょうか?」
「行きたいのか? 幹部のくせに?」
「何分、動きたい性分なので?」
それを聞いた、双葉はしばらく思案した後に「いいだろう、ただし、俺は中継車で指示を出す。君は現場要員と共に突入作戦に従事し、指揮を取れ」とだけ言った。
「ありがとうございます」
「例のISのテロでも、派手に動き回ったらしいじゃないか? 期待しているぞ?」
そういう双葉は最期まで笑わなかった。
そろばん感情を働かせたのかどうかは分からないが、自分としては現場で仕事できる機会が得られたので、万々歳だ。
そう考えると、彩音はすぐに外に出た。
「外回り行ってきます」
「情報収集か? 早いな?」
「機動力が売りなので?」
彩音がそう言うと、双葉は初めて、苦笑いを見せた。
それを確認すると同時に彩音は外に出た。
九月だというのに、気温が高いのが気に入らなかった。
5
池袋駅北口を出てすぐにあるみずき通りと平和通りにかけて存在するチャイナタウンを訪れた彩音は目当ての中国人用のスーパーを訪れた。
「店長いる?」
中国語でそう尋ねると、若い店員は驚いた様子でこちらを見上げる。
「四条か?」
店長と呼ばれた男がこちらにやって来た。
「相変わらず、良い品ぞろえね? ちょっとぶらっと話さない?」
そう言って、彩音が店を回ると、店長もその後に続く。
「お前がこの店に来るという事は本国が動いているのか?」
「元人民解放軍の士官が日本国内で中国スーパーの店主をしているのも驚きだけど、例のCIAとのドンパチは知っているでしょう?」
彩音がそう言うと、店長は汗を拭く。
「隠し事は無しよ。謝礼はあるのだから?」
「公安部は本当に金があるようだな?」
そう言った、店長はため息を吐く。
「情報局からの通達でアメリカ人の技術者を基本同士(工作責任者)は匿うようにと言われたよ」
彼の所属する機関は統一戦線工作部とは違う機関で、中国の対外諜報を担う、人民解放軍総参謀部第二部を前身とする組織だ。
習近平の軍事改革によって、総参謀部第二部は中央軍事委員会連合参謀部傘下に改変され、第二部は情報局へと移行した次第だ。
統一戦線工作部が民主主義勢力の二重スパイを運営する一方で、情報局は中国の同胞を中心とした工作を中心とした手法が主流だ。
その詳細は民間では、不明とされているが、外事二課では詳細は掴めている次第ではあった。
故に彩音も元人民解放軍軍人のこの店主に接触することも可能なのだ。
「四条、君はそんなに共産主義が憎いか?」
「聞かれたことにだけ答えればいい。あなたは協力者なんだから?」
「君が大学時代に恋人が反戦を訴える議員のドラ息子にかつての強姦罪の容疑の濡れ衣を着せられ、挙句に君を守る為に死んでしまったという話しを聞いてね? 君が警察官になり、公安部への勤務に拘る理由は恋人を事実上、殺した日本の国家体制に批判的な政治家連中や市民団体に活動家などに対する復讐が一番じゃないのかい?」
「それ、言われて、話すと思う?」
それを聞いた、店長は自嘲気味に笑う。
「どこで調べたの?」
「君の事を恨んでいる、日本の国会議員が本国に情報提供をしているらしい。気を付けろ。君はスタンドプレーが目立つから、変に目立って、現場に戻れなくなる可能性がある」
まさか、春樹のことまで、あの国は知っているか?
この国の偽善者共はつくづく、粛正しなければいけないな?
「ご忠告ありがとう。でも、いずれ、そいつ等も力づくで粛正するから余計な心配は必要ないけど?」
「君はそれでも鬼であり続けるのか?」
「さぁ? もう、子どもだった私なんて、死んでしまったんだから、知らないよ?」
まぁ、春樹の話はもう過去の事だ。
だが、そんな昔の事を恨み続けた日本の国会議員が情報提供をしている、仮想敵国である中国のスパイ活動は統一戦線工作部が二重スパイを多用する一方で、情報局を使って、留学生も含めた素人を多く多用することでも知られている。
留学生は志願制ではなく、強制的に従事させられる。
理由としては『中国人なのだから、祖国に尽くせ』の一言だ。
日本では令和のこの時代は個人の時代と言われて、久しいように思えるが、その中国の言い分を聞く限りでは全体主義を標榜する共産主義国家の言い分であるとしか彩音には思えなかった。
いくら、国が栄えても国民に自由が無い国。
国民の多くもそれを支持しているから、問題無いだろうが、民主主義国家に育った彩音には理解できない、言い分だ。
中国では『賢い物は運命に逆らわない』や『愚か者は天理に逆らって行動する』ということわざがあるという。
希望が無い。
貧富から抜け出す、より良い生活を求める、夢を追いかける為に努力することも嘲笑うのか?
運命に逆らう事の権利は民主主義国家の特権だ。
だからこそ、そのような希望を捨てた国や個人の願いや夢に尊厳を無視した共産主義国家を本質的に理解できないからこそ、彩音は公安部にいても何の疑念も抱かないのだろう。
共産主義や全体主義なんかクソくらえだ。
そんなものを許せば、先日のように涼子と行った、焼き肉すらも糾弾されてしまう。
そんな贅沢という人間に許された、幸せすらも奪うような連中が自分達の国に害をなすなら、いくらでも残酷になれる。
もっとも、日本のネットの言論などを見ていても個人の自由などとは程遠い事が起きていると思えるが、それはまた別の話だろうとは思うが、それを考えるとこの世界は矛盾だらけだ。
そんな腐った世の中で正しさなんて求めていたら、こんな仕事は出来ないのだが?
だが、私の愛した春樹という青年はそのような事とは無縁だった。
常に正しさを追求し、希望を持って、物事に取り組んでいた。
学生ながらその強さと優しさと夢を語る姿を自分は愛していた。
その甘い時間は一人のバカな学生の策略で奪い去られ、彼は自分の元に帰ることは無く、その事件以降、私は力を欲した
春樹のような強さと優しさを持った男が他人を陥れる事でしか自信と自我を保てない偽善者共に殺されない社会を作る為ならば、私は鬼になる事を選んだ。
もっとも、それは過去の話だ。
今の私はただの出世亡者でしかない。
国家体制に従順で反旗を翻す、国賊共には徹底して、冷徹であり続ける、たたき上げの国家警察官の最たる存在だ。
もう、子どもだったあの頃には戻れないさ?
「感傷に浸っているのか?」
「別に? 今度、余計な事を言ったら、あんたを本国に売り飛ばすよ?」
「分かった。以降、気を付けるよ?」
「中国政府の狙いは?」
思考が過ぎたな?
そう思いながらも彩音は店長に相対す。
「日本国内での反米意識の高揚さ? ここ数年は忘れ去られているが、日本国内で情報収集をしていたアメリカの実体を暴いて、日本の世論を動かしたいのさ? それだけ今の中国では反米意識が強い。アメリカの防波堤の日本の世論を揺さぶるのはそれだけ、意義がある」
「ちなみにいつ、空港にアメリカ人のエンジニアが来るかなんて、分からないよね?」
そう聞くと、店長は目をつむる。
「八日後だ。それまでは大使館で籠城するらしい」
「ありがとう、目当ての物買ったら、帰るから?」
それを聞いた、店長は「俺があんたに協力する理由は分かるか?」と聞いてきた。
「基本同士の元軍人でありながら、日本が好きな娘さんが中国共産党に殺されたのをきっかけに日本との二重スパイを行っているんでしょう?」
それを聞いた、店長は力なく笑う。
「俺も娘の日本好きは理解できなかったがな? 日本に留学したいとか言っていたが、大学内で強姦事件が起きてね? 容疑者は現地の共産党幹部の息子で現地の公安(中国の警察)は賄賂を渡されて、だんまりさ?」
店長はタバコを取り出す。
彩音は「別にいいよ」とだけ言うと、店主は火をつけて、吸いだす。
「俺はその幹部に口止め料を貰った後に、日本のこの店を持って、基本同士やりながら、あんた達に情報を垂れ流しているのさ? 娘への借財。いや、中国共産党への復讐だよ。これは」
彩音は豚足をカートに入れて、会計をしながら話を聞く。
すると、店内に一人のスーツ姿の男が入って来たので、彩音と店主のお互いの会話は途絶えた。
なるほど・・・・・・
この店は好きだったんだけどな?
だが、忠告とは言え、私の過去の事を思い出させたのだ。
私にそのような思いをさせたのだから、当然の報いだろう。
彩音は買い物を終えると「良い品ぞろえ、本当にこの店が好き」とだけ言って、店を出た。
「また、来てくれ」
店長はそう言う。
もう、来ないな?
そう思って、店を出て、タクシーを拾った後に店の周辺から銃声と爆発音が聞こえた。
「爆発かい?」
タクシー運転手がそう言って、車を止めるが、彩音は「行って、気にしないで」とだけ言った。
「お客さん、人助けが先だろう!」
タクシー運転手がそう言うが、彩音は「私はお客なんだけど?」とだけ言った。
「あんた、人間じゃねぇな?」
タクシー運転手がそう言うと、車は走り出すが、彩音はその一言に対する反発を静かに抱いていた。
この道に入った時点で人間らしさなど捨てている。
そんな物は公安警察には必要が無いのだ。
人ではなく、反乱分子を相手にしているのだから?
だが、ふと思う時がある。
今の自分を・・・・・・
人が殺されても、平気な顔をしている自分を春樹は何というだろうか?
『だらしないなぁ? 四条は?』
忘れると決めたはずだ。
もう、彼はこの世にはいないのだから、しょうがない。
彼がそう笑ってくれることはもう無いのだから。
もう二度と・・・・・・
彩音はふと、背後を見るが、怪しいバイクの影が数々あったのを見た。
点検に時間がかかるな?
彩音は舌打ちを思わず、漏らすしかなかった。
時刻は午前〇時を超えようとしていた。
6
中国大使館への逃走後から十四日後の夜明け前にエディは羽田空港へと向かう為に外へと出て行った。
夜明け前の元麻布にはそれなりに人がいたが、多くはなかった。
「途中で狙撃があるかもしれない。むやみに外を眺めるな」
「ここは日本だよ」
「完全に平和ボケしているな? そうであっても、ここはアメリカの同盟国だ。国内で何をやってもおかしくはない」
そう言われながら、車へと乗り込むと統一戦線工作部の部員達は中国語を飛ばしながら、辺りを警戒する。
まぁ、アメリカが何をしてくるかは警戒すべきだが、ここまでの警備で尚且つ銃刀法が整備された日本のど真ん中で、堂々と襲撃を起こすことは想像だに出来なかった。
後は中国まで逃げることを考えればいいのだ。
車が早朝の元麻布を走っている中でそう思っていた時だった。
正面からバイクが正面衝突してきた。
唖然とする車内。
「すいません。大丈夫・・・・・・じゃないですよね?」
大学生風の男だが、すぐにそこに警邏を行っていた、警察官達がやって来る。
「うわ、外ナンバーじゃん?」
「あぁ、日本語分かる?」
「分かるよ、急いでんだけど?」
部員達がそう応対する中で、エディが外に出た時だった。
すると、そこに黒塗りのいかついバン数台がやってくる。
中から、小綺麗な女たちとスーツ姿の男達が拳銃を片手に降りてきた。
「エディ・レイモンド。あなたには私達と来てもらいます」
「ちっ!」
そう言って、部員達が拳銃を向けると、男達は一斉に拳銃を向け、睨みあう構図となった。
「ここで、拳銃を撃ったら、大事よ?」
女が滑らかな中国語でそう言う。
「そうすれば、こちらの勝ちさ? アメリカが行った非道をこの国で示すことこそが、我々の――」
部員達がそう言い切る前に女は同人を背負い投げで投げ倒した。
「なら、格闘戦で仕留めましょう」
そう言って、男達は部員達に襲い掛かる。
「貴様らぁ! 外交問題だぞ!」
部員達が拳銃を構える前に男達はその存在を抑えにかかる。
途中で銃声が聞こえるが、夜明け前の出来事なので、まだ、多くの人々はこの外交問題としか言えない、大乱闘に気付いていない。
「エディ! こんなことがあろうと、応援を用意した! 走れ!」
部員達がそう中国語で言い放つと、エディは当てもなく走り始めた。
すると、後ろから小綺麗な女が追って来る。
そして、銃声が聞こえ、エディのこめかみに弾丸が通り過ぎ、熱にも似た痛みが顔に襲い掛かるが、それでも、エディは走り続けた。
だが、エディはふと気付いた。
さっきから、日本人ばかりでアメリカ人がいない。
アメリカ人は・・・・・・CIAはどこだ?
そう考えていた時だった。
エディはその瞬間に頭部を撃ち抜かれ、絶命した。
夜明け前の暗い時間という難しい条件下で行われた市街地での狙撃だった。
エディの脳味噌がアスファルトに散る中で、カラスがそれを食い始める。
そうして、夜明けが来ると同時にカラスの鳴き声と共に雀の場違いな間抜けな鳴き声が聞こえる。
こうして、エディの逃避行はあっけなく、幕を閉じたのであった。
そして、元麻布の街には多くの警察車両が詰めかけ始めていた。
サイレンの音が街に響き始めていた。
7
「中国側と日本政府が裏取引をして、今回の件は表沙汰にはしないそうだ」
双葉と喫茶室で、そう会話していると、彩音は同人に「あれだけ、派手に暴れても君の面が割れなかったのは夜明け前という事もあるが、よかったな? また異動にならなくて?」と一言、皮肉も言われた。
「まさか、CIAが狙撃という手段を取る為に我々に露払いをさせるとは思いませんでしたよ?」
「しかも、夜明け前の暗い中という難しいタイミングを狙ってだ。何でも狙撃手はCIAでもトップクラスらしい。一説では黒人の女と言われているが、一度、お目にかかりたいな?」
双葉がそう言うと「まぁ、ゴルゴ13程の腕ではないでしょうね?」とだけ言った。
「あれは超人的なフィクションだ」
そういう双葉を見ながら、コーヒーを飲む、彩音は深いため息を吐いた。
童顔で有名な公安捜査員を大学生に見立てて、わざと中国側の車に衝突させ、現地にいた警察官にも昇進試験での極秘裏の加点を賄賂代わりにして口止めをしたのは計画通りだ。
一方で中国側は厳正に抗議をして、反体制寄りの新聞社に情報を売るなどしたが、警視庁や日本政府は知らぬ存ぜぬを通している。
エディの身元は中国側と全く関係なく、中国大使館の車両に対して、警視庁公安外事二課が職務質問的に尋問したのは別件の中国系反グレグループの隠匿に関する事案と発表があったという形にした。
そして、エディはコカイン中毒の果てに拳銃自殺した、軍関係者と発表されたという結末だ。
これにより、CIAに関する情報は一切、表には出なかった。
中国側も今回の失態が世界中に広まるのを恐れて、日本とアメリカとの裏取引に応じた形となり、世の中は再び知らぬ間に平穏無事を迎えることとなった。
「だが、エディが中国側に流していた情報をもう手の打ちようが無い。長期的に見れば、俺達は中国に負けたんだ」
「えぇ、最終的にしたたかなのは常に彼等ですから?」
彩音はそう言いながら、コーヒーを飲み続けた。
「四条」
唐突に双葉が話を変える。
「何です?」
「現場に出るのはよさないか? 今回はよかったが、その分、面が割れる可能性がある。君の昇進にも響く可能性があるから、ここは――」
「課長の邪魔はしないから、好きにさせてくださいよ?」
「関わるよ、俺の昇進に?」
そう言いながら、双葉はコーヒーを飲み続ける。
「君がそこまで強権的で、スタンドプレーに走るのは例の事件が影響しているのか?」
こいつまで、春樹の事を言うか?
「だったら、何です?」
「危険だ。大体、君は復讐に囚われていないか? あの事件は確かに気分の悪い事件ではあった。だが、もう過去の事だろう? 今の君はー-」
「私は今の自分を作ったあの事件に感謝しています。あの事件が無ければ、私は無力な普通の女子大生で終わっていましたから?」
「四条、そんなに憎いか? 自分の恋人を殺した反体制派の勢力が?」
「いえ、憎いも何も人として、見ていませんから? あくまで排除の対象ですよ?」
双葉とにらみ合う格好となった。
この人は公安部の課長だろう?
何故、自分の事をまるで、間違っているかのように言うのだ?
公安警察官に人間性は必要ない。
ただ、反乱勢力という人間ではない、排除対象を機械的に粛正すればいい。
それをこいつは私の上司と言うだけで咎めるつもりか?
気に入らない。
いずれ、後ろから撃っても構わないだろうな?
四条がそう思考を働かせていると、そこに外事二課の班員の警部補がやって来る。
「課長、管理官、お食事中失礼します」
「何? 今、立て込んでいるんだけど?」
「六本木で中国系反グレグループがクラブで襲撃事件を起こしたとの一方があり、木佐貫公安部長から、すぐに臨場するようにとの事です」
「四条、話は持ち越しだ。向かうぞ」
「楽しいお話が途中で済んで残念ですが、課長も向かうんですか? 幹部なのに?」
「皮肉をどうもありがとう。だが、状況が状況だ。私は臨機応変なんだよ」
そうかい?
ただのボンボンのお坊ちゃんと思ったのに?
「行くぞ、さっさと飲め」
双葉はそう言うと、そそくさと喫茶室を出る。
彩音はコーヒーを急いで飲むと、その後に続いて行った。
性悪説こそが公安部の基本姿勢。
性善説や和平や融和など、クソくらえだ。
自分は国家の敵をひたすら潰すことに快楽を覚えている人間である。
人格破綻者や人でなしや差別主義者と言われようが、構わない。
その上でこの国の黒幕であり続ける為に上を目指し続けるのだ。
たとえ、今は亡き、かつて愛した男が今の自分を憐れんでも、私は今の自分ででしか生きられない。
そう思いながら、彩音は廊下を歩き続ける。
靴の甲高い音が廊下に響き渡る中で、公安部独特の国家を背負う重さとひりひりする緊張感が彩音の感性を刺激していた。
終わり。
いかがでしたでしょうか?
次回は春か夏に帰国子女、甲子園を目指すの最新作を投稿する予定です。
乞うご期待!