第七章『鷹彦とぎんとみよ』
ほんの二、三日。
たったそれだけ離れていただけなのに、正武家の裏門に降り立った私はホッとした。
正武家のお屋敷に住み始めて六年。
ここが私の帰るべき家なのだと改めて感じた。
車のトランクから荷物を下ろした多門は、私の分も持って裏門を通る。
その横を擦れ違って中から現れたのは私の帰りを待ち侘びていた玉彦だった。
彼は穏やかに微笑むと両腕を少しだけ広げたので、私は駆け寄って飛び込んだ。
深呼吸して彼の香りを吸い込むと、ようやく張り詰めていた気が抜けてくる。
「ただいま、玉彦」
「よくぞ無事に帰って来た」
「私だってやる時はやるのよ」
得意気に言って腕に力を籠める。
一時はどうなるのかと思ったけど、多門と蘇芳さんのお陰で何とかなった。
お役目を一つ経験したことで自信がついた半面、正直やっぱり私には向いていないなとも感じた。
どうしても感情移入してみんなが納得できる形にしたいと思ってしまう。
でも全てがそう出来ることではないと澄彦さんの教えがある。
『祓い鎮めるものであり、救い護るものではない』と。
確かにそうだけれど割り切れない未熟な私には心の負担が半端なかった。
「玉彦ー、たまひこー」
甘えて擦り寄って頭を撫でてもらう。
何だかんだ言っても私も彼がいなくて寂しかった。
「どうした」
「しばらくはお屋敷から離れるお役目はしたくない」
「……しばらくと言わず、ずっとその様な役目はしなくとも良い」
「いや、しばらくで良いよ……」
「次からは俺も共に行く。心配で役目が手につかぬ」
玉彦と一緒ならお屋敷から離れるお役目でも寂しくないからそれも良いかな。と甘えた考えの私は思ってしまった。
翌日澄彦さんの計らいで午前中のお役目のみだった玉彦は、午後からずっと縁側でぼーっとしていた私に寄り添っていた。
何を話すでもなく、こうして語らずに一緒に居るだけで胸が一杯になる。
私たちに倦怠期は来るのかと思いつつ、玉彦の肩に頭を預けた。
そして庭の片隅にある産土神の社を見つめる。
玉彦に初めて産土神の社に案内されたとき。
まさか彼とこうなるとは思いもしなかった。
我儘で自己中で負けず嫌いで、少し常識がなくて。
見た目だけは今と変わらず眉目秀麗だったけど。そしておかっぱ頭だったけど。
「何を考えている」
「んー、玉彦と出逢ったときのこと」
「そうか」
「玉彦は何を考えてたの」
「とんぼ塚」
「はっ?」
聞きなれない言葉に身を離して思わず目を閉じていた玉彦を凝視する。
それに気が付いた玉彦は懐かしそうに笑って、空を仰ぎ見た。
「秋が近づくと蜻蛉が増えるだろう?」
「うん。そうだね。通山じゃ普通サイズばっかりだったけど、鈴白じゃオニヤンマとか普通に飛んでるよね」
そうなのだ。
無駄に自然が多い五村は蜻蛉の幼生のヤゴが育ち易く、秋空を見上げると蜻蛉の大軍が拝める。
しかも種類も沢山で、アキアカネやクルマトンボ、イトトンボもいる。
中でもすんごく大きなオニヤンマに私はビビっていた。
手のひらサイズのオニヤンマに噛まれると冗談ではなく血が流れるのだ。
あの緑の目も恐怖心を煽る。
「それらの蜻蛉は夜、どこで寝ていると思う?」
「え? 葉っぱの裏とかに留まってじゃないの? 蝶々みたく」
そう答えると玉彦は口をへの字にして、夢が無いと私に言う。
いやいや、蜻蛉が寝るのに夢が無いとか。何言ってんの。
「じゃあ玉彦はどこで寝ると思ってんのよ」
「とんぼ塚」
「何よそれ」
「昔からこの五村には夕方になると、とんぼ塚に蜻蛉たちが集まり休む場所があると言い伝えられている」
出た。
大抵五村の言い伝えで『昔から』と頭に付くモノはろくでもないことが多く、本物だ。
私はそれをシタタリ坂で嫌というほど思い知った。
「夕方になると蜻蛉たちは一斉に同じ方向に向かって飛んでいくだろう。その先にとんぼ塚がある」
「確かにみんな同じ方向に飛んでいくよね」
でもそれは休むために森とか林に向かっているだけだと思うんだけど。
私の考えをここで述べると玉彦はへそを曲げてしまうので大人しく聞くことにする。
「実はな。その話を道彦爺様から聞いた俺は豹馬ととんぼ塚探しに出かけて、大人たちに大目玉を喰らったのだ」
「え?」
「まだ小学一年生だった俺は豹馬と三日三晩五村の山を彷徨った」
「……それは大目玉を喰らうよねぇ……」
正武家の惣領息子と御門森の次男。
その二人が行方不明ともなれば五村総出で捜索隊は組まれたのだろうことは想像に難くない。
何か不可思議な事案に巻き込まれてしまったのではないかと気が気ではなかっただろう。
それにしても中一の玉彦は太々しいくらいに冷静沈着だったけれど、小一の玉彦はなんとなくやんちゃな感じがするのは気のせいだろうか。




