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左に曲がり、少しして右折。
このまま真っ直ぐ走るとお祖父ちゃんの家がある。
私はバックミラー越しに石段が遠ざかっていくのをぼんやり見ていた。
その時、胸元にしまっていた青紐の鈴が三回、確かに三回遠慮がちに鳴った。
取り出して四回振れば、返事はすぐに返って来た。
「多門! やっぱり石段まで戻って!」
「えぇーマジでー。めんどくせー。このままバックで戻っても良い?」
「何でもいいから早く!」
私は助手席で振り返って、車が停止するとすぐに石段を駆け上がった。
数段上がって見上げれば、お役目姿の玉彦も降りて来ていた。
「玉彦!」
広げられた両腕に飛び込んで鼻を啜ると、何度も頭を撫でられた。
何日かぶりにしっかりと彼に触れた気がする。
「鈴は持っているようだな」
「うん」
「気を付けて行くのだぞ。決して暴走をしてはならぬぞ」
「うん」
「自分では無理だと思えば引くのもまた策である。多門を犠牲にしてでも帰って来い」
「それはちょっと……」
あんまりな言い様に身体を離して咎めると、玉彦は懐から一枚の御札を取り出した。
私が知っているいつもの御札ではなくて、薄紫色をしていた。
「御札、だよね?」
「左様。だが、特別なものだ」
「特別……」
普段の御札だってかなりの高性能なのに、この特別な御札にはどんなご利益が。
まじまじと観察して懐に仕舞う。
「深く考えることはない。危機には必ず役に立つ」
「わかった」
「雑事が終わり次第すぐに帰って来い」
「えっ。澄彦さんはどうせだったら観光しておいでって言ってくれたよ?」
蘇芳さんがいるお寺の周辺には世界遺産を始めとするお寺が沢山密集している。
神社もあるけど、こういう機会は滅多にないから後学のためにもって澄彦さんに言われていた。
「……帰って来て下さい」
「うっ……わかりました」
玉彦が敬語を使う時、それは本当にお願いをしている時だ。
これを退けるとへそを曲げて黙りこくる。
そして一層無理難題をお願いしてくるのを私は学習した。
ちなみにそれすら退けると、以前豹馬くんが言っていた絶対零度の癇癪が始まるのだ。
って私が居ないところでだけど。
「盆や彼岸が過ぎれば手隙になる。父上に休暇を貰い、二人で観光すれば良い」
玉彦は私を抱き寄せて首筋に顔を埋めて微動だにしない。
お互い何となく気まずいままだったからこうして彼は、ここ数日の寂しさを埋めている。
背中に手を回して擦ると増々擦り寄る。
その仕草に私の不安が膨らんでくる。
もし、私が玉彦の側を離れている時にお役目でとんでもない事案が持ち上がって、最近では鳴りを潜めていたけど禊をしたいくらいの穢れを負ったと彼が思いこんでしまったらどうしよう。
私と穢れを分かち合えないと、玉彦はどんどん抱え込んで沈んでいく。
そうして私が帰って来たら、正武家から姿を消している玉彦……。
そこまで考えて、私は頭を振った。
最悪の展開だ。
「終わったらすぐに帰って来るから! 絶対!」
無言で頷く玉彦の腕がきつくなり、私も同じく抱きしめる。
すると痺れを切らした多門が石段の下からクラクションを鳴らした。
小さく舌打ちが聞こえて私の手を引いた玉彦に連れられ、私は正武家から送り出された。
「でー、仲直りは出来たのー?」
「仲直りっていうほど喧嘩してたわけじゃないわよ」
信号の無い高速道路を走り続けて暇になった多門は、助手席でぼけーっとしていた私に話を振ってくる。
都会の風景ならいざ知らず、窓の外は延々と緑が拡がっていて飽きてきた私は乗ることにした。
「えーでも、次代はすんげー落ちてたよ」
「玉彦はちょっとそういうことがあるとすぐにそうなるの」
「……優しくしてあげなよ」
「……してるわよ」
「比和子ちゃん以外のことなら完璧なのになー。なんであんなに純情なの?」
「そんなの知らない」
と言うのは嘘で、知っている。
玉彦は母親の月子さんを除いて、女性を好きになったのは私だけ。
五歳の時に私を見初めてからずっと私だけ。
しかもその感情にようやく気が付いたのは中一という、何とも鈍感な男なのだ。
だから純情以前に女性経験が全くないから、私とのやり取りは未知の領域なのだろう。
「豹馬は弓場さんともう直ぐだけど、須藤はどうなってんの?」
「須藤くんは、どうなんだろうね」
須藤くんの女性関係は謎のままだ。
時々休暇終わりで廊下ですれ違うと、彼のものではない甘い香りを振り撒いている。
しかも毎回違う。
いつか遊びすぎて彼が住み込む正武家に女性が怒鳴り込んでくるのではないかと私は思っている。
「そういう多門はどうなのよ」
「え、オレ? オレは生涯独身を通すよ」
多門の宣言に、思わず運転席を見ると彼は真っ直ぐに前だけを向いていた。
「清藤の血を後世に残すつもりはない」
「でも……」
「これで良いんだよ。正武家のお陰で存えていたけど、清藤は本来ならずっと昔に滅んでいた筈なんだ。それを無理に抱え込んだ正武家にどれ程の負担が掛かっていたのか知ってるだろ。子孫の流れを変えてまで清藤の粛清に臨まされたんだ」
「どういうこと?」
「当主澄彦、次代玉彦。この二人が並び立つように生れ月を調整し、清藤の俺達の年代も人も合わせた。偶然じゃないよ。長い長い年月を掛けてそう在る様に仕組まれた。正武家のお役目に支障が出ないようにね。壮大な計画だ。やっとそれが成就したのに清藤の血を残すわけにはいかないでしょ」
「それは違うんじゃないの?」
「え?」
「残す為に多門は生かされた。って考えるのはどうかな?」
「比和子ちゃん、相変わらず前向き」
「まぁ、こればっかりは多門が残さないって思っていても、五村に居る限りその意思がどうなってるのかが問題なわけよ。だからまぁ為るように為るし、深く考えちゃダメよ」
鼻息を荒くし始めた私を呆れたような眼差しで見た多門は、前を向いたけど口元は笑っていた。




