第五章『新田十和子・下』
夜にお役目に出ていたはずの玉彦は、いつもと変わらず今朝も修練に励む。
澄彦さんは卒業したと言って参加していないけど、玉彦は何歳まで続けるつもりなんだろうと不思議に思う。
御門森の宗祐さんは還暦を過ぎても付き合っていたので、体力の続く限りは行うのかもしれない。
それにあと数年すれば南天さんの息子の竜輝くんも加わるし、彼の修行も兼ねてまだまだ続くのだろう。
私はガバッっと起き上がって、ぼんやりした頭で今日のことを考えつつ、障子を開け放った。
夏、である。
まだ早朝なので気温は上がっておらず、夜の冷えがまだ庭に残っていた。
空は澄み渡り、本日も快晴だ。
でも私の心は珍しく憂鬱でもたもたと行動を開始したけど、やる気が起きない。
それもこれも昨日控の間で新田さんの名前を見てしまったせいだった。
お役目の内容に好き嫌いは持っていない。
というか、神守として座る私にはそんなことを言う権利はこれっぽっちもない。
あくまでも正武家のお役目なのだから。
でも、だがしかし。
高校時代を思い出して、彼女に関して良い思い出が無いのは事実で、正直どの面下げて訪問するのかと腹立たしくもある。
玉彦はともかく、控の間の予約帳の管理をしている那奈はどう思っただろうか。
彼女のことだからお役目前に私のところへ来て、一頻り文句を言ってきそうなものだ。
那奈は丑の刻参りの他に、彼女が鏡の前で襲い掛かったことを知っている。
誰にも言わないという約束を今でも守ってくれているからこそ、玉彦たち以上に新田さんに対する警戒心は強い。
あれからもう五年も経つし、新田さんが玉彦に執着しているとは考えたくはないけど、少しだけ不安が首を擡げた。
私がそんなどんよりした感じだったので、澄彦さんの母屋でいただく朝餉の席は空気を読んだ二人が必要以上に口を開かなかった。
私も返事はするけど、話題は振らない。
食後の緑茶を啜り、上目遣いになった澄彦さんと目が合う。
彼はニコリと笑って湯呑みを膝の上に降ろした。
「どうしたの、比和子ちゃん。お義父さんにお話してごらん。また息子が何かやらかしたのかい?」
澄彦さんの言葉にハッとした玉彦が隣の私を凝視する。
「違います。そんな度々玉彦はやらかしません」
「あぁそう。それは残念」
「おい、父上」
澄彦さんはお役目以外の物事は楽しければ、面白ければそれで良いと考えている人物なので何かあるとすぐに掻き回したがるのが難点である。
私はこの後のお役目について、ここで話してもよいものかと思いつつ、思い切って聞いてみることにした。
当主の間へ移動してしまえば気軽に澄彦さんと話すことは出来ない。
「あの、今日の三件目の訪問客のことなんですけど……」
「三件目?」
澄彦さんは思い当たる節が無いのか軽く首を傾げて、玉彦も同様だった。
親子揃って同じ仕草で、頭の上に疑問符を浮かべている。
ということは、今日新田さんが訪れることを把握していないのだろう。
「新田十和子さんがいらっしゃるようです」
「あー……。丑の刻参りの子かぁ」
澄彦さんはそれだけ言って黙り込んでしまい、隣の玉彦の反応を見てみれば少しだけ眉根を寄せていた。
重い空気の中、玉彦が静かに立ち上がる。
「誰が来ようとも役目は役目だ。正武家の手を煩わせるものでなければ、他所へ行ってもらう。それだけのこと。何も気にすることはないだろう。それとも比和子は新田が訪れるから本日の役目の席を空けるということか」
「そう、じゃないけど……」
私だって私情を挟まないようにしようとは思ってるけどさ。
割り切れない感情がある。
新田さんがその後どうなったのかも知らなかったし、彼女は私に呪いを掛けたことについてどう思っているのか。
謝罪をしてほしいわけではなく、純粋に何を考えているのかわからない。
だから彼女と対面するのが怖い。
「おいおい、そこは察してあげろよ。鈍感な奴め」
「鈍感……」
澄彦さんの余計なひと言を小さく繰り返した玉彦は、心底困ったように眉をハの字にした。
彼にすれば高校時代の同級生が訪問客になった程度なのだろうか。
プライベートとお役目は割り切って。
私もそうしたいのは山々だけど、心が狭いのかな。
「比和子ちゃんが嫌だというなら三件目には顔を出さなくて良いよ。無理強いはしない」
「……ありがとうございます。でも、出ます……」
「そう……。前にも言った事だけどお役目には様々な事案があって、自分なりに心に折り合いをつけなくてはならないものもあるからね。今日はきっと良い経験になると思うよ」
そう言って澄彦さんは席を立ち、私の肩をぽんと叩いてから座敷を後にした。
小っちゃい女で情けないと思っただろうかと立ち上がっていた玉彦を見上げると、何故か無表情で考えが読めない。




