第一章『希来里』
「何故だ!」
早朝、正武家次代様として敬られる玉彦の叫びが母屋に響いた。
私はそれをお手洗いの中で座りながら聞いている。
人がお手洗いに入っているのにその前で叫ぶ玉彦に対してイラッとしながらも、私は溜息をつく。
どんな時でも冷静で的確な判断を下すが信条の正武家の惣領息子がどうしてお手洗い前で叫ぶのよ。
「あのさ、ちょっとどっかに行っててくれない?」
「何故だ……」
「とにかく部屋に戻ってて。デリカシーが無さ過ぎ」
「わかった……。無理せずに戻るのだぞ……」
私は返事をせずにドアを蹴ると、玉彦のしょんぼりとした足音が遠ざかっていく。
何故だって、私の方が訊きたいわよ。
四月に当主の澄彦さんから有給休暇を勝ち取った私たちは、六月の玉彦の誕生日に合わせて十日間旅行へと出た。
二人で話し合った結果、無理に遠出はせず、なんとこの五村を廻る旅にした。
玉彦を水先案内として正武家所縁の地を廻り、夜は村の宿に泊まる。
正武家の次代夫婦が五村を廻るという異例の事態に、私たちを出迎える村々の人たちはお祭り騒ぎになっていた。
流石イベントが少ない田舎だと思う。
そして実は。
私たちの旅の始まりは、正武家の裏門から始めた。
私たちはどんなに身体を重ねても、私が裏門を通らない限り子供は授からないという不可思議な制約がある。
二人で立てた家族計画では二年後に赤ちゃんを授かろうと決めていたのだけど、色々と考え直してこの旅行で、あの、まぁ、授かろうと決めたのだった。
二人での初めての旅行だったし、いい機会だと思って。
それで玉彦に手を引かれて裏門を通り、あとは十日間の内、どの夜で授かる赤ちゃんなのかと二人でワクワクしながら期待していた。
のだけど。
念のために授かり易そうな期間を選んでの旅行だったのに、今朝私の生理が始まってしまったのだった。
正武家では婿や嫁が長く居着けないため、跡取りを確実に残す為に裏門を通れば百発百中で授かるはずなのに、である。
玉彦の何故だという叫びは私の叫びでもある。
どうして授からなかったんだろう……。
もしかして私の身体に欠陥があるんだろうか。
去年は神守の眼で眠り続けることが多かったし、精神的なストレスも半端なかった。
まだ母親になるには未熟として、神様は授けてくれなかったんだと思う……。
玉彦には悪いことをしてしまった。
母屋で子供部屋はどこにするかなど色々と楽し気に考えていたのだ。
澄彦さんは孫が出来ると大喜びだったし、何よりも稀人の二人はようやく自分たちも結婚して子作りが出来ると思っていたのに。
因みに豹馬くんは亜由美ちゃんと近々式を挙げるけど、須藤くんの相手は不明だ。
お手洗いの個室で頭を抱え込む。
どうして、どうして?
私はお手洗いに籠って自問自答を繰り返したけど、答えは全く出なかった。
朝餉の席でどんよりと沈み込む私たちを見止めた澄彦さんは、何故か玉彦を叱った。
「息子よ。比和子ちゃんは大事な時期なんだぞ。初期段階では無理は出来ないんだから、自重しろよ」
「……しておりませぬ」
「というか、今朝月一のお客様が来てしまいまして……すいません」
二人揃って俯けば、澄彦さんはお箸を落として呆然としてしまった。
無理もない。
絶対的な正武家の制約なのに破られてしまったのだから。
澄彦さんはお膳を横にずらして、玉彦の前へと進み出た。
「貴様、正しい性行為をしているのか!?」
爽やかな朝からの思いがけない言葉に、私は思わず本当にお膳に突っ伏した。
小鉢やお椀が引っくり返り袖を汚したけど起き上がる気にはなれない。
澄彦さんの過剰な質問に玉彦は耳まで赤くして憤慨する。
二十四にもなって父親にそんなことを聞かれ、当たり前の反応だ。
私は玉彦としか知らないし、玉彦だって私しか知らない。
だからこれが正解なのか解らないけど、小町とか夏子さんとか亜由美ちゃんの話を聞いた上で判断しても至って普通だと思う。
「そのようなこと、心配される必要はない!」
「じゃあどうして授からないんだ!」
「……!」
当然の質問に玉彦は言葉を詰まらせた。
私の胸がギュッと絞られる。
玉彦のせいじゃなくて、きっと母体の私に問題があるんだ。
「すみません。私、産婦人科で検査してきます」
「あっ比和子ちゃん!」
二人を見ることが出来なくて、私は素早く座敷を出て走った。
どうにかしなきゃ。
「待て、比和子!」
追い掛けてきた玉彦が私を捕まえて、そのまま部屋へと一緒に戻る。
その間二人は無言で、様々な思いが頭を駆け巡った。
部屋に入るなり玉彦に抱き付いて顔を埋める。
そんな私の頭を優しく玉彦は撫でてくれる。
「産院へ行く必要はない。俺に思い当たることがある」
「え?」
玉彦を見上げるとこんな時なのに微笑んでいた。
「比和子は惚稀人なのだ。正武家における時間は他の嫁たちと違い限られてはおらぬ。少し調べ物をする。もしかすると歴代の惚稀人には裏門の制約は当てはまらぬのではないだろうか」
「だって、だったら今まで授からなかったのはどうしてよ。十八からずっとだよ」
「それも。何か理由がある。今は身体を休めろ」
「玉彦……」
「大丈夫だ」
「うん……」
今はそうするしかないのだろう。
玉彦の背中に回した腕に力を籠めた。




