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『かもめのジョナサン【完成版】』より、創作的生き方について

 この作品は、『飛ぶ』ことに生きた、あるカモメのお話。

 名前はジョナサン・リヴィングストン。主人公は、漁船から撒かれるパンくずや海中で泳ぐ魚を捕まえるために飛ぶ、という生活から抜け出し、自身の持つ翼に秘められた可能性を純粋に追及するため飛んでいく。

 飛行について理解を深めると同時に、精神についても熟達したジョナサンは、飛びたいと願う同胞と自由を生きる喜びを分かち合うため、どこまでも、どこまでも飛んでいく――――。


 ……というあらすじ。

 ちなみに題名へ【完成版】と付いているのは、2013年になってからPart.Ⅳが加わったから。この小説自体が1970年に発表されたことを考えると、内容も合わせて「凄いな」としか言いようがない(語彙力)。


 さて、これを書いている私は、この本が好きである。大好き。そんなに生きてないけど、愛読書(バイブル)を挙げろと言われれば確実に五本の指に入るくらい好き。五木寛之氏の訳は簡潔な文章でわかりやすいし、ページ数も少ない。新潮文庫版なら、これでもかというくらいカモメの写真が挿入されているので、読書が苦手な方にもオススメです。

 

 と、言いたいのはそこではなく。

 主題にしたいのは、この主人公、ジョナサン・リヴィングストンの生き方についてである。

 作品の冒頭で語られている通り、彼は「風変わりな」カモメ。風変わりというのは、生きるために飛ぶのではなく、ただ単純に「飛ぶ」こと自体へ情熱を傾けているから。

 人間で例えるなら、陸上競技という概念が無い空間で、「歩く」とか「走る」ことに情熱を傾ける人になるんだろう。周りが動物を狩るため必死に飛び出していくなかで、彼だけが平原のど真ん中を陣取り身体の動かし方を研究していたら、それは何事かと思うだろう。私なら思う。こいつヤベーやつなんじゃねーのかと。

 実際、ジョナサンは周りに理解されず、「ヤベーやつ」認定される。集団行動を乱す輩として異端視され、群れから追放されてしまう。一個で生きられない動物社会において、この選択は死へ間近に迫るものであり、重い決断であることは間違いない。

 追放されたジョナサンはどうしたか。驚くべきことに、彼は追放先へ素直に飛んでいき、しかしそのまま更に遠くへも飛んで行ってしまうのである。卓越した飛行技術へ磨きをかけながら。

そしてそのまま老成してしまう。彼の第一の人生は、Part.Ⅰで終わりを迎えてしまう。Part.Ⅱからはバイストン・ウェルよろしく別の次元へ。すなわち、彼もまた転生者だったのだ(笑)。

 その後、卓越した飛行技術(と合わせて、精神的成熟)を体得したジョナサンは、以前の自分と同じく、飛行に憧れている存在がいるのではないかと思い立ち、その者のところへ飛んでいく。

先導者となったジョナサンは、物語が進むにつれ、導き手として強調されることが多くなる。その先駆的存在の在り方は、神聖視され、宗教的な雰囲気を帯び、それも最終的には形骸化の一途を辿る。そして無意味さに打ちのめされたある一羽のカモメが、再誕するように飛ぶ喜びへ目覚める。

 

 個人的に、声に出して叫びたいこと。ジョナサンは、決して『神の御子』ではないし、このテキストは明確に宗教的な在り方を否定していること。

 一読すると、たしかに宗教的な雰囲気を感じる。しかし読み込んでいくと、これは超自然的なことを伝えたいわけではなく、むしろその逆で、誰にも無限の可能性があり、それは何ものにも縛られず、自由であるということ。

 ううん、言葉にしようとすると難しいな……。それにこれを主張するなら、カーク・メイナードはやりすぎだったと思う。肉体の枷から思考を解き放つことは、年齢や、体力的な悲観からくる思い込みから解放されるためだとしても、怪我をした翼ですぐに空を飛ぶなんて肉体の構成をいじったとしか思えないじゃないですか。そんなの、神として見られても仕方ないと思いますよ。


 しかしそこに騙されず(むしろ騙されている?)テキストをただの自己啓発本として片づけないならば、ジョナサンは、創作をしようとする心へ優しく舞い降りてくれる。

 個人的な感覚でしか語れないので皆がそうだということはありませんが、創作とは個の中で完結するべきものだ、と感じる節があります。

 それは、飛行を極めるため独りで切磋琢磨を行うジョナサンの如く、外界との交流を遮断して、自分の中で孤独にグツグツ煮詰めていく感覚。頼るものは、個人的な感覚と判断のみ。そこでは、比較対象は過去の自分しか存在せず、また、できない自分という立ち位置から始めることで、あるのは向上できたことに関する喜びのみ。他者を基準にした相対的な自己反省は、苦行にしかならない。

 

 孤独。全てはこの言葉に尽きるのではないか。

 そして生れ出た何かを、他者のために開放する自由。「ヤケクソで身に付けた力も、他者のために使えるとなると存外痛快なものです」って言ってた凄腕泣き虫ガンマンの言葉が、ここでも血を通って語り掛けてくるわけなんですね。

 思い返せば、初めて小説を書いた時、この邪な気持ちでも誰かのためになればいいと思って書いていました。そして、できるだけ心地よいお話を書こうとも。どうしてこうなってしまったんだろうか。


 でもきっと、やり直すことは、できる……。

 と、信じることが大切。なんですよね? きっと。

 それは遥か遠い未来の水先案内人も、ツイッターの辻法師な先生も、殺人が起こる前に終わらせたいと願っている凄腕警部補も、この主人公のジョナサンだって伝えてくれているメッセージなんですから。

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