初めの1歩
「ふははははっ!」
楽しそうに、ハデスは笑う。先程から、彼はずっと、海斗を観察している。(暇な訳では無い)どうやってと思うかもしれないが、それは至って簡単である。海斗の近くを飛ばせている、人には見えないレベルの小さなカメラが、彼の行動や考えていることをリアルタイムで教えてくれているのだ。ハデスは、それを現在進行形で食い入るように見つめているのだが…。海斗のその一つ一つの行動が、思った以上にツボにハマったらしい。書斎兼自室でもある部屋で、爆笑していた。
「いやはや。ネーミングセンスないとはな。あのスキル名付けたの俺なんだがなwww 帰ってきたら1発殴るとしようかw」
なんだか、とてつもなく楽しそうである。
「それにしても、戻ってそうそう楽しんでそうで(?)何よりだ。妹とも再会できたようだし。送り出して良かったって訳だな。何より見てて俺が楽しいしw」
花畑にいた先程までとは打って変わった上機嫌さに、近くにいた(!?)ハデスの秘書のルーガンは内心引いていた。
(ハデス様はこんなキャラじゃなかったはず…。一体何があったのかしら。お仕事に支障をきたさなければいいのだけど。この人(神か)面白いことがあると仕事そっちのけで夢中になるから。)
頭をかかえるルーガンである。キャラ崩壊もスケジュール崩壊も、彼女にとっては一大事なのだ。そんな秘書の気持ちを知ることも無く、ハデスはただただ笑い転げていた。
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ブルリと、寒気がする。なんだか見られているかのような違和感を覚えた俺、天崎海斗は、くるりと後ろを振り向く。もちろんそこには何も無い…のだが、俺はひとつの結論に辿り着いていた。
(ハデスが見てるな)
決めつけるのはまだ早いような気もするが、これなら姿が見えなくても俺が見られているのに説明がつく。なにより、ハデスならやりそうだ。
(はぁ…。見られているのにはさすがに違和感があるが…。気にしたもん負けか。)
あの誤解をといてから、(誤解をとくのに30分以上かかったのは言わずもがなである)俺は仕事を辞めようと思っていることを結に話した。
「別に、海斗に働いて欲しかったわけじゃないから。うちにあるお金だって、私のものじゃないんだし。」
そう言うと、結は顔を赤く染めながら、プイッとそっぽを向いた。
(可愛い…)
妹Loveである。周りにはよくシスコンだと言われたが、その通りだと自分でも思う。だが、しょうがないのだ。可愛いのだから。
そんなこんなで、妹に癒された後、俺は仕事場であったコンビニへ行き、店長に辞めることを話した。店長にはとても惜しまれたが、最終的には辞めることを認めてくれた。
「今までよく働いてくれてありがとう。これは些細だが、お礼だ。だが、他の働き手が見つからなかったら、いつでも戻ってきていいからな。」
そう言って、コンビニの特待券(1ヶ月間無料で商品が買えるというもの)を貰った時は、どれだけ優しいんだと感動してしまった。
そして今。俺は家に帰ってきて、パソコンを使っている。俺のタイピング技術はそこそこな方で、以外に整理をつけるのが早かったりする。
この画面に映し出されている文章は、全て、俺の願望。
(ざっと見てみると…)
実現可能そうなのから絶対不可能なものまで。非常に沢山の事柄が並んでいた。例えば、りんごが食べたいとか宇宙に行きたいとか…。まぁ、そんなくだらないことばかりが並んでいる訳だが。その中には…。
(……。これだけは、絶対に…。)
いつか結に話さなければいけないこと。これだけは、なんとしてでも実行しなければならない。だが、いつまでも隠し通す訳にはいかないと思っても、ふんぎりがつかないところがある。これを伝えれば、結はきっと…。でも、俺が消えるまでには、必ず伝える。最後の日までには──必ず。
「ふぅ。」
1度頭を振ったあと、一息ついて、俺は椅子から立ち上がる。頭を整理しよう。嫌な考えは、1度忘れて。やりたいことに、集中しよう。とは言っても、やりたいことなどといえば、沢山ありすぎて困る。見た感じ、1番最初にできそうな大きな事柄は…
「これ、かな。」
俺の視線の先に書いてあるのは、「花見」という文字。俺が、生まれてからまだ1度もした事の無いこと。せっかくこの季節に戻ってきたのだから、花見をしてみることに損は無いだろう。テレビでも、そろそろ桜が満開になると報道しているしな。
「しかしそうだな…。結と行くのもいいが…。どうせなら、普段会えない奴らとあっておきたいよな。…どの道、アイツらとは会う気でいたし、この機会に呼びかけてみるのもいいかもしれない。時間は、有限だしな。」
俺はスマホを取り、L○NEアプリを開く。ズラッと並んだ連絡先には、しばらく、というより全くと言っていいほど連絡していなかった中学生時代の同級生の名前が表示されていた。俺は画面をスクロールし、高岳中学校3-3と書かれたグループL○NEを開いた。そして
(皆、久しぶり。突然ごめん。予定が会う人でいいんだけど、今週末にでも花見に行きませんか?同窓会も兼ねて。行けそうな人は連絡ください。予定としては、桜坂で午後からやろうかなって思ってます。完全な独断なので、無理そうだったら遠慮なく教えてください。)
と入力し、送信する。すぐに返事は来ないが、しばらくしたら返って来るだろう。俺はスマホの電源を落とし、机に置いた。
(花見、か。)
桜の季節。本来なら、見ることのなかったもの。小さい頃から、ずっと、見てみたかった。ずっと、やってみたかった。みんなでワイワイはしゃいで、沢山食べて、ひたすらに話す。それが、実現するかもしれない。
「…楽しみ、だなぁ。」
窓からは、春の柔らかな日差しが、部屋中に降り注いでいる。俺は窓の近くまで歩き、外を見渡した。緑味溢れる、豊かな自然。澄んだ空気に浸透した、真っ赤に輝く夕日。今まではなんとも思わなかったこの景色。それが、今日はとても美しく、キラキラと光って見える。
「…生きてるって、いいなぁ。」
そんな実感が、俺に押し寄せてくる。今、この瞬間が、幸せの始まりなんだと、そう思える。ここからの5ヶ月間、どんなものになるのかは分からないが、楽しく、後悔のないように過ごしたい。そんな思いを胸にはせながら、俺は窓から身を乗り出し、遠くを眺めた。
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20××年3月15日。海斗が死ぬまで、あと153日。