スタート地点
「…行ったか。」
海斗を現世に送ったハデスはそう呟く。海斗のいなくなった花畑では、どこからふいているのか、暖かく穏やかな風が、花々を揺らしてカサリと音を鳴らす。甘くて、何処か爽やかな香りの漂う、そんな空間で。ハデスは物思いにふけった。
(正直、彼の記憶は、今まで見てきた中でも相当辛いものだ。あんな若さで、あれほどの人生を経験していたとは…。世の中とは、非常に残酷なものだな。)
それは、ここで彼に会う前のこと。俺は天崎海斗の持つ過去の記憶を覗いた。あいつの未練がなんなのか、調べる必要があったからだ。記憶を見る前までは、軽く考えていた。彼のことを。彼の人生を。ただ、彼の持つ過去は、想像以上に重いものだった。両親を亡くすという経験だけでももちろん辛い。ただ…
「…ふぅ。」
あの真実を妹に伝えるかどうか。もしかしたら、それが海斗の1番の心残りだったのかもしれない。伝えるべきか、伝えないべきか。彼はずっと、葛藤してきたのだろう。生きている時も、死んだ後も。心の中で、誰にも悟られないように。ずっと、ずっと。
「海斗。お前はこれからの5ヶ月間、何をする?何をして遊んで、何をして楽しんで。何について、語るのだ?なんだっていい。この5ヶ月間。お前が満足いく結果になれば、それでいい。どうにか、最後には、心残りのないように…」
あいつを過去に戻す。この選択は正しかったのか。転生の処理がどうのこうのとかいう、嘘までついて、彼を過去に戻すべきではなかったのだろうか。彼に、伝えさせるべきではないのではないか。何度も考える。全てが、彼の心からの願いだったとしても。でも、今更考えたところで何かが変わる訳では無い。あと、俺に出来ることはただ、ひとつ。願うだけだ。
(海斗。どうか、悔いのない決断をして欲しい。幸せを、噛み締めてこい)
そんな願いを込めた、彼の静かな声は、辺りに反響して…消えた。
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そして。俺は、自分のベッドで、目を覚ました。ガバッと勢いよく布団を押しのけると、俺はすぐさまスマホを手に取り電源をつける。画面には、
(3月15日)
と表示されていた。
「戻ってる、のか?」
と考えたあと、夢の可能性もあるということに気づく。まぁ夢にしてはあまりにもリアルだが…。
「あ。そういえば…」
さっき、ハデスが黒いノートがどうたらこうたらとか言ってた気がする。なんか、細かい説明が書いてあるんだっけ?よく分からんが…
「とりあえず、探してみるか。」
考えるより、行動した方がいいだろう。そう思ったので、俺は机を漁ることにした。…探し始めてすぐ、それは見つかった。
「黒すぎだろ…」
明らかにういているそのノートは、簡単に言うと全てが真っ黒なのである。ノートの紙、表紙、裏表紙など。見たところ、中に書かれている白い文字以外は、全て黒のようだった。
「…。なんか、ハデスが好みそうな色だ。」
信じるしかないことを悟った。仕方なくノートのページをめくる。そこには、白の超絶達筆な字で、俺へのメッセージ&忠告が書いてあった。
(えーと。無事にたどり着けたようで何よりだ。これからの5ヶ月間は、お前の生きたいように生きてくれ。俺からは、お前がその世界で過ごす上で、必要になってくる情報を渡しておく。必ず頭の片隅には置いておいてくれ。)
このメッセージ以下には、次のことが書かれていた。
・まず、この世界について
今いる世界はパラレルワールドのようなところで、この世界が変化することで、元いた世界の歴史も変化する。例えば、この世界で死んだ人は元の世界でも死んだことになる。
・5ヶ月後の8月15日24:00に天崎海斗はこの世界からいなくなる。結果的に、俺は「死亡」ではなく「失踪」として周りに認識されることになる。
・5ヶ月間で俺が死ぬと困るので、ひとつスキルをさずけることとする。その説明は以下の通りである。
「健康体」
その名の通り、このスキルを持ったものは驚異的な回復力を持つ。病にはまずかかることが無く、怪我も軽いものなら一瞬で治る。ただし、死にかけるレベルの怪我は全治に数日かかる。
とまぁ、ざっとこんな感じだ。なんというか、
「行動は慎重にってことか。」
これからの5ヶ月間、世界は俺の行動によって変わっていく。起きる出来事、事件、人の生き死にまで…。変化をもたらすかどうかは、俺次第、というわけだ。さすがに、未練を無くすために来たとはいえ、あまり他人に迷惑はかけたくはないので、俺は自分のために必要なこと以外はしないようにしようと思った。
「っていうか、そんなことより…」
俺は1番の問題である文を読み直す。
"スキルを授ける"
うーん。謎だ。スキルって、アレだよな?あのラノベとかでよく出てくるアレ。いやでも…
「名前ダサすぎだろ」
誰だよこんな名前付けたやつ。ネーミングセンスもっと鍛えとけよ。戻ったら名付けたやつハデスに聞くか。今はそれよりも効果だ。こいつ、名前が酷いとはいえ効果は相当期待できそうである。病気にもかからず、怪我も治る。そんなの、
「最高すぎだろ…。」
思わず声が漏れる。俺は中学生の時、友人に借りたラノベで異世界小説にドハマリしているから、こういう"スキル"とかにはめちゃくちゃ興奮するのだ。オタクはこういうシチュエーションが大好きなのだ(๓´˘`๓)
「ま、とりあえず使ってみるか。」
早速このスキルを試してみることにする。怪我が治るスキルなら、手っ取り早いのは…
「…。腕でも切るか。」
こういう時、行動が早いのが俺である。痛みよりも興味だ。切ったら痛いだなんて関係ない。俺はこのスキルを試してみたい。それだけである。近くにあったカッターを右手に持つ。切るのは左手だ。もし発動しなかったらと考えると、利き手はリスクがありすぎるからな。
「…よしっ。」
構える。準備はできた。それじゃあ、
「いくぞっ!」
勢いよくカッターを振り下ろす。結果、俺の左手は想像以上にふかぁく切れた。
「いっ、てぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
と、同時にしゅわわわん、と音をたてながら、傷が瞬く間に再生していく。怪我をした3秒後には、傷痕を1ミリも残すことなく治っていた。
「うーん。なんというか…。」
すごいスキルなのは確かだ。役に立つスキルでもある。ただ、やっぱり…
「痛覚も消しとけよ…。それか減らしてくれよ…。ポンコツスキルっ!クソーッ!」
痛いのは痛かった。たくっ。あんなダサい名前つける暇あったらスキル改善しとけよ。誰か知らんけど。
「はぁぁ…。」
なんだか無駄に疲れた。俺はふぅ、とため息をつき、手に持っていたカッターを緩く握った。と、その時。
「海斗?叫んでたけど、大丈夫なの?」
タイミング悪く、妹がやってきた。
「あ…。」
気がついた時には、既に遅し。俺の今の格好は、これからリスカでもしようと思っているやつにしか、見えなかった。右手にカッター。左手は手の平の方を上に向けて構えて。完全にアウトである。
「あ…。」
結が小さく呟く。そして、
「海斗が、海斗が…。リ、リスカしようとしてる〜!」
ぺたりと地面に座り込みながら、大きな大きな声で、叫んだ。…その誤解を解くのが大変だったのは、言うまでもない。
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20××年3月15日。海斗が死ぬまで、あと153日。
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